buzz.49 クロ2のM&A(Mergers and Acquisitions)
クロ2が人間の中学校に通う日が、刻一刻と近づいていた。
カレンダーを睨めば、あと数日で12月24日――つまり冬休みが始まってしまう。そのため、クロ2の記念すべき初登校は、年を明けた来年1月6日の月曜日からと決まっていた。
この限られた期間内において、新参者の女王蟻である彼女には、絶対にクリアせねばならないミッションが課せられていた。
それは、「人間社会の中学1年生までの学力に達している」こと。
普通の人間の子供なら13年かかる大事業だが、そこは超高度テクノロジーの産物である。分子共鳴転移装置のカプセル内に搭載された「チュートリアルシステム」の超高速学習により、頭脳面の問題はほぼ解決していた。
なにしろ、蟻の歴史は白亜紀から数えて約1億5000万年。その悠久の時に比べれば、人類が積み上げてきた現在の知識到達点など、少し分厚い取扱説明書を読み通すようなものだ。クロ2はすでに寺田家に遺された膨大な蔵書を読破し、小学生の全課程を涼しい顔で修了しており、中学一年生レベルに容易に到達していた。
しかし、本当に深刻な問題は「体力」、もとい「群体の活動力」にあった。
学校に行くとなると2休5勤という人間のスケジュールに合わせて、群体を適応させねばならない。
カプセルで休眠してリフレッシュすれば、個体としてのクロ2(13歳モード)はいくらでも動ける。だが、彼女が率いる蟻の群体は、初期設定の「2000匹」からピタリと止まったままなのだ。
それもそのはず、彼女は秋の結婚飛行に遅れて巣に残った身。まだ一度も交尾(結婚)をしておらず、自力で卵を産むことができないのである。
これに対し、高柳家に(正平と静江にはナイショだが)居候している他の蜂族の女王たちの充実ぶりといったらなかった。
蜜蜂のミェリナは、老舗事業主としての威厳のもとでパカパカと卵を産み育て、今や「10万匹」の大世帯。彼女たちの正体は、言ってみれば「カプセル内で充電できる数がめちゃくちゃ多い巨大モバイルバッテリー」なのだ。
スズメバチのツェンドリカも約5万匹、クロマルハナバチのクロでも今や約3万匹を数える大群体へと急成長を遂げていた。
「静江さん! メシ、おかわりを頼む! 大盛りでな!」
高柳家の夕食のテーブルで、豪快に茶碗を突き出したのはツェンドリカ(見た目17歳モード)だった。
「来年の夏場から『狩猟部隊』と『搬送部隊』を連動運用する予定だからなあ。それまでには、なんとしても我が軍勢を10万匹規模にまで拡充しておかねばならんのだ!」
戦術論を熱く語るツェンドリカに対し、母・静江は「はいはい、いっぱいめしあがれ!」と微笑むだけである。ツェンドリカが一体何を言っているのかさっぱり分からなかったが、とにかく目の前の女の子たちがモリモリご飯を食べる様子を見るのが嬉しくてたまらないのだ。
隣では、クロマルハナバチ(見た目は女子高生)のクロも負けじと大ドンブリを抱えていた。
「あー、アタシもオカワリ〜。いちごファームの社長さんから『追加の授粉、お願いできない?』って依頼されちゃってさぁ。今、ウチの家族(約3万匹)総出で働いてるんだよね〜。マジ忙しいから、冬のうちにもう少し子供作って、頭数増やしとかないと、も~回んないわ〜」
これで大ドンブリ3杯目である。
「最近は食べ盛りの子供が増えて賑やかでいいなぁ! 俺もつられて飯がウマくてしょうがないよ!」
父親の正平も、娘のような食客たちが美味そうに白米を掻き込む姿に上機嫌だった。
普通ならこれだけの大飯喰らい(と、その背後にいる数十万匹の胃袋)を養うなど、しがない公務員である正平の安月給では破産確定である。しかし、地方老舗企業なみの財力を誇るミェリナから、毎月食費として、静江が二度見するほどの桁外れの振込として入ってくるため、経済的な問題は微塵もなかった。
ただ一つ、高柳家が変わったことといえば――。
彼女たちの凄まじい食欲に対応するため、最近、キッチンに鎮座する家電が「業務用3升炊きIH炊飯ジャー」へと静かにアップグレードされたことくらいであった。
一方、クロ2は静かに箸を置いた。
ご飯は一膳きり、おかずも残さずきれいに食べている。作法としては完璧なのだが、横でダイソンの如き吸引力を見せるツェンドリカとクロの爆食ぶりに比べると、あまりにも少食に見えてしまう。
「クロ2ちゃん、遠慮しないで。もっとお食べなさい? おかずならまだたくさんあるからね」
母・静江が心配そうに声をかける。クロ2は、旺盛な食欲を隠そうともしない先輩女王二人の様子を、少しだけ羨ましそうに見つめてから、お行儀よく頭を下げた。
「ごちそうさまでした。とても美味しかったです。本当にお腹がいっぱいになりました」
その様子を見ていたユキオは、内心で(うーん……)と首を傾げていた。
(こんなに小食じゃ、寺田さんご夫婦も心配するだろうな。いや、普通に考えればこれが人間の13歳女子の適量なんだろうけど……ツェンドリカとクロが食いすぎなだけで……)
