buzz.50 働きアリウーマン、無双の営業力
光の粒子となって転移した箕通は、第一のターゲットである蟻の巣へと降り立つや否や、迷うことなく地下2メートルの深部へと一気に駆け下りた。
冬の地上付近は容赦のない寒気が満ちている。蟻の形態である今の体で長居すれば、たちまち変温動物の宿命として身動きが取れなくなってしまうのだ。
(体が動かなくなってしまえば最後。侵入者、あるいは死体だと見なされて、巣の奥で容遺なく解体されてしまうわ。短時間でこの巣のトップに渡りをつけ、交渉をまとめなければ……!)
しかし、そこは「宮廷を裏から支配する女官」である。箕通が発する高度に偽装されたフェロモンは、瞬時に「身内、それも極めて高貴な身分」と同属認識され、防衛線の兵隊蟻たちを難なくスルー。一瞬にして取締役室――もとい、女王の居室へとたどり着いた。
「失礼いたします」
箕通が蟻の洗練された作法に基づき、女王の側近たちに美しいシグナルを送ると、側近たちも気圧されたように「どうぞ、女王の御前へ」と道を開けた。
「お初にお目にかかります。──先代、始祖女王である伊耶那美様は崩御されました。後継は、末子であられる黒姫(クロ2)様が昇格なさいました」
その報に、この巣を統べる女王は触角を大きく震わせて驚いた。
「近う……近うお寄りなさい」
許しを得た箕通は、すっとにじり寄り、最高敬意を示す絶妙な距離を保って言葉を紡ぐ。
「得有流出気様におかれましては、ご機嫌麗しく存じ上げます。先代女王の生前には格別のご厚情を賜り、深く御礼申し上げます。つきましては、新女王となられた黒姫様へも、今後とも変わらぬご厚情を賜りたく、お願いに上がりました」
本家での政権交代と、目の前に現れた敏腕女官。その意図を察した得有流出気は、実にあっさりと本題を切り出した。
「話は分かりました。本家の危機とあらば、私にできることならなんなりと。……差し当たって、卵は500個ほどでよろしいか?」
(……話が早すぎるわね)
好調な滑り出し。だが、ビジネスにおいて「美味すぎる話」には必ず裏がある。先方にも何か狙いがあるはずだと、箕通は社会胃をピリリと引き締めた。
案の定、得有流出気は意味深に触角を絡ませてきた。
「ところで、新女王の所帯は数が足りておられるのか? まだ若く、卵をお産みになれないのであれば、我が愛しい息子たちをそちらに娶らせようと思うのだが」
蟻の世界において、婚姻飛行を制して女王に選ばれるのは男の最高の誉れ。つまり「婿入り(遺伝子の提供)」こそが最大のステータスなのだ。
箕通は、すかさず位相転換されたスマートフォンを取り出し、画面に黒姫の学生証を表示して女王に見せた(蟻の女王の目には、最高に高貴な蟻の姿として映っている)。
画面を見た得有流出気は、感嘆のフェロモンを漏らした。
「おお、先代の面影を残す、なんと美しい新女王だ。……者ども! 息子たちをこれへ!」
女王の命により、側近たちが翅という名の豪奢なマントを羽織った若きオス蟻を10匹ほど連れてきた。
すかさず箕通はスマホをカメラモードに切り替え、「はい、右を向いて」「顎を引いてください」と王子たちを次々に撮影していく。王子たちは本家の女王に選ばれんと、ここぞとばかりに得意の悩殺ポーズを決め、画面の中で見事な「宣材写真」へと変わっていった(なお、直接人間が見たとすれば、どれも同じ蟻の顔だが、高次元テクノロジーにより、撮影されたデータは自動的に超絶イケメン男子へと変換されている)。
その様子を満足げに眺めながら、得有流出気が言った。
「我が息子が本家に“嫁す”のであれば、これほどの栄誉はありません。きっと良質な卵ができることでしょう」
(やはりね……)
箕通は内心で合点がいった。卵500個という大盤振る舞いは、本家への「強力なコネクション(政略結婚)」を作るための手土産だったわけだ。卵の貸しはしっかり覚えていて、なんかの折に、借りを返せと言って来るかもしれない。
「得有流出気様、大変素晴らしいご縁談と温かいお志、恐悦至極に存じ上げます。この箕通、喜んでお受けいたしますわ」
これで第一の契約は成立だ。
