3話
目を開けるとあるはずのものがない。
しかしイメージを膨らませて目を閉じると、存在しないはずの人物がいた。
「カラス」
イマジナリーの空間にいたのはケンカラスだ。全ての因縁に白黒つける、という意味でモノクロのカラーリングにした。彼の咥える笹の葉っぱにイマジナリー空間では存在する右手を伸ばした。
「サミー。右腕を失ったようだな」
「まぁね」
「しっかりしてくれよ。俺たちはまだカトーを倒していない。続きを描けよ。お前が倒れればカトーの悪事はストップするが、それは解決じゃない。解決するのは、俺たちがヤツを倒した時だけだ」
「言われなくたって描くよ」
幻のケンカ自慢は激しい動揺の産物? 手段を失った想像力の幻肢痛? それとも鎮痛剤のバッドトリップ? サミーの心に迷いはない。パンダのように白黒つけるまでサミーもカラスの旅も終わらない。
「サミー」
「スタン兄」
「残念だ。それしか言葉が見つからない」
「確かに残念だ。右手がなくなった」
左手ではペンの持ち方すらあやふやだ。まるで眠るときに舌はどこに置けばいいかわらかないように。なんとか引いた線はチャック・ノリスの胸毛か? ってくらいのモジャモジャの塊だった。何百万回も描いたカラスと同一人物には見えない。
「ワーォ、まるで二歳で初めて右手でペンを持った時みたい。あーあ。右腕でもブライアン・ボランドほどのマスターじゃなかったけど、またパダワンからやり直しだ」
「強がる必要はない。本当は君を抱きしめてやりたいが、体に障る。僕のことは気にしなくていい。というかするな。そして歩けてもこっちに来るな。少し泣く」
サミーは自責の念に傷つく兄のために気丈にふるまう妹という役割を過酷な程に演じたのではなかった。楽観でも虚勢でもなくサミーという人間は……。精神的貴族だった! 右手は彼女が持つ多くの宝物の一つに過ぎない。右腕は決して小さなものではないがサミーはまだ頑張れる。この悪い冗談にしか見えないモジャモジャの線を見て真っ先に思ったのは、こんな粗末でマヌケなもので飯を食うのはまっぴらごめんってことだ! 確かに残っている左手は利き手じゃない。でも右手の補欠としての仕事は果たせるし、左手では手を抜くなんて自らの宝物を傷つけるようなことは出来ない。虫の息の妹が灯したガッツとスピリットの炎は小さなものだったが、兄を強く焼き焦がした。
スタンが病室を出るとチャールズとミランダの二人がジャパニーズ・シーサーのように待ち構えていた。
「追い討ちはしねぇ。だからお前も自分に討つな。お前が強く望むなら貶すが、俺はそれを望んでいないしそれをやると俺はルックスしか取り柄のない男になってしまう」
「残念なのはみんな思っていることよ。『バットマン:キリングジョーク』でジョーカーが言っていた正常な人間を狂気に陥らせる最悪の一日って今日かもしれないわ。今日はそうなってもおかしくない日。特にあなたとサミーにとってはね」
スタンはメガネに蛍光灯の明かりを反射させながらソファに座った。
「僕は『キリングジョーク』を読んでいないが」
「『キリングジョーク』を読んでいない? 参ったな。俺は正常なのに今日は狂気に陥る日になりそうだ。妹がコミックライターを目指しているのに『キリングジョーク』を読んでいないなんて」
「サミーはパブリックスクールやフラタニティの出身ではないがマンガに関してはエリートだ。マンガに関しては並走し続けることは出来ない。弁護士志望者の友人でも自分が弁護士を目指さないなら法律は勉強しないよ。ミセスに会わせてくれ」
「何故?」
「サミーの次に辛いのは彼女のはずだ」
「辛さに序列をつけるな。どこか楽しいところに行こうぜスタンリー。サンフランシスコにはマンガショップもある。総額三万ドルのヘンタイ・マンガやヘンタイ・アニメビデオがあって中にはとてつもなくヘンタイで強烈すぎるものもあるしきっと『キリングジョーク』の初版もあるぞ。マニアックはバカげた値段でこれを蒐集する。それかピストルズが解散したりビートルズが最後の北米ツアーで泊まったホテルなんてのはどうだ? それともマクドナルド? イギリスで食える最大の美味だ。なんでイギリス人は味音痴なんだ? 舌は三枚もあるのに。……今はこれでいいんだスタン」
「君は本当に優しい男だなチャールズ。僕は僕のすべきことをするよ」
「聞かせてくれ」
「ゾンビを殺す。しかし僕にはストーンヘンジの剣は重かった。銃を使うよ。復讐……じゃない。次はサミーも僕も、何も失わないためにだ」
マッチで擦ったような小さい炎がスタンに灯る。スタンの苦悩や葛藤はチャールズの言った通り泥の中のブタだ。悩むことが紳士への近道だとどこかで勘違いしていたのだろうか。いや、悩めば紳士になれていない現状への言い訳になるとでも?
