2.妹の作る飯は、なぜか懐かしい味がした
ナツの家は、城壁の内側にあった。
石造りの壁に、木の扉。窓から見える路地には行商人らしき人影が行き交い、どこかから肉を焼く匂いが漂ってくる。ファンタジーだ。完全にファンタジーだ。
「ほら、座って」
ナツが椅子を足で蹴って寄越した。乱暴だが一応、気遣いではある。たぶん。
俺は素直に腰を下ろした。テーブルの上には地図らしき羊皮紙と、小さな魔道具らしい光る石が転がっている。生活感と非日常が混在していて、なんか変な感じだ。
「……ここ、どこの街?」
「リューネ。帝国の第三城市。おにいが三年前から住んでるとこ」
三年前から。
「俺が」
「そう、おにいが。なんで過去形みたいな顔してるの、気持ち悪い」
容赦ない。
ナツは竈に火をつけながら——火は魔法で、指をパチンと鳴らすだけだった——鍋をかけ始めた。慣れた手つきだ。どう見ても日常の延長線上にある動作で、つまり俺がいなかった三日間も、こうして一人で飯を作っていたわけだ。
「ナツ」
「なに」
「俺のこと、どこまで知ってる?」
手が止まった。一瞬だけ。すぐに動き出したけど、その一瞬は確かにあった。
「……おにいのことはぜんぶ知ってる。幼いころから一緒に育ったんだから当然でしょ」
「じゃあ、俺の誕生日は?」
「三月四日。春の初めで、その日だけ雪が降って、お母さんが笑いながら縁起がいいって言ってた。覚えてないの?」
覚えていない。
俺の誕生日は——日本での俺の誕生日は、十一月二十二日だ。一致しない。
「……俺には、お母さんの記憶がない」
静かに言った。嘘じゃない。この世界の母親の記憶が、どこにも見当たらない。
ナツがゆっくり振り返った。さっきまでの怒気が消えていた。その代わり、眉がほんのわずかに歪んでいる。
「……どこまで、ないの」
「この街に来るまでの記憶が、全部」
半分は嘘だ。でも半分は本当でもある。この世界での記憶が、本当にどこにもない。
ナツはしばらく俺を見ていた。値踏みするような、確かめるような目。それからふっと視線を外して、鍋に戻った。
「……魔力暴走の後遺症かもしれない」
「魔力暴走?」
「おにいが三日前に消えた理由。街の外で大規模な魔力の爆発があって——あたしが駆けつけたときにはもう、おにいの姿がなかった」
なるほど。つまりこの世界の「俺」は、その爆発のタイミングで消えた。そこに日本から転生してきた俺が入り込んだ、ということか。
「……その魔力暴走って、どういう状況で起きるの?」
「魔力の制御を失ったとき。か、外部から強制的に引き剥がされたとき」
外部から、強制的に。
「引き剥がされたって、どういう——」
「はい、できた。食べて」
話を打ち切るように、どん、とスープの椀が置かれた。ナツは自分の分を持って向かいに座り、俺から目を逸らしたまま食べ始めた。
「……ありがとう」
返事はなかった。でも耳が赤かった。
俺はスプーンを手に取って、一口すくった。
口に入れた瞬間、喉の奥が、きゅっとなった。
温かくて、少し塩が強くて、根菜の甘みがある。
知らない味だ。食べたことがない。なのに——なぜか、懐かしかった。
「……うまい」
「当たり前」
即答だった。でも声が、少し高かった。
俺はもう一口飲んで、窓の外の空を見た。夕暮れが始まっていて、見知らぬ城壁が橙色に染まっている。
——帰る場所があるのか、俺には。
わからない。まだわからない。
でも今夜だけは、この温かいスープと、耳を赤くしているツンデレな「妹」のそばにいようと、そう思った。
「ナツ」
「なに」
「また作ってくれ、これ」
少し間があった。
「……べつに、毎日作ってるし」
声は素っ気なかった。でもスプーンを持つ手が、心なしか緩んでいた。




