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女王蜂に育てられた俺~宇宙最難関資格に挑む  作者: 和子


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buzz.45 寺田夫妻の決意


 全てを見透かすような、人類の知性の代表とも言える二人の老人の前に立ち、ミェリナは瞬時に理解した。

——この二人の前では、どんな催眠誘導も、いかなる高度な詐術も、一切の無駄な行為に終わるだろう。


 小細工など、かえって不信を招くだけだ。女王として、ただただ、誠実に、真実のみを話す。ミェリナはそう心に決めた。


理由わけあって、昆虫が人間の体を持っていることの理論的な詳細までは、今の私にも詳しく説明できません。ですが……私も、そこにいるクロ2も同じ方法で、群体コロニーの全存在を内包したまま、人間のアバターへと変身しております」


 ミェリナの声は、先ほどまでの華やかな社交のトーンから一転し、重々しく、かつ明確な危機感を孕んでいた。


「私は、邑人英二(むらびと えいじ)という人の養女になっています。ですが、邑人さんは、今日本にいません。戻られるのは半年以上先になります。クロ2が邑人さんの養女になるまで、戸籍が無いので、日本で生活するのには支障があります」


 身元不明となれば、警察、児童相談所を介して長期にわたる捜索対象となるだろう。わかるはずも無い、蟻が変身したなどというのは、現代の世界の常識から外れている。


「もし、人間ではく、蟻の女王と判ってしまえば、科学的な調査の対象となり、日本の研究機関の保護観察下に入るでしょう――。国家間の政治的な駆け引きで、外国の研究機関に引き渡されるかもしれません」


 寺田耕一は、自分の軽口を戒めた。昆虫の生態を示す人類、こんなものが世界に知られたら、ハーバードやスミソニアン、マックス・プランクあたりも強い関心を示すだろう。米国防総省やCIAの監視下に置かれるかもしれない。彼らの研究に対する情熱は、すべてを解明するまで終わらないのだ。仮に、日本政府が、未成年者の保護のどうのと生ぬるいことを言っても、他国の工作員に拉致でもされたらどう責任をとるつもりか、と反論され、安全な米国研究施設への収監を強行に主張するだろう。


(蟻の女王が、人間を信じて――私たち夫婦に子供を託したのだ。その信頼を裏切るようなマネはできない。私たちがこの子を守らねばならない)


 寺田夫妻は共に同じ気持ちであった。耕一が静かに言葉を発する。

「どうか、教えてください。私たちにできることはなんでもします」


「ご理解いただき、深く感謝いたします。……そこで不躾なお願いなのですが、お二人にクロ2の身元引受人になっていただけないでしょうか?」


 ミェリナはそう切り出すと、静かに、しかし極めて理路整然と、日本の教育制度を正々堂々と適用した驚くべき作戦を語り始めた。


「日本の学校教育法によれば、市町村は学齢期に達した児童の居住事実を確認し次第、学齢簿を編製することになっています。つまり、たとえ住民票がなくても、その地域に実際に住んでいるという『居住実態』さえ確認できれば、学校への入学は認められるのです。戸籍がない場合であっても、義務教育を受ける権利に支障はありません。自治体の教育委員会にしかるべき相談をすれば、学齢簿の編製や就学の手続きを個別に行ってもらえるケースがあるのです」


「――そうか! その手があったか!」


 耕一は我が意を得たりと、自身の膝をパンと勢いよく叩いた。元大学教授である彼にとって、教育制度の根幹にある『すべての子供に教育の機会を』という理念は、あまりにも馴染み深いものだった。


「身元保証人、喜んで引き受けましょう。我々にお任せください!」


 智恵子もまた、心からの喜びを(たた)えて深く深く頷く。

「まあ……こんな年寄りでも、まだ誰かのお役に立てるのねぇ」


 老夫婦の快諾を受け、ミェリナは一応の補足を言い添えた。

「ありがとうございます。なお、学費等の経済的な面はこちらで全て準備いたしますので、どうぞご心配なく。――ただ、親戚縁者でもないお二人が身元保証人になるにあたっては、周囲や行政に対して何らかの『経緯』を説明しなければなりません。なるべく余計な勘ぐりをされないような、自然な理由が望ましいのですが……」


 すると、智恵子は元大学教授らしい自信に満ちた笑みを浮かべて答えた。


「『老夫婦、孤独な子供を引き取るの段』ね。シナリオなら、もう私の頭の中にできあがっているわ!」


 それから隣の夫・耕一の肩を軽く叩いて次のように言った。

「あなた、あとでしっかり打ち合わせをしましょうね。私が完璧な台本を作ってあげるから、あなたはそれを一言一句間違えずに覚えること。――いえ、むしろ少しボケているおじいちゃんを演じてもらったほうが、周囲の同情を引いていい感じになるかしら?」


