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女王蜂に育てられた俺~宇宙最難関資格に挑む  作者: 和子


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buzz.33 三女王の最後通牒(アルティメイタム)


 11月中旬、日本列島は容赦のない寒気に包まれていた。肌を刺すような北風の到来は、地上の生命たちに一つの厳格な季節の終わりを告げる。しかし、それは絶滅を意味しない。蜂をはじめとする昆虫たちは、数億年という進化のロードマップの中で洗練させてきた、冷厳なる「冬」への最適解を導き出している。


 昆虫における越冬戦略は、エネルギー効率を極限まで高めた三つの究極方式に集約される。


① 越冬存続型:成虫、幼虫、蛹といった、種ごとに最も耐性の高い形態フェーズを選択し、代謝を極限まで落として冬を生き延びる。


② 世代交代型:現世の親世代は全滅を受け入れ、次世代の命を宿した卵だけを冷たい大地に託す。


③ 移動回避型:アサギマダラに代表されるように、国境や海を越えて暖地へと渡り、冬という環境そのものを物理的に回避する。


 これらは、限られた生体エネルギーをいかに効率的に分配し、種の存続という至上命題を果たすかという、終わりなき適応の実験が生み出した叡智であった。


 生物学的に見れば、昆虫とはキチン質という強固な外殻を持ちながらも、環境の変化に応じて自らの構造を自在に変容させてきた柔軟なシステムである。そうであるならば、彼らにとっての「死滅」とは、生命活動の停止ではなく、単に「生」から「死」へとその形状をドラスティックに変えたにすぎないのかもしれない。


 例えば、クロマルハナバチやスズメバチの生態がそれを示している。秋の終わりに新女王へと全エネルギーとDNAを注ぎ込み、その他の個体は容赦なく全滅する。熱力学的な視点に立てば、昆虫における死滅とは、過酷な冬を乗り切るための「ゼロエネルギーの生存戦略」という名の、最も洗練された熱効率の最適解なのだ。


「実際、何億年も記憶が地続きであるから、女王蜂という個体が消えたところで『死んだ』という実感が湧かないんだよな」

ツェンドリカは、自らの内に流れる膨大な時間の堆積を確かめるように、静かに言葉を紡いだ。


「虫にとって、DNAを次世代に残せずに系統が途絶えることこそが、真の意味での『死』。……けれど、今の私たち、普通には死ななくなっちゃったじゃない? なんだか、奇妙な感覚だよね」

クロの言葉の通り、彼女たちの現実は生物学の定説の遥か先を行っていた。


 かつて邑人英二むらひと えいじの手によって特殊なカプセルへと託された、ミツバチ、スズメバチ、クロマルハナバチの三柱の女王たち。彼女たちは、凍てつく冬の到来にあってもなお、完全に生存し続けていた。


 本来であれば世代の交代を余儀なくされる冬期であっても、彼女たちはそのカプセルへと帰還し、休眠を取ることで、個体ではなく「群体コロニー」としてのシステム全体を完璧にリフレッシュしてしまう。


 彼女たちには、もはや「死」という不可逆な形態変化を選択し、DNAを他者に引き継ぐ必要性がない。進化の法則から切り離され、永久機関に近い生存を可能にした()()()(スーパーオーガニズム)たち。その圧倒的な存在は、静まり返った冬の研究所の片隅で、静かに、しかし確実に拍動を続けていた。


「だからこそ、私たちはなんとしても高柳家の『絶滅』だけは回避させなければならない。ユキオという極めて頼りない、たった一人のDNA継承者にすべてがかかっているのだから」


 ミェリナはそう言って、硬質な眼を複雑に曇らせた。彼女たちの基準からすれば、種や血統の存続をたった一つの個体に委ねるなど、狂気の沙汰でしかなかった。


 その言葉を聞いたツェンドリカは、冷ややかな、しかしどこか呆れたような声をあげる。

「あのユキオが唯一のDNA継承者、ね……。高柳家には悪いが、客観的に見て、もうその盤面は『詰んで』いるんじゃないか? 100匹から300匹程度の継承者がプールされているならまだしも、エラー確率が高すぎる」


