buzz.19 スズメバチ(ブラック企業)の教育実習
「限度というものはだな! だいたいお前は――」
熱弁を振るうユキオの声を BGM に、ツェンドリカは退屈そうに指先で髪の毛の先をくるくると弄んでいたが、ふと思い出したようにポンと手を打った。
「そういえば、ユキオ。お前は生態系の仕組みとやらを、俺たちから学ばねばならない立場だったな?」
「……え?」
説教の腰を折られたユキオは、指をさした姿勢のまま固まった。
ツェンドリカの涼しげな一言によって、自分がこの夏、邑人から課された本来の目的――『恒星域観測士』の合格に向けた勉強――を思い出したのだ。
「あ、そうだ! こんなことしてる場合じゃなかった! 学校のクラブ活動は午後からだから、今のうちにミェリナを呼び出して、地球の持続可能性とか環境についての講義を受けないと……!」
焦って『分子共鳴転移装置』の金属箱に手を伸ばすユキオを見て、ツェンドリカは「ふん」と鼻で笑った。
「無駄だ。ミェリナなら、朝からクロを連れて、この地域の『蜜源探索』に出かけているぞ」
「はぁ!?」
ユキオはひっくり返った声を上げた。
「お前ら、自由に出歩きすぎだろ! 女子高生の見た目で街中をうろつかれたら、別の意味で警察官から職質されるわ! ……あーーもう! 今度から、一週間分の行動計画書を事前に俺へ提出してもらうようにしよう。そうしよう!」
頭を抱えるユキオに対し、ツェンドリカはふふんと胸を張る。
「行動計画書だと? そんな紙切れに収まるか。今の時期、俺たちの『生態系の大仕事』は文字通りたっぷりあるのだからな」
「大仕事って……ただのご近所徘徊だろ?」
「無知め。教えてやる」
ツェンドリカはすっと人差し指を立て、急にドヤ顔でレクチャーを始めた。
「いまは人間たちの暦で9月。我らスズメバチ属(ヴェスパ)にとっては、一年で最も活動が活発になる、命がけの超繁忙期なのだ!」
ツェンドリカの解説によれば、この時期のスズメバチは、巣の中で腹を空かせて待つ幼虫たちのために「肉(他の昆虫)」を猛烈に狩り集めなければならない。それと同時に、自分たちの即効性エネルギー源となる「樹液や花の蜜(糖分)」も激しく求めて、文字通り東奔西走しているのだという。
「特に秋はな、次世代を担う新女王やオス蜂が羽化する、我が老舗事業の命運をかけた一大プロジェクトの時期なのだ。つまり、圧倒的な栄養補給が必要! 食って、狩って、飛び回り、巣を拡大して幼虫を育成する! 寝る間もないのだぞ!」
熱弁するツェンドリカの背後に、一瞬、巨大なスズメバチの幻影(と、ブブブブンという凶悪な重低音)が見えた気がして、ユキオは思わず一歩引いた。
「なるほど、生態学的にはすごく勉強になるけど……」
ユキオは引きつった笑いを浮かべ、そっと窓の外を見た。
「それって要するに、今の時期のお前らは、一年で一番攻撃的で、一番お腹を空かせてて、一番ピリピリしてるっていう……俗に言う『凶暴戦士モード』の危険生物ってことじゃねえか!!」
「フハハハ! 褒めるな、照れるではないか!」
「褒めてない! 頼むから、平和に暮らすご近所さんたちを威嚇するなよ!?――とにかく、スズメバチの生態も勉強しておく必要があるな」
「話が早い。そうと決まれば、早速出陣だな」
ツェンドリカはニヤリと不敵な笑みを浮かべると、ユキオの前にすっと立ちはだかった。そして、人間の女子高生の華奢な手からは想像もつかない万力のような力で、ユキオの首の付け根あたりをむんずと掴んだ。
「うわっ! な、何をするんだ――」
抗議しようとしたユキオの言葉は、そこで途切れた。
ツェンドリカが、その強烈な目力でユキオの目の奥をじっと見つめてきたのだ。それはスズメバチの女王が持つ、神経圧迫の意識操作とサイオニック(精神感応)の融合技。
(あ、これ、絶対やばい電気信号が脳に直撃してる……!)