 智恵子の茶目っ気たっぷりの言葉に、耕一は少し呆れたように、けれど嬉しそうに眉をひそめた。

「おいおい、失敬だな君。これでもまだ頭脳は現役のつもりだよ。―――ただ、ミェリナさん。我々からも、一つだけ条件をつけさせてもらってもいいかな?」


 耕一が居住まいを正し、真剣な眼差しをミェリナに向ける。ミェリナはその正面の老人を見つめ返し、静かに次の言葉を待った。


「……私たち夫婦は、この裏庭で30年間、先代の女王蟻と信義をもって交流を続けてきた。私たちは、クロツー、この子の行く末を託されたのは他でもない自分たちなのだと自負している。ですから、学費や生活の場所は、ぜひ我々自身に提供させてもらいたい。この家から、中学校へ通わせてもらえないだろうか?」


 ミェリナの美しい目が見開かれた。それは、二億年の歴史を持つ彼女にとっても、驚くべき提案だった。人間という種族のなかに、これほどまでに真っ直ぐに蟻と心を交わし、その絆に命を懸けようとする者がいる。その高潔な精神に、ミツバチの女王は深い敬意を抱かざるを得なかった。


「……クロ2さえ、よければ」


 ミェリナが隣の少女へ視線を送ると、クロ2はすでにミェリナの方を向き、そのまっすぐな瞳で女王を見つめていた。その顔に迷いは一切なかった。


「私は、この家の土の中で生まれました。ですから、ここで母の遺志を継いで、生きていきたいです!」


 少女の姿をした新しい女王の、それが偽らざる本心だった。


 その言葉を聞いた瞬間、和室を包む空気は、言葉にできない温かさと確かな絆で満たされた。そこには種族の壁を超えた本物の家族の誕生を告げる、静かで力強い祝福の光が満ち満ちていた。


 このお茶会における、人類と蟻・蜂の歴史的合意――まさに地球規模の「外交条約」が和やかに調印されたその中で、ただ一人、完全に場の空気から浮いてしまっているのがユキオであった。


(なんか、俺だけものすごく場違いな雰囲気に包まれてる気がする……)


 お高そうなイギリス風のケーキを前に、自分がここに座っていること自体が不思議でならない。ユキオは小さく息を吐きながら、そっとフォークを置き、ケーキの皿をローテーブルの上へと戻した。


 そんな彼の所在なさげな様子を、智恵子は見逃さなかった。慈愛に満ちた眼差しを向け、優しく語りかける。


「ユキオくん。あなたは本当に素敵な子ね。昔、あなたがうちの裏庭で、あの不思議な隠し通路を発見してくれた時もそうだったけれど……あなたにはね、周囲の人に『幸せを導く』不思議な力があるのかもしれないわ。今日もこうして、ミェリナさんを連れてきてくれたお陰で、私たちがクロツーちゃんと出会った意味が、はっきりと分かったの。本当にありがとうね」


 思わぬ絶賛の言葉を受け、ユキオの顔が一気にカッと熱くなる。嬉しさと気恥ずかしさが一時に押し寄せ、どうしていいか分からない、むずがゆいような心境に陥ってしまった。


「いやー! そんな、滅相もないです! 僕は何にもしていませんし、その……クロ2の身元保証人の話だって、今ここで初めて聞いたくらいですし――!」


 謙遜とも弁解ともつかないような、しどろもどろの言葉が口をついて出る。だが、照れ隠しの言葉はそこで途切れてしまい、あとの言葉が続かない。


 すると今度は、隣に座るミェリナが真剣な面持ちでユキオを見つめ、静かに言葉を重ねた。


「私も、ユキオには深く感謝しています。あなたは、昆虫と人間という異なる種族の心が通じ合う、最初の一歩――その『きっかけ』を示してくれた。誰も気づかない隠された『扉』の開け方を、本能的に見つけ出すことができる特別な人間なのだと、私は思います」


 ミツバチの女王からの最大級の賛辞。ユキオが驚いて固まっていると、さらにその横からクロ2が、潤んだ瞳を真っ直ぐに輝かせて身を乗り出してきた。


「はい! 全てはユキオ様が導いてくださったのです。……ですから私は、生涯あなたの傍にいると、心に決めました!」


 あまりにも唐突で、まるで熱烈なプロポーズかのような告白めいた言葉。これにはさすがの寺田夫妻も一瞬目を丸くし、次の瞬間には、微笑ましそうに顔を見合わせて同時にハハハと笑い出した。


「コホン」


 和室に響いた老夫婦の笑い声に、ミェリナが小さく上品に咳払いをする。そして、どこか競争心を覗かせるように、ツンとすました顔でこう付け加えた。


「――もちろん、私もユキオに添い遂げる気持ちは、これまでもこれからも変わりませんからね」


(おいおいおい、待ってくれ……!)


 ユキオの心臓は別の意味で限界突破を迎えそうだった。

一体、この蟻と蜂の女王たちは、自分たちが口にしている「生涯傍にいる」や「添い遂げる」という言葉の、人類社会におけるディープな意味をどれほど理解しているのだろうか。


 何やら凄まじい自信と、一切の揺らぎがない堂々たる態度。

期せずして二大女王から強烈な愛の誓い(?)を突きつけられてしまったユキオは、顔を真っ赤にしたまま、ただただ美味しいはずの紅茶を咳き込みながら喉に流し込むばかりだった。

挿絵(By みてみん)

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