3話
「ミンディ」
シュコーパタンとガスマスクの弁が開閉する。スーパースターであるアリアが大型ショッピングセンターのマックイーン・ビルディングに素顔で来てしまうとそれだけで大騒ぎになってしまう。もみくしゃにされて、ヨウ博士が欲しがるような細胞辺はいくらでもゲットされてしまうし熟練のスケベなら「見てろベイビー! スカートの横からチョロっと手を入れて一気に濡れたアソコへタ~ッチ!」なんて言いながら得意げになるのなんか楽勝なパニックが起きる。
そのためにアリアはガスマスク着用だった。ショッピングセンターで顔全面を覆うガスマスクは強盗に悪用される可能性も高いが、U.S.Zでは強盗や窃盗に対する対処は特に法で決まっていない。即射殺もありうるため、むしろ殺人衝動を抑えがたいブチギレビジネスマンにとって覆面着用者は格好の的だ。
美しい金髪にグリーンのメッシュ、背負ったギターケースにいつもの衣装は露わだ。それでもアリアだと気付かれないのは、アリア程の美女がわざわざ顔を隠すはずがないとみんな思い込んでいるからだ。「美人だね」「可愛いね」「見とれちゃうね」なんて褒め言葉、随分と流行ってるけど飽きたな、でも最近聞かなくなったな、くらいにしか思っていない。もうみんなアリアを口説くことは諦めた。レベルが違いすぎる。チャーリー・シーンでも臆するだろう。
「しばらく別行動する? わたしは対バン乱入の準備があるから、場所を借りて発声練習とギターのチューニングをしないと」
「そうしようかしら。頑張……」
頑張って? アリアが頑張ったらオーバーキル過ぎる。
「楽しんできてね。客席で観てるわ」
「あなたにもガスマスクを貸してあげる」
アリアはポーチからもう一つのガスマスクを取り出してシスター・グレイシャに渡した。シスターは少し疑問に思った。ここまでシスターに気付いたお客さんは一人もいない。それどころか、別行動中のキング・オブ・ゾンビキラーのグラサンハゲ、ミッキー・ローリネイティスも気付かれてはいない。ジ・アンダーテイカーのリーダーを務める偉大なるザ・ミッキー・ローリネイティスが気付かれないならスカベンジャーズで一番地味なシスターは……。
「お揃い! わたしたちガスマスク・シスターズね!」
「お揃い!」
メガネがないと核弾頭と最新のエスプレッソマシンの区別もつかないシスターはメガネを外してガスマスクをつけることはないが……。
そういう訳でジ・アンダーテイカーの面々と同行者のミンディ・マクレーディは各自行動していた。
各種武器所有のミッキーはミリタリーショップへ。アリアは対バンの準備のためにどこかへ。カタナを二本提げたコウガはバカ御用達のパーティグッズ店で最新の衣装を眺め、ショットガンを背負ったスチュアートは食品売り場で新メニューの妄想を。誰も気付かれることもなかった。
「うぅん?」
しかしシスター・グレイシャはキラーエリート。ゾンビ殺しの腕ではチャールズやミッキーには及ばないが、ゾンビよりも先に人間を相手に大量殺戮を行ってきた前科がある。その前科は強みとしての経歴となり、ヤクブツを経たことで感覚が鋭い。特にヤクの売人回避のため、人間相手の勘は鋭敏だ。その勘は、マックイーン・ビルディングに潜む悪意をぼんやりと感じ取った。
どこか不自然だ。白衣を着たあからさまな研究者がたくさんいる。武装している者も多い。そしてそういうやつらは上手く言語化出来ない共通項があるが、白衣たちは意図的に同類を無視……無関係を装っている。シスターが導き出した結論は、この白衣たちがマックイーン・ビルディングで何かを起こそうとしていること、そしておそらくそれはゾンビテロであるということだ。最初は勘だった。一つ一つ証拠にしていく。白衣たちの胸にあるアンブレラのエンブレム。メリーポピンズ製薬だ。そしてメリーポピンズ製薬ならエージェントにアンチ・ゾンビ・ワクチンを打ち、大規模なゾンビテロを行える。
杞憂で終わればいいが……。それにここにはジ・アンダーテイカーのメンバーがいる。ちょっとやそっとじゃビクともしないツワモノだ。だがいざという時に備え、シスター・グレイシャはビルでの対ゾンビの教科書通りのムーブをした。
「……」
ガスマスクを着用し、スタッフオンリーのエレベーターシャフトに潜ったのである! セオリーではゾンビは下から攻めてくる。ジェネリック・モルドールのように上から来るケースは稀であり、ゾンビにエレベーターの扉をこじ開ける力はない。フランケンシュタインを除いてだが、フランケンシュタインはエレベーターシャフトに入る意味を見出す程の知能はない。