本来、今すぐ動ける労働力(働き蟻50匹)が欲しいところではあったが、幸いこちらには分子共鳴転移装置のカプセルがある。カプセル内の超時空空間を使えば、卵の成長速度を限界突破させることも容易い。
500個と言いつつ、冬場のエラー(死卵)率を引けば実質450個、あるいはそれ以下だろうが、最悪、孵化しなかったものは「プロテイン(食料)」として消費してしまえばいいだけだ。
冷徹なコスト計算を脳内で弾き出し、箕通はこの初回の商談を「成果レート40%」と見積もった。
(悪くはないけれど、我が巣の物資調達のためには、もう少し他の分家も回ってみる必要があるわね)
箕通は手際よくスマホを操作し、2階の勉強部屋で待つユキオへとメッセージを送った。
『第一交渉、部分合意です。次の巣の座標へ移動します』
──その頃、2階の勉強部屋。
ユキオが「えっ、もう!?」と声を裏返した。
箕通が目の前から消え去り、この連絡が入るまで、人間の時間にして一分も経っていない。
「仕事速すぎだろ、あの人(蟻)……!」
驚愕するユキオは、慌てて銀色の箱を操作し、第二の座標へと指向を調整するのだった。
第二の座標へと転移した箕通が降り立ったのは、「丙可丁」の女王が統べる地下迷宮であった。
最深部に到着するなり、手際よく女王の側近から歓迎の「お茶」が差し出された。蟻の世界におけるお茶とは、言うまでもなく、相手の社会胃から吐き出された栄養液である。
箕通はそれを口に含んだ瞬間、脳内のセンサーで瞬時にその成分を判定した。
(……糖度もビタミンも足りていないわね。せいぜい3級品といったところかしら)
「まあ、大変結構なお手前でございますこと」
顔には完璧な社交辞令の笑みを張り付かせたものの、箕通は内心で(ここでは多くは期待できないわね)と即座に腹を括った。お茶の質がここまで低いということは、この巣全体の栄養事情が芳しくない証拠である。お世辞にも豊かとは言えない、カツカツの弱小世帯なのだろう。
案の定、伊耶那美の崩御を告げると、女王・丙可丁は「おお……」と悲しむ素振りを見せつつも、その触角をギスギスと不躾に動かした。その様子は、まるで「本家からの遺産分割(物資の分け前)の話でもあるのか」と浅ましく期待しているかのようだった。
これ以上、この貧相な取締役室に長居は無用。そう判断した箕通は、早々に切り上げるべく席を立った。
「本日はあくまでご挨拶と訃報のお知らせのために参りました。新女王、黒姫様を今後ともどうぞよしなに──」
「ああ、待ちなさい、箕通とやら」
帰ろうとする箕通の背中に、丙可丁が慌てて声をかけてきた。
「本家が新体制になったばかりで色々と人手が足りぬのであろう? よければ、我が巣から働き蟻を50匹ほど差し向けようか? その……何かと雑用をこなす手伝いぐらいにはなると思うのだがね」
差し出された予想外のオファーに、箕通は足を止め、細い目をさらに細めた。
(なるほど……。冬場の『口減らし』ね)
ピンときた。この蓄えの少ない寒空の下、50匹もの胃袋を巣から追い出せば、その分だけ自分たちの冬眠用備蓄が浮くというわけだ。向こうにとっては、親戚への義理を立てつつ不要なコストを削減できる、一石二鳥の提案というわけである。
しかし、箕通にとってこれは渡りに船であった。
「丙可丁様、そのような温かいお心遣いをいただき、大変嬉しく存じ上げます。新女王も、きっとお喜びになることでしょう」
相手が放り出したいと考えているのは、どうせ前線から退いたような老骨の働き蟻たちだろう。だが、こちらには宇宙先進文明のテクノロジーが詰まったカプセルがある。カプセル内の「エントロピー逆転機能」を通せば、細胞の老化を巻き戻し、全盛期の若々しい兵士へと若返らせることなど造作もないことだ。今の黒姫(クロ2)の群体にとって、何より必要なのは「今すぐ動ける働き蟻の頭数」なのだから。
「では、ついでに我が自慢の息子たちも……」
ここでもお約束通り、翅をまとった王子たちがゾロゾロと連れてこられた。箕通は営業スマイルを崩さず、一応スマホのカメラに彼らを収めていったが、やはり栄養事情の悪さは隠せず、人間のイケメン風に変換されてもどこか線が細く、不健康そうに見える。
