buzz.20 ミツバチとクロマルハナバチの探訪記
一方その頃。スズメバチのブラック企業の業務見習いとなったユキオが社畜バチとして過労死の危機に瀕しているとは露知らず、厨子市の青空には、のんびりと空中散歩を楽しむ二人の少女――もとい、二つの群体の姿があった。
「ふぇぇ……ミェリナ、お腹すいた〜。もう飛べないよ〜」
だらしなく手足をぶら下げて気流に流されているのは、マルハナバチの女王・クロ。見た目は16歳の脱力系女子高生だが、その本質はゴンドワナ大陸時代からなんとなくムラ社会を運営してきた、のんびり生きる老舗の主である。
「しっかりしなさい、クロ。私たちは今、この地域の持続可能な糖質調査のため、秋の最重要任務である『蜜源探索』を行っているのです」
隣を涼しい顔で飛ぶのは、ミツバチの女王・ミェリナ。こちらは三畳紀の創業から続く真社会性生物としてのプライドを胸に、人類文明研究に余念が無いインテリ女王だ。最近ではユキオのパソコン操作も覚えて、インターネットによる情報収集にも力を入れている。
「えー、だって、ツェンドリカが『高柳家は私が掌握する!』って張り切ってたから、お留守番は任せて美味しいもの食べに行こうってミェリナが言ったんじゃん〜」
「それはリスク分散と市場調査を兼ねた業務委託です。……おや、ご覧なさいクロ。あそこの一般家屋の庭先です。実に見事な『市の花』が咲いていますよ」
ミェリナが美しく整った指先で地上を指さした。そこには、どこかエキゾチックな花が可憐に咲き誇っていた。
「あの花の名前を僕達はまだ知らない、よね?」
クロが前にユキオと一緒に見て回った時は気がつかなかった。上品な紫色の斑点模様を持った花である。
「あれはホトトギスといいます。鳥の名前にもあるけど、ユリ科の花です。学名は Tricyrtis hirta。開花時期は8月下旬から11月頃。種類によっては7月から咲く気の早いものもあるけど、一般的な見頃はまさにこれから、9月から10月頃にかけてですね」
ミェリナは空中で、ネットで貯えた脳内データを確認しながら解説を続ける。
「このホトトギス、実は私たち訪花昆虫にとって、晩夏から秋にかけての極めて重要な『経営資源(蜜源&花粉源)』です。この時期は花が少なくなりますから、まさにニッチ市場を独占する優良企業のような植物ですね」
「へぇ〜、さすがミェリナ、詳しい〜。あ、蜜はどんな味かな? じゅるり…」
クロが口元をぬぐう。ミェリナはため息をつきながらも、老舗事業主としての解説の手を緩めない。
「ただ食べるだけではなく、植物の『戦略』にも注目しなさい。ホトトギスは、花弁の奥深くに蜜を分泌する構造になっています。昆虫がその奥にある蜜を吸おうと頭を突っ込むと、ちょうど上にある雄しべが、昆虫の背中に効率よく花粉を擦り付ける仕組みになっているのです。実によくできた Win-Win のビジネスモデル(送粉共生)だと思いませんか?」
「えー、背中に花粉がつくの? なんか粉っぽくてやだなぁ。クロ、お家に帰って分子共鳴転移装置のカプセルで、ゴロゴロしながらリフレッシュしたい〜」
「これだからムラ社会ののんびり体質は……。いいですか、花粉は次世代の貴重なタンパク源です。ほら、文句を言わずにサンプルを採取しに行きますよ」
「はーい……。美味しい蜜だといいなぁ」
残暑の厳しい秋の空。二匹の女王は、ためになる植物講座を繰り広げながら、やっぱりどこか緊張感のない様子で、紫の花をめがけてふわりと舞い降りていくのだった。
ーーー
ホトトギスの花をひと通り観察し終えたミェリナとクロは、さらに風に乗って、厨子市の海岸沿いへとやってきていた。
青い海と、ジリジリと照りつける砂浜。残暑の潮風が二人の髪を揺らす。
「ふぇぇ……海だぁ……。砂浜って歩きにくいし、照り返しが暑いよぉ……」
クロは砂の上にへたり込み、完全に液体化しかけていた。
「シャキッとしなさいクロ。海辺だからといってバカンスに来たわけではありません。見なさい、この過酷な砂地にも、私たちの伝統事業の次期主力事業になり得る『超優良銘柄』が潜んでいるのです」
ミェリナが鋭い目で見つけたのは、海岸の岩場に力強く根を張り、トゲのある鮮やかな紫色の花を咲かせている植物だった。
「あ、アザミだ〜。触るとチクチクして痛いやつ〜」
「ただのアザミではありません。これは『ハマアザミ』。本州、四国、九州の海岸沿いに自生する、訪花昆虫業界では知る人ぞ知るトップベンチャーです。これがどれほど優れた蜜源植物か、老舗の経営コンサルタントとして解説してあげましょう」
ミェリナは得意の「ビジネスライク植物講座」のスイッチを入れた。
「まず、特筆すべきはその『長期にわたる安定した開花期間』です。一般的な花が店仕舞いを始める7月から、なんと寒さの厳しい12月頃まで、非常に長い期間花を咲かせ続けます。他の競合他社(花)が倒産、もとい枯れていく秋から初冬にかけて、独占的に蜜を提供してくれる貴重なインフラなのです」
