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女王蜂に育てられた俺~宇宙最難関資格に挑む  作者: 和子


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buzz.12 春から秋への花暦(はなごよみ)


 ガタン、ゴトン。


 東琵琶湖(ひがしびわこ)鉄道の車輪が刻むリズムをBGMに、ミェリナの声はどこまでも澄んで響いた。彼女は窓の外を流れる名もなき野山を、愛おしむような、あるいは冷徹に品定めするような目で見つめている。


「ユキオ、私たちミツバチは常に、巣を中心に半径二~三キロという広大な範囲を偵察しているのよ。良いレンゲ畑、良い蜜源を見逃さないためにね」


 彼女は背筋を伸ばし、その理知的な眼差しをユキオに向けた。


「中には、人間に巣箱を運ばせる仲間もいるわ。暖かくなるにつれて開花時期が北上していくのを追うように、列島を移動していくの。これは、私たちが長年人間に蜜を与え続けることで、『私たちがより効率的に働けるように人間を動かす』ことに成功した成果。一種の家畜化……いいえ、共生という名の支配ね」


 ユキオは、あまりにもスケールの大きな「蜂の外交術」に言葉を失った。人間が蜂を利用しているのではなく、蜂が人間に自分たちを運ばせている――その視点の転換は、恒星域観測士を目指す彼にとって衝撃だった。


「じゃあ、移動しない、定住しているミツバチはどうするか。それは純粋に『知恵』の勝負よ。一年中、野に咲き続ける花々を正確に把握し、命を繋いでいく。そのためには、季節の花を最も効率よく利用しなければならない。私たちのカレンダー……『花暦』が必要なの」


()()(はなごよみ)……」


ユキオがその言葉をなぞるように呟くと、隣で暇を持て余していたツェンドリカが鼻で笑った。


「フン、理屈っぽいねえ、ミェリナは。要するに、いつどこに獲物がいるか熟知してねえと、冬を越せねえって話だろ? 俺らにとっちゃ、それは蜜じゃなくて、『狩る肉』の違いだがな」


「あら、本質は同じですわ。美しく咲く花を愛でるのも、そこに集まる獲物を狙うのも、生態系という巨大なシステムの一部。ユキオ、あなたが学ぼうとしている『観測士』の視点とは、この花暦(はなごよみ)を宇宙規模に広げたものだと理解なさい」


 ユキオは窓際に置いた銀の箱に目を落とした。

ミツバチが早春のイヌフグリから晩秋のミゾソバまでを繋ぐように、自分もまた、一見無関係に見える知識の断片を繋いでいかなければならない。


「……まずは、この東琵琶湖沿いに咲いている花の名前から、覚えた方がよさそうだね」


 ユキオの言葉に、クロが隣で「春になれば、またあそこら辺に美味しいレンゲが咲くんだろうな」と窓に鼻を押し付けた。5月ぐらいまでにレンゲは畑に鋤き込まれ、肥料となっている。


 ガタン、と電車が揺れる。

夏の光を浴びながら、赤字ローカル線は「花暦」をめくるように、ゆっくりと進んでいった。


 ミェリナは窓の外、線路脇の土手に広がる緑の絨毯を指差した。ガタンと電車が揺れるたび、春の陽光を反射して小さな花々がキラキラと踊る。


「ユキオ、まずは早春から。私たちが最も命の輝きを感じ、同時に最も必死になる季節です。その時期に咲いているのはオオイヌノフグリ。まだ風が冷たい二月から、私たちのためにいち早く花を開いてくれる貴重な春一番の蜜源よ」

挿絵(By みてみん)

 ユキオは窓に顔を近づけた。今は他の雑草にまぎれて土手を覆っているが、春には瑠璃色の小さな花が、誰よりも早く開き、力強く地面を彩っているのだろう。


「続いて、三月からはセイヨウタンポポとカラスノエンドウの季節。タンポポは花粉も豊富で、冬眠明けの体に活力を与えてくれるわ。カラスノエンドウはマメ科特有の濃厚な蜜を蓄えているの。人間はこれらを『厄介な雑草』と呼んで刈り取ろうとするけれど、私たちにとっては命を繋ぐライフラインなのよ」

挿絵(By みてみん)

挿絵(By みてみん)

 ミェリナの言葉は、まるで厳格な教授の講義のように淀みない。


「四月、五月になれば主役はシロツメクサ……クローバーに移ります。そして似ているけれど背の高いアカツメクサ。この二つは『蜜源力』が格段に高く、群生するから効率よく働けるわ。同じ頃、白いハルジオンも咲き始める。これは六月まで続くわね」

挿絵(By みてみん)

挿絵(By みてみん)

挿絵(By みてみん)

ユキオはスマホのメモ帳に、ミェリナの言葉を必死に打ち込んでいく。


「初夏から夏にかけては、ヒメジョオン。ハルジオンに似ているけれど、十月まで咲き続けるタフな花よ。そして道端でよく見かける黄色いブタナ。夏本番には、朝の短い時間だけ花を開くツユクサが小型の仲間を喜ばせる。そして秋、冬への準備を始める頃には、湿地に咲くミゾソバが最後の貴重な蜜を差し出してくれるの」


一気に十種類の名を挙げたミェリナは、一度言葉を切ると、少しだけ険のある視線でユキオを見た。


「人間は、庭や畑を綺麗に整えようとして、すぐに草を刈りたがる。けれど、やたらと草刈りしないでね。そこにあるのは、私たちが二億年かけて編み上げた『命のカレンダー』なのだから」


ユキオは、土手に群生する名もなき草花が、まるで精緻な機械の歯車のように見えてくる錯覚に陥った。


「雑草が、そんなに計算されたものだったなんて……」


「計算しているのは植物と私たちよ。人間はその恩恵をタダで受け取っているに過ぎないわ」


ミェリナが冷徹に言い放つと、隣でツェンドリカがニヤリと笑った。


「そうだぜ。特にヒメジョオンやブタナみたいな派手なキク科は、蜜が美味い分、俺たちスズメバチもよく通る。そこは『混雑地帯』だ。迂闊に近づく獲物を仕留めるのには、最高の狩場なんだよな」


「ちょっと、ツェンドリカ。せっかくミェリナが良い話をしてたのに……」


ユキオが苦笑いすると、クロがミェリナの指を離して満足げに口を開いた。


「いいじゃん、ツェンドリカだって、花の蜜、好きなんだよね。あ、到着まであと三十分くらい? ユキオ、その銀の箱、ちょっと傾いてるよ。水平に、水平に!」


 ユキオは慌てて箱を持ち直した。

ローカル線のゆっくりとした走行音の中で、十六歳の少年の頭の中には、今まで見えていなかった「世界の色」が、花々の名前と共に少しずつ塗り重ねられていった。


「――“手に取るな やはり野に置け 蓮華草(れんげそう)”。あなたたち人類の《俳人》という種が詠んだ詩よ。……ふふ、なかなか分かっているじゃない」


 そう言ってミェリナは、どこか遠い昔を懐かしむように目を細めた。


「もっとも、その俳人の鼻先に私がふわりと止まった途端、悲鳴を上げて逃げ出してしまったけれどね」


 唇の端に、いたずらめいた笑みがそっと浮かぶ。


 春の野に揺れる蓮華草を思い浮かべるように、ミェリナは静かに微笑んでいた。

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