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女王蜂に育てられた俺~宇宙最難関資格に挑む  作者: 和子


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buzz.16 わが街、空中散歩


「うわああああっ! 飛んでる、僕、本当に飛んでる……っ!」


 ユキオの意識は今、丸っこくてふさふさしたクロマルハナバチの肉体と同調し、厨子市の高度数十メートルを猛烈なスピードで突き進んでいた。

挿絵(By みてみん)

 16年の人生の中で、ユキオはまだ一度も飛行機に乗ったことがない。だからこれが、生まれて初めて体験する「本物の空からの景色」だった。それも地図のデータではない、リアルタイムに脈動するわが街の姿であった。


「ああっ、車や人が小さく動いてる! 遠くの海には船も見えるぞ! ……でも、なんだか全体的に景色がぼうっとしてるなぁ」


 そう、ハチの視力は人間の基準で言えば「0.01」程度。わずか3メートル先ですら、ピントを合わせるのが難しいほど強烈な近眼なのだ。


 しかし、その代わりに彼らの動体視力は神の領域にある。景色はモザイクのように霞んでいても、動くものの気配だけはレーダーのように一瞬で捉えることができる。これこそが、天敵である鳥やカマキリの奇襲から身を守るための最強の防衛システム。


 ユキオの頭部には、形や動きを検知する巨大な2つの「複眼」と、光の明暗をシビアに感知する3つの「単眼」、合わせて5つの目が搭載されていた。


『見習いのユキオ、きょろきょろしてると酔うわよ。それより世界の色をよーく見ておいてね』


 並走してホバリングするクロ(蜂)から念波が届く。

言われて気づいた。ユキオの目に映る世界には、なぜか「赤色」が存在しなかった。ハチの眼は赤を認識できず、ただの黒い影に見える。その代わり、人間には見えない「紫外線」が網膜を鮮烈に灼いていた。


(すごい……! 街が、光の模様で溢れてる!)


 緑の葉は鮮やかに、青い空はどこまでも深く。そして何より、庭先や道端に咲く花々が、紫外線のおかげで「ここに極上の蜜があるよ!」と言わんばかりに、怪しくも美しいネオンサインのように発光して見えるのだ。


『さあ、お喋りはここまで。サボってちゃお腹が空いちゃうわ。私たちは2億年の老舗の事業主なんだから、今からその伝統技能を開始するわよ!』


 クロマルハナバチは、低温に強く17℃以上であれば活発に行動するのハチだ。その愛らしい見た目とは裏腹に、行動特性は超ハードワーカー。なんと1匹で1日に数千もの花を訪れ、花粉と蜜を集め尽くす。


「よし、あそこの花をロック・オン!」


 ユキオは羽音を響かせ、光り輝く夏の花へとダイブした。花弁にしがみつくと、ハチの肉体が本能を呼び覚ます。


『いいですか、見習いさん? 花粉はただ撫でるだけじゃ落ちないわよ。こうやるの!』


 クロの指示通り、ユキオは花にしっかりと掴まり、胸部の筋肉を思い切り「ブブブブブブブブッ!!!」と激しく振動させた。


 まるで超小型のバイブレーターになったかのような強烈なハミング。この超高速の振動こそが、花の奥に隠された花粉を豪快に振るい落とすマルハナバチの必殺技だった。


(うおおお、すごい振動! でもこれ、めちゃくちゃ気持ちいい……!)


 飛び散る花粉が、脚の毛にどんどん絡みついていく。この効率的な集粉システムこそ、人間たちの農業(特にトマトなどのハウス栽培)において「最強の授粉エージェント」として重宝される理由そのものだった。


『私たちの活動エリアは、巣(高柳家)を中心に半径約800メートル圏内。このエリアの糖質を、一滴残らず私たちのものにするのよ!』


 気がつけばユキオは、勉強の疲れも、肩の張りも、自分が人間であることすら忘れていた。

5つの目で光と影を追い、胸を震わせて花と対話する。16歳の夏、ユキオは厨子市の風になり、完璧な生態系の一部として、黄金に輝く空中散歩を満喫していた。


 30分ほど、あちこちの花をせわしなく飛び渡り、ユキオは体感として「ハチの営み」というものを骨の髄まで理解し始めていた。


 世界は驚くほどにダイナミックで、そして残酷だ。

途中、巨大な戦闘機さながらに迫り来るオニヤンマと遭遇した時は、本能的な恐怖で文字通り全身の()(ふさふさのハチ毛)が逆立った。しかし同時に、不思議なほど冷徹な悟りもあった。


(もしここで食べられたとしても、それも生態系のサイクルの一部なんだよな……)


 そう、彼らの実体は「群体、巣ごと」である。働き蜂の殉職など、老舗の事業主たる彼らにとっては、予算内の「必要経費」に過ぎない。なにより、もしここで捕食されてこの肉体が死んだとしても、意識はただ二階の部屋でぬくぬくと眠っているふたりの肉体へとパッと戻るだけなのだ。いわば、これは最高にリアルなフルダイブ型VRゲームのようなものである。


 とはいえ、ユキオはふと気になって、隣で大きな花粉だんごを後ろ脚にくっつけているクロに念波を送ってみた。


「なぁクロ、ミツバチのミェリナたちの巣に比べて、マルハナバチの巣って数百匹程度しかいないんだろ? だったらRPGのコマンドで言うところの、『いのちだいじに』作戦でいかないと、すぐに労働力不足で倒産しちゃうんじゃないか?」


 すると、クロは空中で一回転の宙返りをキメて、実にお気楽な調子で答えた。


『だいじょーぶ、だいじょーぶ! 私がばんばん卵産んでいくからね! 産めよ増やせよ大作戦! 全員で巣を盛り上げるわよ、ファイトォーッ!』


「いや、女王みずから随分と体育会系だな!」


 なるほど、とユキオは納得した。それだけハイペースで出産と増員を繰り返すのだから、ガソリンとなる“糖質”エネルギーが尋常ではないほど必要なわけである。だからこそ、彼女はコンビニのポップキャンディーにあそこまで目を輝かせ、今はこうして狂ったように花の蜜をハントしているのだ。


 すると、クロはちょっとだけきまり悪そうに、前脚で触角をこすった。


『まあ、私の場合……採った蜜は自分でけっこう食べちゃうんだけどねー。でも、お腹いっぱいになると、ふと巣で待ってる女王様(本来の自分)や子供たちの顔がよぎるのよね。だから、一応少しは巣に持って帰るようにはしていまーす!』


「一応かよ! あと自分の顔を思い浮かべるの、ちょっとシュールだな!」


『細かいことはいいの! ほら、次のハイビスカスが見えたわよ! 糖質、糖質、レッツゴー!』


 丸っこいお尻をブンブンと振らせながら、楽しげに次の獲物へと突撃していくクロ。

人間世界の難解な参考書を開くよりもずっと深く、ユキオは地球の生命のたくましさと、圧倒的な「糖質へのパッション」を、今はその小さな体で学び取っていくのだった。

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