(本家の結婚相手(お婿さん)には到底不向きね。書類選考の段階で落選、"画像デリート"だわ)
心の中で冷酷なバツ印をつけながらも、箕通は50匹の労働力を確保したことに満足していた。初回の卵500個に続き、即戦力50匹。この巣での商談成果レートは、想定以上の数字と言ってよかった。
『第二交渉、50名の人材派遣(口減らし)を獲得。成果レート70%。次の座標へ』
箕通から素早く送られてきたスマホの業務連絡に、2階の勉強部屋のユキオは「ええっ、もう!? 2カ所目も一瞬かよ!」と再び声を裏返しながら、大急ぎで銀色の装置をタップするのだった。
その後も、働きアリウーマン・箕通の進撃は止まらなかった。
「佩瑠世保祢」、「酢亭久洲」、「蒙依良」、「伊斯州」……。
箕通は一切の無駄を省いた超高速のトップ営業を続け、なんとわずか2時間で140箇所に及ぶすべての巣を渡りきったのである。
その驚異的な営業力によって叩き出した最終成果は、卵を1万弱、そして即戦力となる働き蟻を1万5000匹。
これにより群体のエネルギー総量は爆発的に跳ね上がり、クロ2(黒姫)だけでなく、箕通自身や、行政・軍事を統括する丹節までもが、個別の人間体として同時に顕現し、自由に出歩くことが可能となったのである。
人間の姿となった武人・丹節は、腕を組みながら感嘆の息を漏らした。
「さすがといったところだな、箕通。お前ならやると信じていたが、まさかこれほどの大戦果を上げるとは」
「ふう……少し骨が折れましたわ」
箕通は美しい首をコキリと回し、片手で自分の肩を軽く揉んだ。
「私はこれから3日間『全休』をいただきますので、あとの実務と黒姫様のお世話はよろしくね、丹節」
そう言って優雅に微笑む箕通だったが、その脳内では「後々揉めないための、140箇所の契約記録の整理」というタスクがぎっしり詰まっていた。休むと言いつつ、裏で完璧に帳簿を締めるつもりなのがこの辣腕女官の恐ろしいところである。
箕通は、借りていたスマートフォンをクロ2へと返却した。その際、クロ2に耳打ちする。
「黒姫様。こちらのフォルダに、目の保養になる素敵な殿方の写真をいーっぱい貰ってきましたわ。春の結婚飛行まで時間はたっぷりございますから、よーくご覧になってお選びくださいまし。もしお気に入りの王子様が見つかりましたら、私にお申し付けください。いつでも内密に事前交渉のセッティングをさせて頂きますわ」
「えっ……あ、ありがとうございます……?」
スマホを受け取ったクロ2が、恐る恐る写真フォルダを開くと、そこには箕通の厳しい書類選考を勝ち抜いた、選りすぐりのオス蟻20匹ほどの姿が収められていた。位相転換によって人間界の「超絶イケメン風」に変換された王子たちの宣材写真である。
それを見つけたマルハナバチのクロが、横からヌッと首を突っ込んできた。
「へ〜! どれどれ? うわ、クロ2マジでモテモテじゃん! カワイイ系から塩顔イケメンまで選びたい放題ね、いいな〜!」
「な、何を言うのですか、クロ様……! 私はまだ中学生(の姿)ですし、そんな……!」
顔を真っ赤にしてスマホを隠そうとするクロ2。
すると今度は、食後の歯磨きをしていたスズメバチのツェンドリカが、フッと口元を歪めて目を細める。
「チッ、どいつもこいつも、線が細くてなまっちろい奴ばかりだな! おいクロ2、騙されるなよ。こいつら全員、生まれてから一度も前線に出ず、巣の奥でぬくぬくと飯を食ってきた『筋金入りの引き篭りニート』だぞ! 頼りになりそうな骨のある漢が一人もいねえわ!」
「いや、蟻のオスってそういう仕様だから! 結婚飛行の時だけ本気出して飛ぶだけだから!」
クロがユキオのモノマネでツッコミを入れる中、ツェンドリカは「俺なら、近づいてきた瞬間に大顎で噛み砕いて肉団子にしてるな」と、物騒極まりない肉食系(物理)の恋愛観を語るのだった。
リビングから聞こえてくるハチたちの賑やかな声。
その声をBGMに、ユキオは「2時間で1万5000匹獲得って、どんな敏腕営業ウーマンだよ……」と、2階の部屋で箕通の営業成績にただただ戦慄していた。




