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女王蜂に育てられた俺~宇宙最難関資格に挑む  作者: 和子


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buzz.25 蜂の市場調査(マーケティング)


 九月の終わりが過ぎ、十月の風が街を吹き抜けるようになると、厨子市一帯の緑地にも少しずつ秋の深まりが見え始めていた。


「よし、行くぞ野郎ども! 今日は西方面の緑地帯を探索(リサーチ)だ。当面はここ一帯が我々の生活基盤になるのだからな!」


 ツェンドリカの威勢のいい号令が秋空に響く。

ユキオは今日も、スズメバチの女王ツェンドリカ、そして彼女の頼れる部下であるウーカン、ヒチョウの三匹と共に、調()()(お散歩)のために街を巡っていた。


 温暖な厨子一帯でも、季節は確実に冬へと向かっている。彼らの主食であり、狩りの対象である青虫やイモムシの姿は、日に日に少なくなってきていた。自然界のスズメバチであれば、ここから一気に飢餓と衰退の季節を迎えるところだ。


 しかし、ユキオの部屋にある銀色の箱――「分子共鳴(レゾナンセス)転移装置(コンバータ)」。その中に入った休眠カプセルの中で眠れば、エントロピーが逆進行に制御され、身体は新品同様にリフレッシュされる。そのため、スズメバチの群体の恒常性は、外の環境に関係なく維持されていた。


 ただ、それゆえにスズメバチ三人組は、ここ最近、生物として妙な感覚にとらわれていた。


「ツェンドリカ様…。本当に俺たち、このままの姿で冬を越すことになるのか?」


 側近のウーカンが、自分の手足を見つめながら、どこか落ち着かない様子で首を傾げた。


「ああ。カプセルの知識ベースによると、冬になっても我々の肉体が機能停止することはない。新女王の分蜂ぶんぽうだって、時期が来ればシステム的に問題なく可能らしいぞ」


 本来、スズメバチの生態において「冬」とは残酷な季節だ。秋の終わりに生まれた新しい女王蜂だけが土の中で孤独に冬眠し、それ以外の働き蜂や旧女王、オス蜂は全員が例外なく寒さの中で息絶える。それが、三畳紀から続く彼女たちの絶対の「当たり前」だった。


 それなのに、全滅することなく、現在の素体(アバター)のまま長期にわたって生き長らえるという。


 もう一方の側近ヒチョウも、その不思議な生存感覚に戸惑いつつも、どこか楽しげに口元を緩めた。


「へえ……初めての越冬か。全員で春を迎えるなんて、なんだかぬくぬくと群れを維持するミツバチにでもなった気分だぜ」


「全くだ。だが悪くない。あの小生意気なミェリナに、冬場の生存競争のデータまで先越されたら(しゃく)だからな!」


 ツェンドリカは不敵に笑うと、隣にいるユキオの肩をバシッと叩いた。


 実は、この冬場の活動プランには、ユキオのための深い理由があった。


 宇宙最難関とされる「恒星域観測士」の試験合格を目指すユキオに、冬の時期も途切れさせることなく「地球の生態系の変化」を現場で学習してもらうため、ハチの女王たちは、『3交代制』のシフトを組んでいたのだ。


 ツェンドリカ、ミェリナ、そしてクロ。


 彼女たちは交代で丸一日カプセルに入ってエネルギーを完全回復し、他の二匹が必ず交代でユキオの調査や勉強のパートナーとして付き添えるよう、2勤-1休の運用をしていた。ハチならではの完璧な組織運営能力の賜物である。


 ――ただ、この完璧すぎるシフト体制のせいで、思わぬ「弊害」も出ていた。


「ねぇ、ユキオ。最近、ツェンドリカちゃんもミェリナちゃんもクロちゃんも、みんな揃って一緒にご飯を食べに来ないじゃない。もしかして……誰かケンカでもしてるんじゃないの?」


 ある日の朝食時、母の静江が心配そうに覗き込んできた。


 隣では父の正平も、「そうだぞユキオ。この間まであれだけ賑やかだったのに、最近はいつも誰か二人で交代だろ? 寂しいじゃないか。お父さん、自分のハンバーグをツェンドリカちゃんに盗られたっていいんだよ」と、斜め上の寂しがり方をしている。


「いや、ケンカなんかしてないよ! みんな、その……ええと、シフトが……じゃなくて、それぞれの『勉強やバイト』が忙しいだけだから!」


 ユキオは慌ててご飯を口に放り込みながら、必死に弁明した。


 まさか「彼女たちは冬場のエネルギー効率を最大化するために、ユキオの部屋のカプセルの中で綿密な交代制の休眠シフトを組んでいます」などと、本当のことを説明できるわけがない。


