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女王蜂に育てられた俺~宇宙最難関資格に挑む  作者: 和子


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buzz.41 叡智の交歓


「ようこそ、蟻のお姫様。でもあなた、私の娘の幼い頃にも本当によく似ているのね。お名前はなんていうのかしら?」


 寺田智恵子は、目の前のかわいいお客様からどうしても目が離せなかった。娘である理恵子の面影が強く重なって見えてしまうのだ。これほどの非現実的な事態に直面しながらも、即座にしっかりとした「定義」を求めようとするあたり、さすがは元大学教授といったところだろう。


 夫の耕一も、先ほどから目元を細めてニヤニヤと笑っている。

「理恵子かぁ……。昔のまんまじゃないか。先週も旦那と一緒にうちへ来て、ビールを飲んで笑っていたのも理恵子なんだがな。いや、この歳になると、もうどっちがどっちでも良くなってくるよ」


 寺田夫妻は今年で九十歳になる。大学で教鞭を執ってきたのは、講師時代を含めておよそ四十年。六十五歳で完全に引退してから、気づけば四半世紀もの歳月が流れていた。


 現在の二人のライフワークは、在職中に未整理のまま残されていた膨大な標本資料の整理だった。毎日少しずつ手を動かし、自分なりの考察を文章にまとめては「note」にアップしている。五年前に飼い猫が旅立つまでは、その愛らしい振る舞いを動画に撮ってYouTubeに投稿したりもしていたが、それ以降は本当に静かな余生を送っている。


 はっきりと言えば、それは「いつでも死ねるように」整えられた生活だった。

かつての耕一は、「俺に万一のことがあったら智恵子はどうなる、準備は万全か」と朝から晩まで心配し、覚書や重要事項のリストを几帳面に用意していたものだった。しかしここ数年、そんな思い煩いもすっかり消え失せていた。


 そんな静寂の日常の中で、今、二人は娘の子供時代の幻影と対峙している。


「どこから来られたの? お家はここのご近所なのかしら」


 我が家の庭の住人であると、口頭では伝えられてはいる。しかし現実問題として、目の前にいるのは人間の姿をした少女だ。ならば、社会的な身元というものが存在するはずだった。幻影の理屈は後で学術的に考察するとして、現実の事柄については理性的に聞いておかねばならない。


 クロ(ツー)は、事前にミェリナやユキオから言い含められていた注意事項を思い返していた。

人間の常識を逸脱する部分については巧みに伏せつつ、それでも質問に対しては誠実に応える――それが彼女の選んだ姿勢だった。

挿絵(By みてみん)

「私の名前はクロ2と申します。この姿について、今は詳しくお話しすることはできませんが……。こちら様には、亡き母をはじめ、一族全員が寺田様のご厚情により、豊かな生を全うさせていただきました。現在は、お隣の皆様に身を寄せております。本日はこうしてお時間を頂き、まずは一言ご挨拶にとお伺いした次第です。今後とも、一族分家ともども、お引き立ていただければ幸甚に存じます」


 あらかじめ用意していた、いささかもってまわった口上ではあったが、無事に役目を果たすことができた。


 その丁寧な言葉遣いに、寺田夫妻はいたく感激してしまった。


「まぁ……。お家のご教育が余程しっかりされているのね。理恵子が同じくらいの歳だった頃とは比べ物にならないわ」

「本当だ。公家か皇族レベルの教養だよ、これは」


 昆虫の範疇とはいえ、彼女はクロ蟻属の新女王。生態系国家とでも言うべき群れの正当なる継承者である。人間の庶民とは背負っているものが違うのだ。付け焼き刃ではない、文字通り筋金入りの礼儀作法がそこにはあった。


 クロ2の群体に意識を取り込まれている側近の『箕通みつ』は、新女王の見事な立ち居振る舞いに感激し、心からの誇りと安堵を覚えていた。

伊耶那美(いざなみ)様、ご安心ください。黒姫様は人間の前でも堂々と、女王の威厳を損なうこと無く堂々と相対(あいたい)されております……)

今は亡き先代女王の遺影に報告するかのように、箕通は胸中で静かに目を伏せる。


 もう一人の側近である『丹節にぶし』にいたっては、感動するあまり、クロ2の体から飛び出してしまいそうな勢いだった。

(黒姫様、丹節は嬉しゅうございます! 人間を前にして些かも臆することなく礼節を示すお姿……。この丹節、我が命に代えましても黒姫様をお守り申し上げます!)


 体内から伝わってくる熱い、しかし少々不穏(ふおん)なざわめきを察知し、クロ2は服のポケットの上からトントンと自分の体を叩いた。よしよし、と側近二人をなだめ、(しず)まらせる。


 これ以上長居をして万が一にも正体が露見(ろけん)すれば、高柳家に迷惑がかかるかもしれない。クロ2は頃合いを見て、お(いとま)を告げることにした。


「本日はご挨拶だけで失礼いたします。また改めてお邪魔させてください」


 そう言って三つ指をついて立ち上がると、土間に下り、道すがら回収してきたペットボトルの詰まったエコバッグを担ごうとした。


 その様子を見て、智恵子が呼び止める。


「あなた、そのペットボトルはどうするの?」


「リサイクルゴミとして、分別して回収してもらう予定です。高柳さんにお願いしようと思っております」


 それを聞いた智恵子は、ある提案を思いついた。

「リサイクルに出すにしても、キャップを外したり、中を簡単に洗浄したりと、結構手間がかかるものよ。もしよかったら、それをうちの方でリユースさせてもらってもいいかしら?」


 利活用してもらえるのであれば、専門家に任せた方が確実だ。クロ2は一言添えて、その好意に甘えることにした。


「それでは、お言葉に甘えて、よろしくお願いいたします。――私たちの一族は、物を捨てることなく、再生して利用することを生業(なりわい)としてまいりました。人間が、一度捨てられたゴミをどのようにして再生し、活かしていくのか。実はとても興味があるのです。よろしければ、今度ぜひ教えていただけませんか?」


 智恵子は目を見張った。

現代において、循環型社会やエコロジーに対してこれほど深い造詣と関心を持つ若者は極めて稀だ。この子にだったら、自分が長年培ってきた、そして次の世代へ残したいと願っていた地球環境への智恵を引き継いでもらえるかもしれない。


「喜んで! お婆ちゃんの生活の智恵なら、数え切れないほどたくさんあるのよ」


 クロ2は智恵子と再訪の約束を固く交わし、ペットボトルの入ったエコバッグをその場へ託した。


 冬の柔らかな光が差し込む玄関口で、新たな叡智の交流が、静かに芽吹こうとしていた。

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