buzz.11 琥珀色のローカル線
東琵琶湖鉄道、帝スラ前駅。
錆びついたホームに滑り込んできた一両編成の気動車に、高柳行男はひとり乗り込んだ。目指すはJRとの接続駅、米原。乗換案内の画面には「所要時間:約58分」の文字が冷淡に光っている。
「約一時間か……退屈だな」
さすがの赤字ローカル線というべきか、昼下がりの車内に乗客の姿はほとんどない。ディーゼルエンジンの重低音が床下から伝わってくるだけの、眠気を誘う空間だ。
ユキオは適当なボックス席に腰を下ろすと、背負っていたリュックから、鈍い光沢を放つ銀色の箱を慎重に取り出した。リュックを網棚に載せ、空いた両手でその箱を水平に保つ。
(宇宙先進文明の割に、なんかユルイんだよな……)
脳裏をよぎるのは、この不思議なアイテムを貸し与えてくれた、邑人英二の顔だった。
『箱は、なるべく水平にしておいてくれ。どうも蓋が少しバカになってるみたいで、斜めにするとパカッと開いちゃうかもしれないんだ』
『上に物を載せたり、スピーカーみたいな磁力の強いものに近づけたりしないように。こじ開けたり、無理に閉じたりも厳禁だ。開閉は、本体のパワーだけに任せてくれ』
――そんなふうに、魔法の道具にしては妙に生活感あふれる「取り扱い注意」を、いくつも念押しされていた。
ユキオは、念のため周囲をもう一度見渡す。
通路を隔てた隣の対面席には誰もいない。
「米原に着くまでの間、蜂たちと話をしておこう」
ユキオは膝の上の銀の箱に意識を集中させた。
すると、まるで呼応するように、カチリと頼りない音を立てて蓋が開く。中には三つのカプセルが収まっており、それぞれが淡いピンク色の光を規則正しく明滅させ始めた。
次の瞬間、窓から差し込む西日がわずかに歪んだ。
無人だったはずの対面席に、三人の少女が忽然と姿を現す。
女王としての威厳をまとい、どこか浮世離れした理知的な瞳を持つミェリナ。
好戦的で力強い生命力を漲らせ、まだ見ぬ猛者とのバトルに胸を躍らせるツェンドリカ。
そして、どこまでもマイペースに、今にもあくびをしそうなほど弛緩した空気を纏ったクロ。
分子共鳴転移装置が生み出した三つの「個体」は、電車の揺れに身を任せながら、それぞれのスタイルでユキオを見つめ返した。
ガタン、と継ぎ目を越える振動が車内に響く。
数億年の歴史を背負った、高柳家の新たな「居候」たちとの、短い鉄道の旅が始まった。
「ミェリナ、先日は蜂の用兵術を間近で見せてくれてありがとう。本当に勉強になったよ」
ユキオは膝の上の銀の箱を水平に保ったまま、対面に座る知的な少女へ真摯に頭を下げた。
「これからも、いろいろなことを教わらないといけないんだ。一年後の『恒星域観測士』の試験に必ず合格したい。そのためには、君たちを先生として頼りにしているんだ」
期待を込めたユキオの視線に対し、ミェリナは組んだ膝の上で指先を軽く動かし、静かな声で応えた。
「邑人さんは……『働きながら学習せよ』。そう仰っていましたわ」
「えっ? いや、でも僕は地球の高校生だ。バイトをしている余裕なんてないよ。とにかく試験の傾向と対策をチャート式で、短時間で効率的に学びたいんだ」
焦るユキオの言葉に、ミェリナの瞳がわずかに細められた。その奥に、二億年の歳月を生き抜いてきた種族特有の、冷徹なまでの真理が宿る。
「学びに……近道はありません。私たちの仕事を実際に体験して、初めて生態系のなんたるかが理解できるのです」
(うわ、出た。教条主義っていうか原理原則主義っていうか……ウチの高校にもこういう先生、いるよな)
ユキオは内心でため息をついた。そんな彼の甘さを断ち切るように、隣に座るツェンドリカが身を乗り出す。
「おい、ユキオ! 小手先だけで試験に合格できるほど、地球の生態系は甘くはないぜ!」
「それはわかるけど……人間の僕には、君のような戦い方はマネできないよ」
生ぬるい返事をするユキオに、ツェンドリカは鼻で笑った。
「人間は熊にも劣るっていうんだ。お前を見てるとよーく分かるぜ! 生態系っていうのはな、いつだってガチンコなんだよ」
その殺気立った空気を霧散させたのは、隣でぼんやりと窓の外を眺めていたクロの、緊張感のない声だった。
「ねえねえ、ユキオ。なんか甘いもの持ってない? カプセルから出ると、糖質の消費が早いんだよねぇ」
「え? ああ、今は何も……」
「仕方ありませんわね」
ミェリナが苦笑混じりにクロをたしなめ、そっと指先を差し出した。すると、その白い指先には琥珀色の液体が雫となって現れる。
「私の蜜、少し分けてあげましょうか?」
「やったー! さすがミツバチ。ミェリナ大好き!」
クロは歓声を上げると、ミェリナの指先にパクりとしゃぶりついた。もし他の乗客がいれば、あまりに無邪気で、かつ扇情的な光景に目を剥いたことだろう。
「んむ……あんま〜い! レンゲの蜜がたっぷりだね。幸せ……」
満足そうに頬を緩めるクロを見て、ユキオは素朴な疑問を口にした。
「……クロマルハナバチって、蜜を貯めておかないのかい?」
クロは口元をなめ回しながら、どこか遠くを見るような目で答えた。
「花の蜜を巣に持ち帰ることはあるけど、幼虫のエサのために一時的に貯める程度かな。長期保存なんてしないよ。どうせ一年で、女王蜂の私以外はみんな死んじゃうんだからね」
その言葉に宿る、淡々とした無常観。
窓の外を流れる琵琶湖沿いの景色と、一両きりの静かな車内に、クロの言葉が不思議と重く響いた。




