buzz.22 ハロー・ワーカホリック
「あの、さ……」
あまりにも命の危険しか感じられない役割分担に、囚人服風のユキオは恐る恐る挙手し、ツェンドリカの顔色を窺いながら提案する。
「やっぱり俺、中継の留守番じゃなくて、なんとか頑張って肉ダンゴを運んでみようかな……? ほら、見張り(セキュリティ)の仕事なら、俺なんかよりツェンドリカの方が圧倒的に万全だし、強そうだし……ね?」
肉の壁として使い捨てられるくらいなら、まだピストン輸送で必死に空を飛んでいる方が生存確率が上がるのではないか。ユキオなりの必死のセルフ・リスクマネジメントだった。
しかし、ツェンドリカは冷ややかな眼の奥でフンッと鼻を鳴らすと、憐れむような目でユキオを上から下まで眺めた。
「お前が輸送役だと? 笑わせるな。ユキオ、お前……途中で空の暴君オニヤンマに出くわしたら、逃げ切れる自信があるのか? それも、自分の体重ほどもある肉ダンゴを抱えたままで、だ」
「お、オニヤンマ……!」
その名前を聞いた瞬間、ユキオの脳裏に、あの圧倒的な巨体と驚異的な飛行速度を持つ、昆虫界最強クラスのプレデターの姿が浮かんだ。
それもそうだ。元から飛ぶのが下手くそな、もやしっ子バチのユキオが、重い肉ダンゴを大事そうに抱えてひょろひょろと頼りなく空を飛んでいる姿……。
それはオニヤンマから見れば、ただの「空飛ぶハッピーセット」、いや、ネギどころか特上ダレまで背負ってきた「カモネギ」に等しい。
「あいつら、時速60キロ超えで空中で獲物を追尾してくるんだぞ? お前など、自覚症状もないまま一瞬で顎に切断されるのがオチだ。そんな奴に我が組の貴重な『物流資産』を任せられるか?」
「うっ……おっしゃる通りです。完全にカモネギでした……」
ユキオはガックリと触角を垂れ下げた。空を飛べばオニヤンマのスピード違反じみた急襲を受け、地上に留まれば他社からのガサ入れに怯える。安全で楽な仕事など、生態系の中には存在しないのだ。
「大人しく、ここで肉の壁として納品を待つがよい。ほら、前線からウーカンたちの羽音が聞こえてきたぞ。しっかりと受け子の大役を果たせ!」
「大役って言えば聞こえはいいけど、やっぱりただの闇バイトじゃねえか!!」
残暑の熱気がこもる中継キャンプ地で、ユキオは自らの「カモネギ性能」を痛感しつつ、ガサ入れの恐怖に怯えながらダンゴの到着を待つしかないのであった。
「まあ……人間の闇バイトに引っかかるよりは、まだマシか……」
どこか遠い目をしてそう呟くと、ユキオは小さく息を吐いた。蝶や蛾の幼虫を惨殺するという、昆虫の世間を騒がせる凶悪な事件の片棒を担がされるくらいなら、ハチの世界の過酷なロジスティクスを支える方が、まだ倫理的にはクリーンなはずだ。
「これも……一種の社会勉強だな。うん」
そう自分に言い聞かせ、ユキオはヒマワリの根元、その涼しい日陰に作られたスズメバチの野営地で、コツコツと働き始めた。囚人風の服を着せられ、納品されてくる「ブツ(肉ダンゴ)」の検品を行い、ツェンドリカが運びやすいようにサイズごとに美しく整頓していく。意外にも、その几帳面な作業ぶりはサウナのような残暑の現場で光を放ち始めた。
「あ、ウーカンさん! お疲れさーんす!」
上空から見事な三つ編みをなびかせ、青龍刀を抱えて帰還したウーカンに、ユキオはすかさず駆け寄った。その手には、どこからか拾ってきたペットボトルの蓋。中には、近所の公園の噴水がなみなみと注がれている。
「ヒチョウさん、お水どうぞ! 冷えてますよ!」
「お、おう……。気が利くじゃねえか、囚人」
三叉の矛を地面に突き刺し、荒い息を吐いていたヒチョウが、差し出された水を美味そうに飲み干す。最前線の過酷な狩りでカラカラに乾いていた喉に、ユキオの用意した冷水が染み渡る。
「フン。しおれたレタスかと思っていたが、物流拠点の環境改善においては、存外に有能なマネージャーのようだな」
ウーカンもきりりとした眼を少しだけ和らげ、ユキオの手際の良さを素直に評価した。
命の危険と隣り合わせの闇バイトかと思いきや、ユキオは持ち前のマメさと気配りで、いつの間にか強面の武闘派二匹のハートを掴みつつあった。
「おいユキオ、次の納品だ! しっかり検品しろよ!」
「ういっす、ヒチョウさん! 任せてください!」
ひょろひょろの囚人バチは、なんだかんだでスズメバチの生態系の循環に、妙に体育会系的なノリで順応していくのだった。
ーーー
【ステルス・ロジスティクスの未来】
ツェンドリカ組の本拠地(蜂の巣)には、次世代の命を育むに十分すぎるほどの、見事な肉ダンゴが山のように積み上げられていた。
ツェンドリカが考案した第1回ロジスティクス改革は、大成功という形で幕を閉じたのだ。
「皆、ご苦労であった。予想を上回る成果だ。……ふむ、今後は輸送の物理的負荷(重量制限)に特化した、いわば『トランスポート特化型』の個体育成も視野に入れるべきだな。成功すれば、我が巣は新種の傍系として、世界の昆虫学会に名を刻むことになるだろう」
誇らしげに胸を張るツェンドリカの言葉は、決して大げさな夢物語ではなかった。
