buzz.2 銀色のパンドラ(開封済み)
今にして思えば、夏休みの終わりの開放感と、叔母の家の居心地の良さに毒されていたのだ。
親戚の家で見知らぬ男から「これを預かってくれ」と銀色の小箱を差し出されたとき、ユキオは「ああ、なんかタイムカプセル的なエモいイベントかな?」と軽い気持ちで受け取ってしまった。
『一年後にまた会おう。それが君の課題だ』
去り際に男が残した言葉は、ハードボイルドな映画のワンシーンのようで格好良かった。だが、自宅に戻ってから、好奇心に負けてその箱を開けてしまった瞬間、ユキオの人生の「ジャンル」は、穏やかな青春ドラマから制御不能な非日常へと叩き落とされたのである。
「……で、その箱から出てきたのが、お前らなんだよな」
ユキオは膝をついたまま、改めて目の前の光景を絶望の目で見つめた。
机の前で、厳格な威圧感を放ちながらマウスを握っているのが、ミツバチのミェリナだ。
彼女は「指導教官」を自称し、ユキオのパソコンの閲覧履歴を確認している。主に「レポート 書き方 楽」といった妥協の跡を、冷徹な目で見定めていた。
「そうよ。あの銀色の箱は、私たちの休眠カプセル。あなたが封印を解いた以上、あなたは私たちの『観測対象』であり、『保護対象』。……まずは、このデスクトップの散らかり具合から矯正が必要ね」
「余計なお世話だよ!」
そして、ユキオのベッドを自室、あるいは自分の巣であるかのように占拠しているのが、マルハナバチのクロ。先ほどまで漫画を読みふけっていた彼女は、今や「糖質」への期待感から、もし尻尾があるなら全力で振り回さんばかりの勢いで身を乗り出している。
「まーまー、ミェリナも硬いこと言わないの。ユキオが箱を開けてくれたおかげで、こうして美味しいお菓子にありつけるんだからさ〜。あ、ユキオ、お母さんに『生クリーム増量で』って追加注文してきてよ」
「俺をパシリに使うな! あと、お前、スカートの防御力がゼロだぞ!」
ユキオは叫びながら、部屋全体を見回すと、背筋も凍る事態に気がついてしまった。
銀色の箱は、蓋が開いて、三つのカプセルのキャップが外れていた。
とすると、この部屋にはもう一人の蜂がいるはずではないか。
三体目——ツェンドリカ。
彼女の姿が見えない。
「……アオムシでも捕食に出かけたのか?」
どこにいるかは分からないが、時折、背筋に冷たい刃を突きつけられたような視線を感じる。絶対に、一番怒らせてはいけないタイプだ。
「……ミェリナ、一つ聞いていいか」
「何かしら、教え子のユキオ」
「その、姿が見えないツェンドリカって、今どこに……?」
ミェリナは画面から目を離さず、淡々と告げた。
「彼女? たぶん天井の隅か、あなたの影の中に潜伏しているわ。彼女は『排除』が専門だから。……お母様が持ってくるお菓子に毒が入っていないか、今ごろ検食しているんじゃないかしら」
「物騒すぎるだろ!!」
ユキオのベッドの下には、得体の知れない金属で作られた、およそ人類の文明の産物とは思えないオーパーツが隠されている。
銀色の小箱。
それは、一年後の再会まで、蓋を開けるたびにユキオのありふれた昨日を跡形もなく粉砕し、逃げ場のない異界へと引きずり込む「呪われた課題」だったのである。
「ユキオ〜、ケーキ持ってきたわよ〜!」
階段を上ってくる母の足音。
ユキオは悟った。今日から始まるのは「課題」なんて高尚なものではない。
これは、三匹の「蜂」たちに日夜振り回され、母親に言い訳し続け、胃に穴が開くのを耐え忍ぶ「生存戦略」なのだと。
次はどんなトラブルが飛んでくるのか?
ユキオの問いに答えるのは、クロの豪快な欠伸と、ミェリナが叩き出す無機質なキーボードの打鍵音だけだった。