(みんな、俺の勉強のためにいろいろ考えて動いてくれてるんだけどなぁ……)


 窓から差し込む光の中で、ユキオは苦笑交じりに、胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じていた。


 人間とハチの境界線は冷たく、残酷なこともあるけれど、この高柳家を中心とした小さな世界では、今日もハチたちの合理的な社会性能力によって、ほんわかとした不思議な「共生」の日常が回り続けている。


「ほら、お父さん、お母さん、心配しないで。明日はきっと、クロが山盛りのご飯を食べに来る日だからさ!」


 ユキオの言葉に、両親は「ならいいんだけど」と顔を見合わせた。秋の夜風がカーテンを揺らす中、未来の観測士を支えるための、ハチたちの優しき冬支度は着々と進んでいくのだった。


【マーケティングの成果】


「ツェンドリカ様、今日の飛行でこの一帯のマップは80%以上完成です」


 厨子市の空を飛び回るウーカンが、合流してツェンドリカに報告した。


 驚くべきことに、彼女たちがこの短期間で構築した地図は、ただの平面図ではない。

高度ごとの気流、障害物の立体配置、日照の変化までを網羅した、超高精度の「積層3D空間マップ」だった。


 二次元の地面しか利用できない人間の空間認識能力を遥かに凌駕するこの膨大な情報は、量子レベルでデータ圧縮され、スズメバチたち特有のフェロモンを媒介として一瞬で共有されている。


「上出来だ、ウーカン。これでこれからのルート確保も格段に楽になるな」


 ツェンドリカが満足そうに頷くと、ウーカンはニヤリと不敵な笑みを浮かべ、口元で手首をクイッと上げるジェスチャーをしてみせた。


「それでですね、姐さん。実は今日の調査中、森の中で最高にいい情報(ネタ)を仕入れましてね……。ちょっとこれから、全員で寄ってみますか?」


 その仕草を見た瞬間、クールなヒチョウもすぐに察したようで、「いいねぇ」と小さく声を漏らして口角を上げた。

 一人だけ何のことか分からず首を傾げているユキオに対し、ツェンドリカは彼の肩をガシッと掴んで笑った。


「よし、決まりだ! ユキオ、お前もついてこい。こないだのデポ係(肉ダンゴ管理)はよくやってくれたからな。今日は特別に、お前にもご褒美として飲ませてやる!」


 貧弱な働き蜂の姿のままツェンドリカたち三匹に連れられ、ユキオは厨子市の西側に広がる鬱蒼とした森の奥深くへと翅を踏み入れていった。


 踏み固められていない落ち葉の絨毯を進んでいくと、やがて一本の巨大な老木の前に辿り着く。その幹の低い位置に、ぽっかりと大きな「木の(うろ)」が口を開けていた。


「うわ……すごい匂い……」

ユキオは思わず鼻をひくつかせた。


 その虚に近づくだけで、周囲の空気からはツンとした、しかしどこか甘酸っぱく濃厚な強烈な芳香が漂っていた。すぐさまそれが「アルコール類」の匂いであると確信できるほど、深く熟成された香りだった。


 虚の底を覗き込むと、そこには並々と湛えられた液体が見えた。


「これは……天然の果実酒か!」


 ユキオが声を上げると、ウーカンが嬉しそうに喉を鳴らした。


 スズメバチの成虫は基本、クヌギなどの樹液を主食としている。しかし、ごく稀に、秋の終わりに熟して落ちた山ブドウや野イチゴが、こうした木の窪みに偶然溜まり、野生の酵母菌の働きによってそのまま発酵を遂げることがあるのだ。ハチの世界において、これは滅多にお目にかかれない「大自然の()()(天然のバル)」だった。


「どうだユキオ、最高に美味そうな匂いだろう?」

ツェンドリカは虚の前にしゃがみ込むと、早くも目を輝かせて指先で液体をひと(すく)いした。


 冷たい秋の森の奥、木漏れ日を浴びて妖しく揺れる天然の酒樽を前に、スズメバチ三人組のテンションは最高潮に達していた。これまでの真面目な市場調査マーケティングの疲れを癒やす、特別な宴の始まりだった。