「ねぇパワポ。ファッキン・アリア・アニマは来るかしら?」
「どうかしら? エクセル。馬鹿げたガスマスクのブロンド女はいたけど」
「ゾンビウイルスは空気感染しないからガスマスクは不要の臓物ね」
「無用の長物だ、ワードくん。不要の臓物は盲腸だ。もっとも、君たちの場合は脳全般だがね」
「え?」
「驚きだ。君たちはそれでも脳を使っているつもりだったのか? こんな嫌味も理解出来ないのに」
「ごめんなさいヨウ博士。でもファッキン・アリア・アニマは必ず殺すわ」
「どうやって?」
「え?」
「どうやってアリア・アニマを殺す? 君たちはここにアリアが来ているかどうかも知らないんだろう? どうだ、アクセスくん、アウトルックくん」
「……」
「やはり君たちの不要の臓物は脳だ。そのガスマスク女がアリア・アニマだよ。あれでもアリア・アニマは狂っていない。むしろ生真面目な人間だ。既にコンサートのスタッフに、乱入を装って登場するからと声をかけて控室に入っている。あとは手筈通りに」
強運! シスター・グレイシャがゴンドラの上に潜むエレベーターに乗ってきたのは5Bとヨウ博士! ヨウ博士! 間違いない! メリーポピンズ製薬でフランケンシュタインを作ったマッドサイエンティストだ。ロー・フォンに続き、シスターもつくづく悪い中国人と縁のある女性だ。シスターの疑念が確信に変わる。メリーポピンズ製薬と5Bは手を組み、ここでアリアを殺すつもりなのだ! シスター・グレイシャはポケットからペンを抜き、自分の腕に書き込んだ。
「……ワード、エクセル、パワポ、アクセス、アウトルック、ヨウ。……」
この六人以上の声はしない。主犯格はこの六人だ。ゴウンゴウンと巻き取り機構がワイヤーを巻き、エレベーターは上昇していく。なんとかアリアに連絡を取らねばならない。
「さて、このフロアまで来ればもう問題ないだろう。ゾンビを放つ」
〇
ルース・サンダース(享年39歳 ゾンビ年齢0歳)を? 北米大陸一コツコツ金を溜めた詐欺師だ。本業の雑貨店の他に投資詐欺とマルチまがいを主戦場として、見破られて「詐欺師!」と罵られるたびに戒めとして百ドル貯金箱に入れていたら、詐欺は一件も成功しないのに本業と併せて五十万ドルの貯金があった。コウガのジャパニーズサムライソードで首を刎ねられ、疑いようのない死を迎えた。
「チッ、罠か」
キャアアアア!!! ゾンビが来ただけだったらマックイーン・ビルディングを満たしたのは悲鳴だっただろう。だがそこにいたのはジ・アンダーテイカーのリアル忍者! 恐怖は嬌声に反転し、一気にエンターテインメントになる!
「おぉい、コウガ!」
「スチュワート! 無事か?」
「んああ、ミッキーも一緒だ」
コウガ、スチュワート、ミッキーが合流したのは三階のショッピングエリア。一階はフロア全域が白衣エージェントに制圧され、動ける客は上の階へと逃げている。しかしアリア、5Bのライブ会場である全十五階のマックイーン・ビルディングの屋上にはまだ情報が届いておらず、既に先攻のアリアが登場して大熱狂に包まれている。
「ゾンビがどこから来たかわかるか?」
「わからん。だが一階はあの白衣が邪魔だ。だからやつらの支配がまだ及んでいない二階より上でゾンビを始末しよう。おそらく二階が一番忙しくなる」
「ならお前が二階だ、コウガ。思う存分エースキラーの強さを見せつけてやれ。これ以上ない程ド派手にな! 俺ぁ屋上でアリアと一緒にゆるりとゾンビを待つぜ。スチュワート、お前はテキトーにブッ殺しておけ」
ボスの発言にコウガとスチュワートは眉間に皺を寄せた。
「いや、俺が二階だというのは賛成だ。だがそれはゾンビを殺すためじゃないぞ」
「ヘッヘッヘェ、なぁ、ボス? ゾンビを殺すのは最優先じゃないだろう? ミンディを探すのが最優先だ。ミンディは普通の女の子だぞ? “ヒットガール”なのは名前だけだ。死んじまうぜェ」
「スチュワート、上のフロアでミンディを探してくれ。俺は二階でゾンビを阻止しながらミンディを探す。ボス、あんたは好きにしろ」
グラサンハゲは不満げにショットガンをコッキングし、マン毛ヒゲを怪訝に動かした。
「アリアのためか? コウガ」
「それが普通なんだ。アリアのためでもあるし、ミンディのためでもある。別にあんたを責めるつもりはない。あんたがそうであることは別にいい。だが俺たちは違う。スチュワート、上の階は頼んだ」
