3.俺の名前はファンザらしい。同人サイトかよ
翌朝、ナツに連れられて街へ出た。
リューネは思ったより大きな街だった。石畳の大通りに露店が並び、空には見たことのない形の鳥が舞っている。魔道具屋の看板が光っていて、鎧姿の衛兵が欠伸をしながら歩いている。絵に描いたようなファンタジー都市だ。
「おにい、ぼーっとしない。はぐれたら置いてくから」
「置いてくな」
ナツはすたすたと歩く。俺はその半歩後ろをついていく。なんか保護者と子どもが逆転している気がするが、今は文句を言える立場じゃない。
露店のおばさんが俺に気づいて手を振った。
「あら、ファンザじゃないか! 生きてたのかい!」
——ファンザ。
「……ファンザ」
思わず繰り返した。心の中で全力でツッコんだ。同人サイトかよ。
「なに呟いてるの」ナツが振り返る。
「いや、なんでも」
どうやらこの世界での俺の名前はファンザというらしい。山田健二として二十年生きてきた人間に今さら「ファンザです」と名乗れというのか。無理がある。当面、心の中では自分をケンジと呼ぶことにしよう。
◆ ◆ ◆
街の人々の反応は、おおむね似たり寄ったりだった。
「よかった、無事だったか」「心配したぞ」「また無茶したんじゃないだろうな」——そういう声をかけてくる人間が、多い。
つまりこの世界のファンザは、わりと顔が広かったらしい。そして、わりと無茶をする人間だったらしい。
「なあ、ナツ」
「なに」
「俺って、街でどういう立場だったんだ?」
ナツがちらっと横目で見てきた。
「……冒険者。Bランク。一応、それなりに有名」
「一応って」
「実力はあるのに、使ってる魔法が変すぎて、ギルドの評価が伸び悩んでた」
「変すぎる魔法」
「そう」ナツは歩きながら、少し間を置いた。「おにいの魔法、《写し》って言うんだけど——自分や相手の記憶・感覚・状態を、一時的に別の人や物体に『写す』魔法。攻撃もできないし、防御にも使いにくい。何が強いのか、あたしにも正直よくわからない」
《写し》。
記憶を写す、感覚を写す、状態を写す。
「……なんか、地味だな」
「だから評価が伸び悩んでたって言ってるんでしょ」
辛辣だ。でも否定できない。
◆ ◆ ◆
ギルドに着いたとき、受付の女性が目を丸くした後、盛大にため息をついた。「生きてたんですね、ファンザさん」という声には、心配と呆れが五分五分で混ざっていた。
ギルドの掲示板を眺めていると、後ろから声がかかった。
「……生きてたか」
低い、静かな声だった。
振り返ると、壁にもたれた男がいた。長身で、黒っぽいローブを羽織っている。前髪が目にかかるくらい長くて、表情がよく読めない。年は俺と同じくらいか、少し上か。
俺のことを見ているが、特に嬉しそうでも悲しそうでもない。ただ、静かに、確認するように見ている。
「……えっと」
「ヤノミソ!」
ナツが男の名前を呼んだ。声が、さっきより二割くらい明るい。
「ヤノさん、やっぱりここにいた。おにいが戻ってきたんだよ、記憶がちょっとおかしいけど」
男——ヤノミソは、ナツの方をちらと見た。短く、小さく、頷いた。それだけだ。
それからまた俺に目を戻して、
「……記憶は」
「ない。街に来る前のやつが全部」
「そうか」
それだけ言って、ヤノミソは視線を外した。会話終了、という空気だ。
「ヤノさんは口数少ないから気にしないで」ナツが補足してくれた。「でも信用できる人だから。おにいの数少ない友達の一人」
「数少ない、って」
「事実でしょ」
ヤノミソは否定しなかった。俺も否定できなかった。
しばらくして、ヤノミソがぼそりと言った。
「……《写し》、使えるか」
「試してない」
「試せ。記憶より先に、体が覚えてることがある」
それだけ言って、ヤノミソはローブをひるがえして歩いていった。ナツが「ヤノさーん、また今度ね!」と声をかけると、振り返りもせず片手だけ軽く上げた。
俺は去っていく背中を見ながら、右手を見た。
《写し》。攻撃にも防御にも使いにくい、地味な魔法。
——でも、なぜだろう。
その名前を聞いたとき、体の奥の何かが、微かに反応した気がした。
「おにい」
ナツが俺の袖を引いた。
「帰ろ。夕飯、また作ってあげるから」
「……ああ」
俺は右手を握って、開いて、それからナツの後に続いた。
記憶より先に、体が覚えている——か。
ヤノミソの言葉が、夕暮れの石畳に静かに溶けていった。