「それが人間の戦略なのよ、ツェンドリカ」


 ミェリナは、生物学的な異端児である「人間」の生態をなぞるように補足した。

「人間という種は、どの世帯も一桁台の子供しか作らないわ。その代わり、膨大なリソースをその少ない幼生に集中させて、20年という果てしない歳月をかけて生存能力を高めていくの。現代の人間の所帯では、一人っ子という選択も決して珍しくないわ」


「なるほどな」

ツェンドリカは顎を引き、昆虫としての最適解とは真逆にあるその戦略を脳内でシミュレートした。

「初期投資を極限まで高めることで、個体の生存率を担保するわけか。……合点がいったよ。それで人類は90億もの個体数を維持し、あろうことか、いまだに増殖を続けているわけだ。恐るべき飽和状態だな」


 ツェンドリカの視線が、6畳の和室の外に広がる冷徹な夜へと向けられる。

「生態系の破壊者であるこいつらを、間引くため抹殺するのではなく、生態系の『管理者』へと改宗させる。それこそが邑人英二の真の目的であり、あの頼りないユキオを恒星域観測士に育て上げることが、その壮大な計画の第一歩というわけだ」


 人間が20年かけて「個」を育てるのに対し、ミェリナたちミツバチは全く異なるアプローチで冬の脅威に抗っていた。


 彼女たちは、冬が来ても群体コロニーを死滅させない。

ミツバチの蜂球クラスター——それは、群体そのものを巨大な「生体リアクター(熱発生炉)」へと転換する機構だった。蓄えられた蜂蜜をエネルギー源として燃焼させ、密集した数万匹の働き蜂たちが一斉に飛翔筋を振動させる。ミクロな振動の連鎖はマクロな熱量へと昇華され、極寒の外部環境から隔離された、中心温度30度以上の恒温空間を作り出す。


 進化の果てに彼女たちが手に入れたこのシステムにおいて、群体は使い捨ての器ではない。冬を生き延び、機能し続ける「インフラ」そのものなのだ。命を繋ぐための強固なプラットフォーム。それは人間で言えば、自然の脅威を遮断し、世代を超えて富と資源を蓄積し続ける恒久的な「都市」の役割を果たしていた。


 寒波が窓を叩く。しかし、ミツバチの巣の中のリアクターは、静かに、そして確実に熱を放ち続けている。


 人間の脆弱な「血統」と、蜂たちの強固な「インフラ」。二つの異なる生存戦略が交錯する中で、ユキオという名の頼りない一粒の種子は、いま過酷な冬の洗礼を受けようとしていた。


「あんまり厳しく育てて、死んじまったら元も子もないというわけか……」


 ツェンドリカは、ふんと鼻を鳴らした。その表情には、人間の脆弱さに対する冷淡さと、同時に奇妙な危うさを案じる色が混ざり合っている。


「かといって、あんまりユルくやったところで、生態系のなんたるかも理解できやしない。そんな甘い考えで、あの宇宙の最難関試験なんか受かるわけが無いぞ。

ミェリナ、それでお前の作戦というのが……」


 ツェンドリカが言葉を濁し、探るような視線を向けたその時、6畳の和室の空気が一段、目に見えて凍りついた。


 ミェリナは動かない。その静寂そのものが、不穏な前兆として空間を支配していく。彼女はかすかに身を寄せると、まるで世界の耳目を恐れるかのように、声を低くして言った。


「——死を司るもの、冥府の女王を召還する」


 それは、この清浄な6条の和室においては、あまりにも異質な、禁断の一言であった。


 ツェンドリカの眼の奥の光が、ぴくりと跳ねる。ミェリナの紡ぐ言葉は、もはや生物学の領域を超え、どろりとした魔術的な暗黒を帯びて部屋の隅々へと染み渡っていった。


「黄泉の国の支配者、生と死の狭間に住まう者、輪廻の案内人……」


 ミェリナの声は、呪詛のようでありながら、冷徹な真理を突く祈りのようでもあった。


「しかし、彼女無くして生態系は成り立たない。生が過剰になれば世界は自壊し、死が途絶えれば循環は止まる。ユキオに『管理者』としての真の洗礼を授けるためには、あの絶対的な闇の力を引き入れるしかないのよ」