〇
「よっと」
エレベーターシャフトから脱出したシスターは十階でガスマスクを脱ぎ、腕に記入した敵の名前を確認した。十階には既にほとんど人がいない。エレベーターシャフトで複数回マックイーン・ビルディングを上り下りし、掴んだ情報は五階までのショッピングエリアはジ・アンダーテイカーによるゾンビ掃討。それより上のオフィスエリアが避難所になっているが、つい先ほどバリケードが設置され逃げられない人もいる。
シスターのいる十階もオフィスエリアだが、避難所はもっと上のフロアだ。さらにゾンビの情報が流れ、マトモな人間はダストシュートや非常用の縄梯子で脱出し、残っているのはゾンビとゾンビが殺される様を楽しむゾンビホリック、ゾンビがいてもアリアと5Bを見たいというマニアックだけだった。
「?」
暗いエレベーターシャフトに加え、ガスマスクを被っていて視力と視界が極端に制限されていたシスターはほとんど何も見えない状態でペンを走らせていたため、アルファベットはほんどが形を成しておらず、さらに文字同士が重なってとてもじゃないが読める状態ではなかった。
「六人いた!」
確かなことはそれだけだ。シスターは窓の外を覗く。不幸中の幸いか、ビルの外には全くゾンビがいない。ということはゾンビは元からマックイーン・ビルディングのどこかに忍ばせてあり、逃げるとメリーポピンズ製薬のエージェントに包囲されてゾンビに変えられてしまうということだ。そしてメリーポピンズ製薬はそれが出来る組織である。
「チャールズ? ミランダ?」
メガネがあるのでよく見える。マックイーン・ビルディングの駐車場に停められているイカした車は磨き上げられたシボレー・インパラ1967。その持ち主のタフガイとそのクールな妹は駐車場で白衣のエージェントと少し話し、二人はインパラに乗り込んだ。どうやら白衣は何かそれらしい理由をつけてマックイーン・ビルディングにはゾンビがいないと説明したのだろう。多分アリアと5Bのライブのために貸し切りだとか言って。
「行っちゃうわ! ……?」
ふと背後に感じた冷たい吐息に、シスターは振り向くのと同時に敵の眼球目掛けてペンを突き出した! STING! リリアン・ポランコ(享年26歳 ゾンビ年齢0歳)。行き遅れの“クリスマスケーキ”なんて呼ばれて焦り始めたが、気にするなリリアン! レディに対してそんな無礼なことを言うのはノースダコタの田舎者のクソ親父だけだ。だが“逝く”にはまだ早い年齢だった。シスターのペンはリリアンの脳まで達し、彼女に二度目の死を与えた。
外にいるノーマン兄妹に、なんとかゾンビのことを伝えなければならない。ならばこのリリアンのゾンビを使うしかない。
「ああ神様、上手くいってください」
シスターはベラトリクスからかなりの額のお小遣いをもらっている。シスターはお小遣いだと思っているが、それはベラトリクスから払われる正当な給料であり、ベラトリクスも給料だと認識している。そのベラトリクスの家はめちゃデカイ。シスターはマックイーン・ビルディングで、そこに吊るすデカいハンモックを買っていた。
「えい!」
シスターは行動を開始する。まずはオフィスの管理職のデスクの足を二本へし折り、スロープにして窓に密着させた。そして窓枠にハンモックの両端を括りつけ、オフィスチェアにリリアンを乗せて……。ハンモックで作った巨大スリングショットの弾にしようというのか!?
シスターがハンモックから手を離した。巨大スリングショットとなったハンモックでゾンビリリアンを乗せたオフィスチェアのキャスターが唸り、そしてデスクのスロープで角度がついて……。リリアンゾンビは窓をカチ割って空を飛び出す!
「パーティにようこそ!」
作戦成功でにわかにハイになったシスターはすぐにローになる。世にも珍しい空飛ぶゾンビは、運悪く……。ピッカピカのシボレー・インパラ1967のボンネットに墜落し、フロントガラスを叩き割ってビールの染みでいっぱいの運転席をドス黒い血で上書きしてしまったのだ!
十階にいてもチャールズのジャパニーズ・カンニン・パックのストラップが一瞬にしてブチギレる音が聞こえた。
「どこの誰か知らねぇがこのアホンダラが……」
ぞっとするような冷たい声でチャールズは呟き、スクラップ同然のインパラからクギバットとジャパニーズサムライソードアンブレラを引っ張り出して最強の兄妹が武器を担いだ。