「へぇ〜、年中無休のコンビニみたいだねぇ。あ、ちょうちょさんがいる〜」
クロの視線の先では、大きなアゲハチョウが夢中で花に頭を突っ込んでいた。
「ええ。その『高い顧客誘引効果(マーケティング力)』も魅力です。アゲハチョウの仲間はもちろん、我らミツバチ属もこぞってこの花に引き寄せられます。さらに、アザミ類は蜜の分泌量が非常に豊富で、そこから採れるはちみつは極めて良質。まさに高利益率を叩き出す、蜜源界のダイヤモンドと言えます」
「えっ、高級はちみつ!? じゅるり……。じゃあさ、これをお家に持って帰って、高柳家の庭にいっぱい植えたら、クロ、毎日働かなくても蜜食べ放題だよね!?」
だらけきったマルハナバチの女王は、名案を思いついたとばかりに目を輝かせた。しかし、ミェリナはフッと冷ややかな笑みを浮かべる。
「甘いですね、クロ。もしこれを庭や畑で『新規事業(栽培)』として展開する場合、ビジネス環境の適応を厳しく見極める必要があります」
「環境……?」
「ハマアザミは、元々が海岸の砂地や岩場という、極限状態を生き抜いてきた叩き上げの植物です。そのため、育てるには『水はけが最高に良く、日当たりの良い環境』が絶対条件。過保護に水をやりすぎたり、日陰に置いたりすれば、一発で事業破綻(根腐れ)します。高柳家の庭の土壌スペックでは、相応のインフラ投資(土壌改良)が必要不可欠でしょう」
「うぇぇ……お花のくせに注文が多いなぁ……」
クロは再び砂浜にごろ寝して、空を仰いだ。
「ま、難しいことはミェリナに任せる〜。クロはとりあえず、あのハマアザミの蜜、ちょっとだけ味見してきまーす」
「あ、ずるいですクロ! 抜け駆けは許しません、クオリティの検品は私が――」
知的で厳しい講義はどこへやら、高級な蜜の香りに誘われて、結局は二匹揃って花へと群がっていく。残暑の海岸線には、老舗ハチの女王たちによる、なんとも微笑ましくも騒がしい羽音が響き渡るのだった。
ーーー
ハマアザミの蜜をひと通り堪能したミェリナとクロは、さらに砂浜を進んだ。
残暑の風が吹き抜けるたび、どこからか、まるで良質なアロマショップのような清涼感のある香りが漂ってくる。
「ふえぇ……ミェリナ、なんかいい匂いがする〜。誰か砂浜でハーブティーでも飲んでるのかなぁ?」
クロが鼻をクンクンと鳴らしながら、砂地に広がる緑の絨毯のような茂みを見つめた。そこには、涼しげな青紫色の小さな花がたくさん咲いている。
「いえ、これはお茶ではありません。見てみなさいクロ、これこそが我が訪花昆虫業界で『リラクゼーション部門の隠れた傑作』と名高い、シソ科の海浜植物『ハマゴウ』です」
ミェリナはストローハットのつばを軽く指で上げ、パレオを揺らしながら解説を始めた。
「このハマゴウ、開花時期はまさに今、7月から9月頃のちょうど残暑が厳しい季節です。ご覧の通り、枝先に涼しげな青紫色の花をつけるのですが、最大の特徴はこの『ハーブのような爽やかな芳香』にあります。この香りと、豊富に含まれる蜜や花粉に引き寄せられて、私たちミツバチや他のハナバチたちがこぞって集まる、まさに最高水準の『採餌環境』なのです」
「へぇ〜、すごく落ち着く匂い〜。クロ、ここでこのままお昼寝したいなぁ……」
砂浜に寝転がろうとするクロを、ミェリナはぴしゃりと制した。
「寝ている場合ではありません! このハマゴウの真の価値は、その『最終製品(蜂蜜)』にあります。ハマゴウを蜜源とした蜂蜜がどんな味か、老舗の事業主として知っていますか?」
「えー? シソの仲間だから、なんかスースーするの?」
「ノン。驚くことなかれ、ハマゴウの蜂蜜は、黒蜜や黒糖、さらには梅をも連想させる、極めて『複層的な香りと濃厚で奥深い甘み』が特徴なのです。ハーブのような花から、そんな和菓子のように深みのある濃厚な蜜が採れる……このギャップこそが、目の肥えたバイヤー(ハチ)たちを唸らせるポイントです」
「く、黒蜜……!? 梅……!?」
クロの目が一気に輝き、ゴンドワナ大陸ののんびり遺伝子が「食べたい」と激しく主張を始めた。
「日本ではあまり流通していない非常に珍しい蜂蜜ですが、台湾などでは伝統的に生産され、最高級の評価を受けているのですよ」
「台湾! 本場のタピオカの上にかかってそうな味だね! ミェリナ、これ今すぐ取れるだけ持って帰ろう! 高柳家のキッチンで、静江さんに黒蜜トースト作ってもらうんだ〜!」
「勝手に持って帰ってはいけません! ハマゴウは砂浜の生態系を守る大切な植物です。……まぁ、現地での『試食検品』なら、老舗の権利として許される範疇ですが」
「やったぁ! じゃあ、どっちがたくさん黒蜜味を見つけられるか競争ね!」
青い海と白い砂浜、そしてハマゴウの爽やかな香りに包まれながら、二匹の女王は水着姿のまま、夢中で青紫の花々へと飛び込んでいく。残暑の海岸には、濃厚な甘い香りに負けないくらい、賑やかでほんわかとした羽音がいつまでも響いていた。




