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女王蜂に育てられた俺~宇宙最難関資格に挑む  作者: 和子


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buzz.28 ミツバチ女王の市場均衡(マーケット・エキュリブリウム)


「ミェリナちゃん、ご実家から卸していただいた蜂蜜、どれも大好評でね! あっという間に口コミで広まっちゃったの。本当にこれからも、このお値段で卸していただけるのかしら?」


 高柳家のリビングで、母の静江は興奮冷めやらぬ様子で、一万円札が数枚入った封筒を手渡した。

挿絵(By みてみん)

 中身は、当初の約束通り「総売上の20%」を販売所のコミッション(手数料)として差し引いた、4万8千円(2,000円×30本×80%)。数日で完売した、初回テストマーケティングの確かな戦果だった。


 これに対し、高校生アバター姿のミェリナは、上品に微笑みながらも、その眼の奥で恐るべきビジネスロジックを高速展開させていた。


「恐れ入ります、静江さん。今回は私どもも人間の市場反応マーケティングデータを収集したかった段階でしたので、委託販売の形式を取らせていただいたのです。こんなに早く売上分配をいただけるなんて、思ってもみませんでした」


 ミェリナは封筒を優雅に受け取ると、お茶のカップに手を添え、ここから流れるように「本題」へと切り込んだ。その口調は、完全に百戦錬磨のBtoB営業責任者のそれだった。


「ですが静江さん、これからは単発の委託ではなく、定期納品を前提とした正式な『買取り(仕入れ)』の形へ移行させていただきたく存じます。お支払いは、加盟店様のキャッシュフローを考慮し、当月末締めの翌々月15日払いの『掛け売り』で結構です。直売所ではクレジットカード決済のお客様も多く、現金化までにタイムラグが発生するでしょうから」


「えっ……? か、かけうり? よく翌月……?」


 パートタイマーである静江は、ミェリナの口から飛び出した本格的な商業用語に目を丸くした。


 実は、この売上代金を支払う時、直売所の支配人は静江を通じてではなく、近いうちにミェリナという少女の実家であるという架空の「養蜂農家」へ直接「月間240本の正式契約」を名目にして、ある交渉を行う予定だった。支配人は腹の中でこう弾いていたのだ。

(もし相手が月240本の卸しを快諾してくれるなら、こちらから先方に足を運んで取引契約し、その見返りとして、うちの取り分をさらに『5%程度アップ(20%→25%)』させるよう、上手く交渉してやろう)と。


 だが、ミツバチの女王の戦術眼(マーケティング能力)は、人間の小賢しいバイヤーなど足元にも及ばない。いつもお世話になっているユキオのお母様だからこそ――そういう建前で静江に切り出す口上は、百戦錬磨のセールスレディも顔負けの鮮やかさだった。


「さらに、今後の売上げ増に伴い、そちらの店舗様でも棚割りの変更や、陳列・梱包の手間、販売のための諸経費が増えると思われます」


 ミェリナは電卓を叩くことすらなく、トントンと人差し指でテーブルを叩いた。

「そこで、諸経費の増加を見込んで、そちらの取り分を従来の20%に『15%加算』し、今後は35%の粗利でいかがでしょうか? 数を増やしていただけるのであれば、それ相応の、お互いに持続可能な条件になると判断いたしました」


 圧倒的な先手、そして想像を超える破格の条件提示だった。


 支配人が目論んでいた「5%のアップ(25%)」というケチな要求を遥かに超越する「35%」という数字を、ミェリナの方から完全に先手を打って進呈したのである。


---


「な……なんだって!? 向こうから35%を提示してきたのか!?」


 翌日、出勤した静江からミェリナの申し出をそのまま報告された直売所の支配人は、事務所の机で暫く放心状態となった。


 支配人は顔面を蒼白にしながら、背中に冷や汗が流れるのを感じていた。


 自分が仕掛けようとしていた「5%程度の手数料上乗せ交渉」など、完全に読まれていた。それどころか、こちらの「取扱量が増えれば手間や経費がかさむ」という現場の負担を完璧に見抜き、ぐうの音も出ないほどの好条件(35%)でこちらの口を完全に封じにきたのだ。


「月240本が完売すれば、粗利35%で、うちの店には毎月16万8千円もの売上利益が転がり込む……。掛け売りだから、うちの運転資金も痛まない。私の小賢しい交渉など、最初から見透かされていたというわけか……!」


 支配人はブルリと身震いし、静江の手をガシッと握った。


「高柳さん! 君の息子さんのそのお友達は、一体何者なんだ!? 片手間の養蜂家どころじゃない、バックに凄腕のコンサルタントか大企業の流通チームがついているに違いない……! 今後、高柳家とのパイプはうちの店の最高機密、最重要ラインだ。絶対にミェリナちゃんの取引ルートは外さないでよ!?」