業務用3升炊きIH炊飯ジャーの残量が、目に見えるスピードで減っていくリビング。そんな高柳家の胃袋の限界に挑戦するような熱気の中、ピンポーン、と玄関のチャイムが鳴り響いた。
静江が「はーい」とインターフォンに出ると、スピーカーから、しとやかな女性の声、しかしどこか冷徹さを孕んだ美しい声が聞こえてきた。
『夜分遅くに恐れ入ります。家庭教師派遣センター「アントライ」から参りました、有村 箕通でございます。本日から、邑人 黒津様の冬休み集中講座を担当させていただきます』
「あら、家庭教師の先生?」
静江が驚く中、ユキオとクロ2は顔を見合わせた。
事前に打ち合わせていた手はず通り、一度外から訪問する形をとって、人間界における「家庭教師」という設定で高柳家へやってきたのだ。
「あ、母さん! 俺が頼んでおいたんだ、クロ2の勉強をみてもらうためにさ!」
ユキオは慌ててフォローを入れながら玄関へ向かい、ドアを開けた。そこには、20歳ほどの落ち着いた美女――クロ2の群体の一部であり、蟻の宮廷における主水司の長官にして冷徹な女官、箕通が完璧なビジネススマイルで立っていた。
「夜分に失礼いたします、ユキオ様」
「あ、どうも。さ、上がってください。クロ2、先生が来てくれたぞ」
ユキオは静江の視線を遮るようにして、クロ2と箕通を連れ、2階にある自分の勉強部屋へと素早く案内するのだった。
ユキオの部屋のドアが閉まると同時に、箕通はそれまでの「人間の家庭教師」としての表情を、ピリリとした宮廷女官のそれへと切り替えた。
彼女は畳の上に滑らかに膝をつき、三つ指を立てて深く伏礼した。
「ユキオ様。我が女王、黒姫様を日々お支えいただき、群体を代表して心より御礼申し上げます」
「あ、いや、そんなに畏まらなくても……」
美貌の人間体である箕通の丁寧すぎる挨拶にドギマギしながらも、ユキオはさっそく、先ほどから胸に渦巻いていた懸念を口にした。
「それよりさ、箕通さん。クロ2のこれからのことなんだけど……体力的な面というか、その、群体のパワーの元である"頭数"が足りなくない? ここの蜂女王たちの爆食いを見てると、やっぱり群体の数がそのまま彼女たちのエネルギーなんだなってよく分かった――来年から学校も始まるし、先輩たちに比べて、クロ2の2千匹っていうのは、ちょっと少なすぎて心配なんだよ」
ユキオの率直な言葉に、箕通は静かに顔を上げ、至高の癒やしとも評される美しい微笑みを浮かべた。
「ユキオ様、ご心配には及びません。その件につきましては、すでに私に考えがございます。つきましては、ユキオ様にもお力添えを頂きたいのですが…」
「俺に? もちろん、できることなら何でもするけど……一体どうするの?」
箕通は、すっと姿勢を正して説明を始めた。
「この地を30年にわたり統治された先代女王・伊耶那美様は、この一帯に万余の分家を残されました。寺田先生のお宅の庭だけでも、実に140ほどの巣が存在します。その大いなる親戚筋のネットワークに頼み、私は次のいずれかの交渉を試みようと考えております」
彼女の口から語られたのは、あまりにも人間界のビジネスライクな戦略だった。
「第一に、健常な巣から『群体の一部(働き蟻を百匹ほど)』を譲り受ける【人材派遣】。
第二に、『卵を2〜3百ほど』融通していただく【資本提携】。
そして第三に、もし女王が弱り、単独での営巣維持が困難な巣があれば、群体のすべてをこちらに合流させてあげる【事業継承、およびM&A】です。
いずれも蟻社会を存続・繁栄させるため、お互いがWin-Winとなる提案でございます」
「へえ、蟻の世界でも合併とか引き抜きってあるんだ……」
ユキオが感心していると、箕通は冷徹な女官長としての瞳をキリリと輝かせた。
「すべての交渉は、この私にお任せください。ユキオ様にお願いしたいのは、その巣を転々と移動する手助けをしていただきたいのでございます。夏場であれば、足で営業するのは得意中の得意ですが、冬場では身動きがとれません。ユキオ様のお力で、蟻の形態となった私の体を、指定した巣の入り口へと精密に落としていただきたいのです。交渉が成立いたしましたら、次の巣へ向かうための連絡用として、黒姫様の『スマホ』なるものをお借りしたいのです。私が中から通信を入れましたら、次の座標へと私を転移させてください。これを地道に繰り返そうと思うのです」
突飛な作戦ではあったが、蟻の性質を知り尽くした彼女の提案だ。他に適当な手も思いつかない。
「なるほど……蟻同士なら話も早いし、揉めることもなさそうだね。よし、やろう」
ユキオが頷くと、クロ2は自分のスマートフォンを「これ、使ってください」と箕通に手渡した。
「では、第一の座標へ。よろしくお願いいたします、ユキオ様」
箕通はスマホを携え、静かに目を閉じた。
ユキオが分子共鳴転移装置に手を置きり、彼女の指示通り、寺田家の庭にある最初の「標的(巣)」の場所と転移をイメージする。
その瞬間、部屋の空気が微かに鳴動し、箕通の身体は眩い光の粒子となってフッと消え去った。
こうして、厨子市の地下に眠る広大な「蟻の迷宮」を舞台にした、前代未聞のハローワーク兼M&A大作戦が、静かに幕を開けたのである。




