buzz.29 冬に挑む女王蜂
10月は、まだ暖かさが残るが、秋の光は、どこか遠い星のように冷たく澄んでいた。
厨子駅前のアーケードを、クロとミェリナが並んで歩く。
アスファルトに落ちる影は細く長く、風に揺れている。
クロは静江のお下がりのカーディガンを羽織っていた。
毛糸の柔らかさが、彼女の丸い肩にしっくり馴染んでいる。
ミェリナはダウンジャケットに厚手のロングストッキング。
人間の冬を完全装備で迎える姿だ。
「飛んだらすぐなんだけどねぇ…」
クロは空を見上げた。
秋の空は高く、どこか乾いている。
羽音を立てれば、ほんの数秒で駅前を越えられる。
だが今日は、寒さに弱いミェリナの歩幅に合わせて歩いていた。
「歩くのも悪くないわよ」
ミェリナはスマホを見つめながら言った。
画面にはバスの到着時刻が表示されている。
「ほら、もうすぐ来る。バスに乗っていきましょう」
そのスマホは、彼女が買ったものではない。
邑人英二が三匹の女王蜂ために用意したものだ。
それは三匹がユキオについていく日の直前、8月の30日のことであった。
――人間界で生活するためには必要なのでな。
そう言って、ミェリナ、ツェンドリカ、クロの三匹に手渡した。マイナンバーカードまでセットされており、彼女たちは邑人の"養子"として登録されている。
「英二さん、帰ってくるって言ってたよね」
クロがぽつりと言う。
「一年のうちには戻るって。……約束したもの」
ミェリナはスマホをスワイプして邑人に電話してみた。
「…おかけになった電話は、電波の届かない場所か、電源が入っていないためかかりません」
その自動音声は、予想したとおりの物寂しいものであった。
9月の頭ぐらいまでは、「おう、どうした?元気にやっているか」という返事があったものだ。
アーケードの下を歩くと、衣料品店のショーウィンドウが光を反射していた。
マネキンが着ている冬物のコートが、どこか別世界の衣装のように見える。
「ねぇクロ。あなた、寒くないの?」
「こんなのまだまだ寒くはないよ、でも……静江さんのカーディガン着てるから暖かいのかな?」
そういうクロの笑顔に、ミェリナは吐く息を白くしながら笑顔で返した。
その横顔は、秋の空気の中でどこか落ち着いた大人の女性のように見えた。
クロはふと気づく。
――ああ、もうすぐ"人間の冬"を過ごすんだ。
飛べば一瞬で通り過ぎてしまう季節を、歩くことで、彼女たちはゆっくり味わっている。
バスが到着し、二匹は乗り込んだ。暖房の効いた車内は、外の冷気とは別世界のように暖かい。
ミェリナは窓の外を眺めた。
冬の街がゆっくりと流れていく。
「英二さん、早く帰ってくるといいね」
クロがつぶやくと、ミェリナは小さく頷いた。
「……うん。元気な声がまた聞きたいわ……」
バスの窓に映る二人の姿は、どこか家族のようで、どこか旅人のようだった。
冬の街を走るバスは、女王たちがそれぞれの冬を迎えるための、静かな序章を運んでいた。
【厨子周辺のショッピングガイド】
厨子駅前のロータリーは、冬の午後らしい薄い光に包まれていた。
駅前には小さな衣料品店や古着屋が点在しているが、若者が群がるような大型チェーン店――たとえばユニクロのような店は見当たらない。
この街の若者たちは、輸入古着店を巡って自分のセンスで着回せる服を探す。
値段はお小遣いの範囲、工夫しながら楽しむのがこの街の流儀だ。
「今日は、あたしがミェリナをお供に連れ出したんだよ!」
クロは胸を張って言った。
静江のお下がりのカーディガンを羽織り、冬の空気の中でも元気そうだ。
ミェリナはダウンジャケットにサングラス、厚手のロングストッキング。
二人はどう見ても普通の女子高生にしか見えない。
「かわいい服、買うんでしょ?」
ミェリナが笑う。
「うん! ミェリナからもらったお小遣いでね!」
クロは嬉しそうにに背中の羽を小さく震わせた(ように見えた)。
ミェリナのハチミツビジネスは順調だった。
ネット銀行に口座を開き、通販にも手を広げている。
クロは梱包や発送を手伝い、その"バイト代"としてお小遣いをもらっていたのだ。
「働いた分はちゃんと払わないとね。クロは優秀なスタッフなんだから」
「えへへ、そう言われると照れるよ」
駅前にも店はあるが、今日は少し遠出をすることにした。
ミェリナがスマホを取り出し、時刻表アプリを確認する。
「JRに乗って、辻堂のショッピングモールに行きましょう。品数も多いし、値段も手ごろだし」
「わーい! あそこ広いし、かわいい服いっぱいあるもんね!」
クロは両手を上げて喜んだ。以前遠出をした時に、ハチの姿で観察していたのだ
「いろんな色の服がお店の外にまで吊るされていて、まるで何かのお花畑みたいだったよ。ホント、蜜や花粉も採れそうな感じの」
そう言って涎を出しそうな笑顔がほころんだ。その姿は、冬空の下で跳ねる小さな太陽のようだった。
二人は厨子の改札へ向かって歩き出す。
冬の駅前を抜け、電車に揺られ、辻堂の大きなショッピングモールへ――。
その背中は、まるで新しい季節へ向かうように軽やかだった。