「え、ええ……? わかりましたぁ……?」


 支配人のただならぬ怯えっぷりとリスペクトの眼差しに、静江はただ小首を傾げるばかりだった。


---


 その日の午後、ユキオの部屋。


「ふふ、これでリアル直売のハッキングは完了ね。こちらの取り分は65%になるけれど、月240本ベースなら、資材費を除いても私の手取りは月30万円強で安定するわ」


 ユキオの学習机の椅子で、高級茶葉のティーカップを片手にふんぞり返るミェリナ。


「あのさ、ミェリナ……。お前、やってることが完全にやり手の凄腕営業なんだよ。販売所の支配人さん、お前の手のひらの上で完全に転がされてるよ……?」


 ミツバチはなぜ、狂ったように花の蜜を集めるのか。

 それは、花蜜こそが「糖質」という生命の源であり、数万の群れを維持し、次世代へと繁栄を繋ぐための最も神聖なマテリアルだからだ。


 ミェリナが人間のアバターを得て高柳家で暮らすことになった時、その合理的すぎる頭脳が最初に導き出した問いは、実にシンプルなものだった。


「さて。この人間世界における『生存資源』とは、一体何かしら?」


 自然界と同じ花蜜か、あるいはタンパク源としての花粉か。


 その答えを冷徹に突き止めるため、彼女はまず、ユキオの部屋のノートパソコンに取り付いた。いや、実態としては「数日間にわたり完全占拠」した。


 ユキオが学校へ登校すれば、即座にブラウザを立ち上げてリサーチを開始。ユキオが帰宅して夜に眠りについてからも、画面のブルーライトに照らされながら黙々とキーボードを叩き続ける。彼女たちがこれほど不眠不休で知的活動に没頭できたのは、例の分子共鳴転移装置のカプセルによる、圧倒的なエントロピー逆制御リフレッシュ機能の恩恵であった。


 そして――「なるほどね」


 数日後、ミェリナはすべてを理解し、ブラウザを閉じた。


 人間社会という巨大な巣は、花蜜では動いていない。

すべては『マネー』という共通の数値データによって駆動している。


 人間たちはこの不完全な循環構造を『経済』と呼び、英語ではそれを『エコノミー』と発音していた。彼女たちの知るのは「生態系(Ecosystem :エコシステム)」。「エコノミー(Economy)」との語源は、どちらもギリシャ語で「家」を意味する oikosオイコスに遡る。


 実際、ミツバチの女王から見れば、両者の本質的な違いなど大したものではなかった。


 蜂の世界では「花蜜」が流動資産(ストック)であり、人間の世界では「お金」が資産そのもの。要するに、コミュニティ内で価値を媒介する物質の形が異なるだけなのだ。


「つまり、人間界においてお金を稼ぐということは、私たちの世界で蜜を集めるのと完全に同義(イコール)なのですね」


 結論に至るまでの時間は、驚くほど短かった。


 この世界でコロニーを拡大・維持するために必要なのは、外に出て泥臭く花蜜を集め回ることではない。

高次元カプセル内の宇宙工場で生産されるハチミツを、最も効率的なルートで『マネー』へと変換することだ。


 幸いなことに、彼女たちの生産する蜂蜜の品質は、地球上のどんなメーカーも足元に及ばないほど完璧だった。


 人間はこれを食べて歓喜する。そして、対価として進んでお金を支払う。ミェリナはそのお金を使って、人間界での生活資源(高級紅茶の茶葉、そして高柳家への電気代や食費をさりげなく)をスマートに決済する。


 ――完璧な循環経済(エコシステム)の誕生であった。


 ミェリナは満足げに深く頷いた。黄金の蜜を巣房へパッキングして貯蔵するのも、売上金をサイフに貯蔵するのも、本質的なプロセスは何も変わらない。


 こうしてミツバチの女王は、人類が数百年、数千年の血を流して築き上げてきた複雑怪奇な市場経済システムを、わずか数日のネットサーフィンで完全にハッキングしてしまった。

 もっとも、当の本人は人類の知恵に対してそれほど感心もしていない。


「ーーー人間の巣の働き方(経済活動)は、どうしてここまで効率が悪く、ロスが多いのかしら? 無駄な中間搾取と感情論が多すぎるわ」


 彼女にとっては、その程度の認識だった。真社会性昆虫の極限の最適化から見れば、人間の経済などバグだらけの未完成品に見えるのだろう。


「……なぁ、ミェリナ」


 ユキオは最近、ミェリナが軍資金(売上金)から「これ、あなたのよ。家臣用の執務椅子」と買い与えてくれた、折りたたみ椅子に腰掛け、宇宙物理学の参考書を開いたままぼそっと囁いた。


「お前、数日前まで『パソコンの電源ってどこ?』ってレベルだったのに……? なんで今、画面にブルームバーグの株価チャートとスプレッドシートのグラフが開いてるの……?」


 人間の経済圏をあまりにも鮮やかに、かつ冷徹に無双していくミツバチの女王を間近で見つめながら、ユキオはもはや恐怖すら通り越し、魂が震えるほどの深い畏怖の念を抱くのだった。


 人間たちが一喜一憂し、国家をも揺るがす地球の市場経済。それすらも、三畳紀からこの星のすべてを観察し、生き抜いてきた彼女たちにとっては、ただの「効率的な()()()(コロニー・ビルディング)」の延長線上に過ぎない日常の一コマに過ぎなかったのである。

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