「おいウーカン、これ最高じゃねえか! 糖度が高すぎて、とろみがついてやがるぞ!」

「でしょ! ヒチョウ、お前ももっといけよ!」

「ふふ、これは確かに素晴らしい地酒(テロワール)だな。収穫年の気候が奇跡を起こしたんだ」


 木の虚を囲み、スズメバチ三人組の豪快な酒盛りが幕を開けた。


 本来、スズメバチの頑強な消化器官にとって、アルコールなど敵ではない。自然界で発生する13度程度の発酵酒であれば、彼女たちはどれだけ飲んでも平気な顔で、瞬時に効率的な「糖質」へと分解・吸収してしまう。酒に溺れるなど、真社会性昆虫のプライドが許さないのだ。


――しかし、2025年の夏は完全に異常だった。


 例年を遥かに上回る猛暑と、極端な雨の少なさ。この過酷な気候が、森の山ブドウの水分を極限まで絞り、その果汁の糖度を「極濃」というレベルのモンスター級にまで跳ね上げていたのだ。


 そんな超高糖度の果汁が、木の虚という密閉空間で野生酵母によって完璧に発酵した結果――そのアルコール度数は、優に17度を超えていた。


 もはやこれは、優雅なブドウ酒(ワイン)ではない。

 ハチの分解能力を突破する、ドロリとした濃厚な「天然リキュール(原酒)」だったのである。


「う、う〜〜〜なんか、今日のは妙にはねにクるな……」

「目が、目が回るぜ……世界が3Dマップどころか、4Dくらいにグニャグニャしてやがる……」


 異変はすぐに現れた。

 いくら強靭なスズメバチのお姉さまたちといえど、想定外の超高濃度アルコールには勝てない。一杯、二杯と喉に流し込むうちに、ものの数分で全員が完全にべろべろになってしまったのだ。

挿絵(By みてみん)

 ウーカンは、体を揺らしてその場にひっくり返り、クールだったはずのヒチョウは、木の幹にしがみつきながら「ああ……ユキオ。()(とき)が見える」などと意味不明な供述を始めている。


 そして、最も最悪な酔い方をしたのが、女王ツェンドリカだった。


「お、おいォーイ! ユキォォオオ!」


 頬を真っ赤に染め、完全に焦点の定まっていない金色の瞳で、ツェンドリカが鼻息を荒くしてユキオに詰め寄ってきた。剣(スズメバチの針)を降り回してユキオに詰め寄ってくる。


「な、なんだよっツェンドリカ……。俺、お酒はまだ法律的にダメなんだけど……」


 引き気味に後退りするユキオの胸ぐらを、ツェンドリカはガシィッ!と容赦なく掴み取った。酒が入ってさらにタチの悪くなったタイプの『悪質なカラみ方』のスタートである。


法律()ぉぉお!? そんなもんは人間が勝手に作った境界線だろぉがえええ!? 固いこと言ってんじゃねぇよ、オレの酒が飲めねぇってのかぁあ!?」


「いや、本当にダメだって! 匂いだけで頭痛くなりそうだし!」


「うるさーーーーい! 飲め! 飲むんだよぉ! こないだのデポ係の、ご褒、美、だって、言ってんだろぉがぁ! ほら、口を開けろユキオォオ!」


「ちょ、ウーカン! ヒチョウ! 助けて!誰か止めてくれー!」


 ユキオが必死に助けを求めるも、ウーカンは「ウヘヘ……肉ダンゴおかわり……」と白目を剥いて寝言を呟いており、ヒチョウに至っては「……フィナンシェをもう一つ……」と、うわ言を繰り返している。完全に戦力外だった。


「さあ観念しろユキオ! これを飲んで、オレと一緒に三畳紀の幻覚を見るぞぉおお!」


「ぎゃぁぁぁ! 誰か助けて――!!」

挿絵(By みてみん)

 ユキオは(スズメバチの一匹に憑依したまま)口移しで無理やり初めての酒を飲まされてしまった。


 冷え込む秋の森の奥。


 極濃のブドウ酒によって完全に理性を失ったスズメバチの女王と、その猛烈なアルコールハラスメントに涙目で抗う未来の恒星域観測士の、あまりにも締まらない絶叫が木霊していた。


ーーー

 夕暮れの西方面の緑地帯から、ようやく高柳家の2階へと帰り着いたスズメバチの偵察隊。マーケティング遠征(という名の天然酒盛り)を終えた四匹の働き蜂たちは、完全に「千鳥翅ちどりばね」で蛇行クレーターを描きながら、開いた窓から命からがら滑り込んできた。