 6畳の和室のガラスに、外の寒気によって結露した水滴が、まるで黒い涙のように不気味に滴り落ちる。


 和室の照明が、一瞬だけ電圧を失ったかのように怪しく明滅した。科学の光で照らされていたはずの空間に、突如として開かれた、昏い冥府への扉。その隙間から吹き抜ける底冷えする風を肌に感じながら、ツェンドリカは無言で、禁忌を破る覚悟を決めたともとれるミェリナの横顔を見つめ返していた。


ーーー


「なんだ、改まって?」


 ユキオは思わず背筋を引き、半歩だけ後ろへ下がった。

目の前には、三体の女王蜂が珍しく同時に現れ、こちらを真っ直ぐに見据えている。

そのただならぬ気迫と、空気を張り詰めさせるような存在感に、ユキオは一瞬だけたじろいだ。


 三女王がそろって“話がある”と言うときは決まってろくなことがない。

とんでもないミッションが発令されるか、あるいは蜂基準で人間の限界を軽々と超えていく“お気持ち表明”が始まるか、そのどちらかだ。


「できれば、十六歳男子のアビリティを越えない範囲でお願いしたいんだけど……」


 脱力感まる出しのユキオの言葉に、三体は微動だにしない。


 最初に口を開いたのはミェリナだった。

その声には、国家機密でも告発するかのような厳粛さが宿っている。


「ユキオ、正直に言います。私たちは……あのカプセルを自分たちの意志でコントロールし、自由に出入りしています」


「……あ、うん。知ってた」


 ユキオの反応は薄い。というか、今さらである。


 三女王が勝手に「二勤一休」のシフトを組み、見事なワークライフバランスを保ちながらローテーション勤務していることなど、高柳家ではすでに常識だった。 さすがに高柳夫婦は、彼女らの正体が”ハチ”だとは思っていないものの、彼女らの存在は、もはや“我が家のライフハック”扱いである。


***

 台所では、母の静江が晩ご飯の支度をしながらのんきに声をかけてくる。


「ミェリナちゃん、明日はシフト“出”の日よね? そろそろ蜂蜜の追加をお願いしたいんだけど、いける?」


 父の正平に至っては、新聞をめくりながら平然とこう言う。


「なぁツェンドリカちゃん。駅前の居酒屋の大将がさ、忘年会シーズンでどうしてもバイトに来てくれって拝み倒してきてさ。時給1950円だってよ。連勤は無理だろうから、クロやミェリナちゃんと交代でどうにかならん?」

***


 思い返せば、高柳夫妻は三女王をすっかり家族の一員として扱っていた。

その自然さはありがたいが、今まさに“禁忌を破る決断”を告げようとしていた重苦しい空気は、高柳家の圧倒的な生活感の前にあっさりと霧散してしまった。


 ミェリナは触角をわずかに震わせたが、気を取り直したように声のトーンを落とし、本題へと踏み込む。


「……それはそれとして、ユキオ。カプセル自体は私たちの操作でどうにでもなるのだけれど、問題はそのカプセルが収められている、この銀色の箱よ」


 彼女が指し示したのは、鈍い金属光沢を放つ装置だった。


「この『分子共鳴転移装置レゾナンセス・コンバータ』だけは、どうやら……ユキオ。あなたという個体の生体認証、あるいは固有のバイオデータがないと起動すらしないみたいなの」


「え、俺?」


 ユキオは自分の鼻先を指でつついた。


 世界を救うだの、生態系を管理するだの、そういう話はまったく実感が湧かない。

要するに自分は“鍵の付いた引き出しを開ける係”としてしか機能していないらしい。


その事実に、ユキオの肩からはさらに力が抜けていった。

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