実際、現代の地球におけるスズメバチ属を取り巻く環境は、文字通り生存の危機に瀕している。
北米大陸を揺るがした一大ニュースが、それを証明していた。
***
2019年に外来種としての侵入が確認されて以来、現地で「殺人スズメバチ(Murder Hornet / Asian giant hornet)」として恐れられていたオオスズメバチ。だが、人間の地元当局による長年の徹底した最先端テクノロジーを用いた捜索と、容赦のない巣の破壊活動により、2024年12月、ついに「正式な根絶」が宣言されたのだ。
人間たちの、種を根絶やしにするほどの執念と包囲網。それに抗うための答えが、ツェンドリカの提示した新システムだった。
「このロジスティクス改革は、単なる効率化ではない。我々が人間社会の裏で生き残るための、絶対的な『生存戦略』なのだ」
ツェンドリカは、美しい翅を静かに震わせながら、ウーカン、ヒチョウ、そして湧き水のペットボトルキャップを片付け終えたユキオを見据えた。
「従来のスズメバチは、狩場である人間の畑や果樹園の近くに巣を作らざるを得なかった。輸送距離を短くするためだ。だが、それでは人間にすぐ見つかり、駆除される。……ならばどうする? 答えは、人間が絶対に立ち入れない山奥深く、あるいは都会の死角に本拠地を隠匿することだ。そして、今回ユキオが担ったような『中継キャンプ地』をゲリラ的に配置し、前線から最速でリレー輸送する」
これこそが、ツェンドリカが創設した前代未聞の狩猟手法。
巣の場所を特定させず、されど前線の生産性を一ミリも落とさない。人間から見れば「どこからともなく現れ、獲物を奪って霧のように消える」幻のようなネットワーク。
「容易に本拠地を見つけられない仕組み……。フッ、暗殺者、あるいは東洋の『忍び』のようなスズメバチがこれからの主流となる。持続可能な生態系に組み込まれて、未来にDNAを遺していけるのだ」
ツェンドリカが不敵に微笑む。その冷徹にして完璧なプレゼンテーションに、ウーカンは深く首を垂れ、ヒチョウは「ニヤリ」と凶悪な大顎を鳴らした。
(なんか……俺、とんでもない戦略イノベーションのバトンタッチ役にされてた気がする……)
囚人服姿のユキオは、冷や汗を流しながらその光景を見つめていた。自分がヒマワリの根元でせっせと肉ダンゴを並べていたあの単純作業が、まさかスズメバチの歴史をひっくり返す大革命だったとは。
――ユキオはまだ知らない。
この日、高柳家の二階から始まった奇妙な「受け子」のシステムが、スズメバチの生態を根本から変える学術的特異点となったことを。
そして20年後の未来、とある高名な昆虫学会の壇上で、『中継輸送デポを導入した真社会性ヴェスパ属におけるステルス性ロジスティクスとその生存優位性』という驚天動地の論文が発表され、世界中の学者たちを驚愕させることになる大研究の、これが記念すべき第一歩だったということを。
「よし、ユキオ。明日も朝からキャンプ地の設営だ。5S〔注〕活動を怠るなよ?」
「う、ういっす……(20年後に名前載せてくれるなら、まぁいっか……)」
ーーー
「あ」
ふと、ユキオの脳裏に電流のような戦慄が走った。
ツェンドリカ組の闇バイトにかまけて、自分のリアルな日常のタイムスケジュールを急に思い出した。
「今日……土曜日だけど、午後から学校の理科クラブの活動があるの、すっかり忘れてたァァァ!!!」
そのとき、机の上に放り出されていたスマートフォンが、けたたましくアラーム音を鳴り響かせた。現実世界への帰還の合図だ。
ジワリ、と視界が歪む。
カプセルの中の蜂の巣、強面のウーカンやヒチョウ、そして美しき女王ツェンドリカの姿が、引き潮のように遠ざかっていく。それと同時に、縮んでいたユキオの身体は急激に膨張し、いつもの見慣れたTシャツとジーンズ姿――「等身大の男子高校生」へと一瞬で戻っていった。
「うわっとっと! 戻った!」
自分の手足の大きさを確認する暇すらない。時計の針はすでにリミット寸前を指している。
「やばい、遅刻する! 急いで部屋に戻って学校に行く準備しないと!」
ユキオはベッドから跳ね起きると、机の上のノートや教科書を文字通り乱雑に引っ掴み、通学バッグへ無理やり押し込んだ。スズメバチの野営地で見せたあの几帳面な5S〔注〕活動はどこへやら、今はただのパニック状態の男子高校生である。
「ツェンドリカ、みんな、また後で!」
カプセルに向かって一言叫ぶや否や、ユキオは部屋のドアを激しく蹴破るようにして開け、階段を二段飛ばしで駆け下りた。
「いってきま〜す!!」
玄関を飛び出し、全力のダッシュで初夏のストリートを駆け抜けていく。
さっきまで時速60キロのオニヤンマに怯えていたユキオだったが、今はそれ以上の必死さで、学校の理科室めがけて猛スピードで突っ走るのだった。
〔注〕5Sとは、職場環境を改善し業務効率を高めるための活動で、「整理・整頓・清掃・清潔・しつけ」の5つのSから成ります。不要物の排除や作業環境の維持、ルール遵守を徹底することで、効率向上や事故防止、不良削減、従業員の意識向上につながります。