 部屋の片隅で淡く拍動する分子共鳴転移装置。四匹の蜂がカプセルへと近づくと、その肉体はシュウゥゥ……と美しい光の粒子に還元され、高次元空間へと吸い込まれていく。


 それと同時に、ベッドの上。

 先ほどまで微動だにせず、ガッチリと手を繋いだまま昏睡していたツェンドリカとユキオの身体に、意識憑依フルダイブから解放された本体の精神がドッと流れ込んできた。


「おい、ユキオ戻ったぞ。起きろ!」


 さっきまで森の奥でべろべろに泥酔していたはずのツェンドリカは、アルコールを完璧に分解吸収して、何事もなかったかのような平気な顔をしてガバッと勢いよく起き上がった。実に爽快な目覚めである。


 しかし、その横で。


「うう……っ、あ、頭が、がんがんする……痛い、割れる……」


 ユキオは苦しげなうめき声を上げ、シーツに顔を埋めたまま、うつ伏せになってピクリとも動こうとしない。憑依のバグか、はたまたスズメバチの五感を通して濃厚山ブドウ酒を脳が過剰に学習してしまったのか。


「だらしねえな、あれしきの酒で! オレはなんか逆に腹が減ってきたぞ」


 ツェンドリカは、ベッドの上で丸くなるユキオを容赦なく踏み越え、部屋のドアを開けた。

 ちょうど夕飯時らしく、階下からは信じられないほど香ばしく、暴力的とも言える良い匂いが漂ってきている。


 リビングに下りていくと、そこには静江と正平の、これ以上ないほど弾んだ嬉しそうな声が響いていた。


「あら、ツェンドリカちゃん起きてきたの? ちょうどよかったわ! 今ね、ミェリナちゃんと一緒に最高の夕飯を作ったところなのよ。――ナ・ン・ト、今日はステーキよ!」


「お隣の奥さんから、とびきりの『相模牛(さがみぎゅう)』を塊で頂いちゃってな。さあ座れ座れ!」


 ミェリナが上品にナイフとフォークを並べる食卓の中央で、ジュウジュウと音を立てる分厚い肉塊。


 ツェンドリカは感激のあまり目を輝かせ、豪快に席に着いた。


「これが噂に聞く人間界最高料理『ステーキ』か……! ううむ、今日はどこまでもラッキーな日だな!」


 昼は大自然の奇跡が生んだ美酒を味わい、夜は最高級の肉を喰らう。まさに女王にふさわしい完璧な一日だった。


 一方、その頃。

 2階の薄暗いベッドの住人と化したユキオは、頭の中で鳴り響くドラムのような激痛に耐えながら、生まれて初めての「二日酔い」という人類の呪いに身悶えていた。


(……なんで、ツェンドリカはあんなに元気ハツラツなんだよ……理不尽だろ……)


 階下から聞こえる楽しげな笑い声と、肉の焼ける匂いすら、今のユキオの胃袋には不快感でしかなかった。結局、ユキオの凄まじい食欲不振は、翌朝になっても回復することはなかった。


 だが、この奇妙な連鎖には、さらなる結末が待っていた。


―――

 翌朝。

 高柳家の冷蔵庫には、昨日ミェリナが「これ、ユキオの分ね」と静江に頼んでキープさせておいた、極上の相模牛ステーキが眠っていた。しかし、夜が明けてアルコール自体は抜けたものの、ユキオの頭にはまだズキズキとした鈍痛が居座り続けていた。


「おえぇ……気持ち悪い……。ごめん、俺、朝ご飯無理……」


 せっかくの贅沢な朝()()()()(温め直し)にも一切手をつけられず、ユキオは青い顔のまま這うようにして学校へ登校していった。さすがに昼頃には、購買のアンパンをどうにか食べられる程度には回復したのだが――彼が教室で机に突っ伏しているその頃、高柳家では至福のランチタイムが始まろうとしていた。


 シフトが切り替わり、カプセルから元気に現れたのは、昨日を「全休」にあててエネルギー満タンのクロマルハナバチのクロだった。


「もう、ユキオったら、せっかくの相模牛なのに『いらない』なんて贅沢言うんだから。クロちゃん、これ、ユキオの分も食べちゃいなさい」


 静江からお許しが出ると、クロは目をきらきらと輝かせた。


「ん? ユキオ、食べないの? じゃあ、クロがもらうね」


 クロは自分の分に加え、ユキオの分まで合わせた計2枚の極上ステーキを、小さなお口で幸せそうにモグモグと平らげていく。その様子を、静江は幸せそうに眺めている。


 ミェリナも「よく食べるわね」と言わんばかりに微笑ましく見守っていた。


 結局、この予測不能な「蜂の市場調査マーケティング」の裏で、一番の強運と最高のご褒美をかっさらっていったのは、ローテーションの波に完璧に乗ったクロなのであった。

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