そう察した瞬間にはもう遅く、ユキオの意識は急激な睡魔の淵へと真っ逆さまに堕ちていった。
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「……おい、起きろ。いつまで寝ている」
ツェンドリカの声に、ユキオはハッと目を覚ました。
だが、視界に飛び込んできた光景に、ユキオは自分の目を疑った。
目の前にいるツェンドリカは、いつの間にか物々しい装甲の鎧を身に纏い、武器を携えて武装している。そして彼女の両脇には、これまた見たこともない厳つい装備を固めた、やたらと体格のいい2匹の「スズメバチ」が立っていた。
「目が覚めたようだな。紹介しておこう、俺の側近――ウーカンと、ヒチョウだ」
2匹はいずれも最強の捕食者であるスズメバチの護衛にふさわしく、物騒な武器をギラつかせながら、冷ややかな視線でユキオを見下ろしている。
ユキオを冷たく見下ろす二匹の側近のうち、左側に佇む一匹――「ウーカン」の姿は、まさに戦場を統べる武神そのものだった。
その手には、自身の体長ほどもある、ずっしりと重々しい「青龍刀」に酷似した大刀が握られている。鋭利に研ぎ澄まされた刃先は、スズメバチの甲殻とは違った碧色と、鈍い金色の輝きを放ち、近づくだけで肌がヒリつくような威圧感を放っていた。
何より異彩を放っていたのは、その頭部から背へと流れる長い髪だ。
漆黒の長髪は、細く見事な三つ編みに編み込まれており、精神世界の風を受けて静かに、かつ厳かにたなびいている。その独特の風貌は、単なる獰猛な肉食昆虫の枠を超え、独自の美学と規律を持つ「将」の風格を醸し出していた。
「……フン」
ウーカンは侮蔑のような細い息をもらし、ユキオへときりりとした眼差しを向ける。
その(複)眼の奥に宿る光は、ただ獲物を貪るだけの捕食者のそれではない。数多の過酷な前線を潜り抜け、幾度もの秋の総力戦を生き抜いてきた「歴戦の強者」だけが持つ、深く、冷徹な知性の輝きだった。
大刀の柄を握る手には一切の無駄な力みがなく、いつでも一瞬で敵の首を跳ね飛ばせる完璧な残心が保たれている。
「ツェンドリカ様、このしおれたレタスのような男が、本当に我が群れの役に立つのですか?」
三つ編みを揺らし、青龍刀を軽々と片手で回すような仕草を見せるウーカン。その一挙手一投足があまりに絵になりすぎていて、ユキオは「うわ、こいつマジで強いやつだ……」と、完全に気圧されてガチガチに固まるしかなかった。
もう一匹の側近――ヒチョウは、剥き出しの闘争心を滾らせる仁王のような威厳を発していた。
その左手には、まるで悪魔の角を思わせる、禍々しく尖った「三叉の矛」が握られている。陽光を浴びてぎらりと鈍く光る矛先は、幾多の敵を貫き、文字通り肉塊に変えてきた生々しい戦歴を物語っていた。
そして、ウーカンの漆黒の三つ編みとは対照的に、ヒチョウの頭部からは炎のように鮮やかな「赤く長い髪」が伸び、精神世界の風に激しく揺れている。その姿はまるで、戦場に咲く不吉な彼岸花のようでもあり、一瞥しただけで「関わってはならない狂戦士」だと本能が理解させられる。
「ちっ……」
ヒチョウは、ペロリと大顎を舐めまわすと、ユキオを上から下まで、それこそキッチンの一隅にある「生ゴミ」でも見るような蔑みの目で見つめた。
「ツェンドリカ様、こいつを肉団子に加工したところで、大して栄養価もありゃしませんぜ。我が巣の幼虫たちに食わせたら、かえって発育が悪くなりそうだ」
冷酷な値踏みの言葉。スズメバチにとって、獲物を肉団子に効率よく加工することは、秋の最重要任務だ。そのプロフェッショナルであるヒチョウの目は、しおれたレタスのようなユキオに一ミリの価値も見出していないようだった。
三叉の矛を軽く振り払い、肩に担ぎ直すその肉体は、他を圧倒するほどの強靭な甲殻に覆われている。「ウーカン」と同じく、女王の最側近として幾多の修羅場をくぐり抜けてきた猛者であることは、その立ち姿から一目瞭然だった。
「これじゃあまるでしおれたレタスだ。アオムシすら寄りつかんぞ」
「ヒチョウ」が、がははと下品に笑う。
「……レタス!? アオムシ!?」
言われたユキオは、そこでようやく自分の異変に気がついた。
慌てて自分の手元を見る。衣服が、黒と黄色の禍々しいボーダーになっている。羽もある。どうやら、自分自身も一匹のスズメバチに精神融合させられているらしかった。
しかし、その姿はツェンドリカたちのスマートで強そうな武装とは程遠いものだった。
黄色と黒の縞模様のバランスが悪く、なんだか囚人服を着せられて「刑務所から脱走してきたばかり」にしか見えないのだ。圧倒的に弱そうである。
「ちょっと待て! なんで俺だけこんな泥棒みたいな格好なんだよ! あと、勝手に人を拉致して出陣するな!」
囚人服風のスズメバチ(ユキオ)が必死に羽を震わせて抗議するが、ツェンドリカは「フッ、贅沢を言うな」と一蹴した。
「さあ行くぞ、ユキオ。我が精鋭たちと共に、9月の過酷な前線を生き抜くのだ!」
「いや、俺は午後から理科クラブがあるんだってばーーー!?」
頼りない囚人バチの悲鳴を無視して、高柳家の二階の一室から飛び立つ、4匹のスズメバチの猛々しい羽音が響き渡るのだった。