「射撃場に行こう」
〇
あれからしばらくの時間が経った。あれから? スタンが銃の扱いを覚え、隻腕のサミーをかばいながらU.S.Zで旅を出来る程度に熟練してからだ。あれからまたノーマン兄妹は旅に出たが、ドクに呼ばれてサンフランシスコに戻って健全コミックショップの端っこで二人は見覚えのあるバンカラが印刷されたコミックを見つけた。それは紛れもなくケンカラスだった。
「ねぇ店長」
ミランダは初めて見るバーコード付き“K-Force”のコミックを店長に渡し、財布の中を検めた。
「このマンガどう思う?」
「これはなかなかすげぇぞ。何しろケンカラスはサイキッカーが襲ってくる旅で相手をぶん殴るだけで戦うんだ。俺たち……。俺やお嬢ちゃんみたいなオタクじゃ包帯や死体袋がいくらあっても足りないほどタフな旅さ。しかもこいつを描いたのは隻腕の女の子なんだぜ? あぁー、やばいぜこのレイヴンのビジョン……。きっとマリファナと同じくらい中毒性があるしディズニーの『バンビ』や『白雪姫』より偉大だ。ガキの頃のあのエキサイトを思い出すね。全国の体の不自由な人間に希望を与えた。スタン・リー御大への謁見だって可能だね」
店長の賛美はうんざりするほど続いた。隻腕でこれを描くことがいかに難しい偉業であるかをスピーチしたのだ。
「完結してる?」
「いいや、してないね。一巻はまだほんの序章に過ぎない。二巻以降は気長に待つさ」
チャリーン。ミランダは正規の値段でサンバック・ストーンヘンジの処女作を購入した。
「気の毒なサミー。ビジネスマンの食い物にされるために名作が産声を上げたことになっちまった」
「まるでマンガの殿堂に裏口入学したような気分。本に罪はないし、サミーにもない。チャリティーイベントでスピーチするのがお似合いの美談とは違うのに」
ドクの店への道すがらパラパラとページをめくったが、どうやら製品版はシンガポール編までのようだ。しかし画力が落ちている。サミーは既に出来ていたシンガポール編含め、全ての内容を左手で描き直したことを意味する。なんてマスコミ好みの美談だろう。
「やぁチャールズとミランダ」
「スタンリー」
ドクのバーには先客がいた。あのストーンヘンジ兄妹だ。サミーは利き手の喪失、夢のマンガ家デビューなぞどこ吹く風で、相変わらずポヤンとした空気で本物の日本人ミスズちゃんの握ったライスボールをかじり、スタンは葛藤を抜けたのか暗黒の飽和が帳を下ろした疲弊の表情をしていた。しかしサミーの服や髪は以前ほど汚れてはいない。新しい服も買えるし、左手では紙に収まらないほどのパワーで絵が描けず、服や髪に創作の飛沫が飛ぶことがないようだ。
「おいスタンリー……。本当にサンダース議員みたいになっちまったな? それよりおめでとうサミー先生」
「ありがとう。でも先生なんてよしてよチャールズ」
何も変わらずポヤンポヤンだ。隻腕であることで正当評価されないことにも、どこかのビジネスマンが『悲劇を乗り越えた若きコミックライター』っていう帯をつけるために出版したことにも動じていない。本来ならばそれは動揺と怒りに値するものだということはスタンリーを見れば一目瞭然だ。
「そろそろ再開したいとドクに相談してたんだ」
「再開?」
「ストーンヘンジ家の財産を探す旅。わたしの夢は半分叶っちゃったし、それには続きがある。“K-Force”の旅を最後まで描くこと。きっとカラスたちの旅はわたしたちの旅が終わるまで終わらない。ストーンヘンジ家の財産を見つけた時の感情とその道程が“K-Force”のラストシーンを最高のものにする。むしろこっちの方が重要で、“K-Force”にバーコードをつけるのは大したことじゃない。重要なのは完成させること、そして旅でのインプットもそうだし、スタン兄も夢を叶えないと。ここまでスタン兄には付き合ってもらったんだから。それにはチャールズとミランダの力が必要だから」
「それはいい。スタンはどう思う?」
ジャパニーズ・ティーとライスボールはよくあう。ミスズちゃんはきっといいお母さんになる。
「紳士は決して諦めない」
「辛い時に出るセリフがもう出てやがる。もうビビってるんだ。俺たちはお前がU.S.Zで生き抜くために必要な技術は教えたぜ。お前は十分にこの大陸で生きていける。サミーを連れていくことにビビってるんだ」
「僕は……」
「リハーサルをしよう。セントラルフィールドブロードウェイだ」
CZK5 16-3-A
「ミランダ! まだ生きてる冷蔵庫が見つかったぞ!」
「本当に兄さん! 中に入ってるは、えぇ~と」
「クラウン・コーラだ! それもキンキンに冷えたのが何ダースも! 両手じゃ数えきれないぜ!」
「Awesome! 今日からクラウン・コーラパーティね!」
クラウン・コーラ 全米のイチバンマーケットにて大好評発売中
CZK5 16-3-B
順調なはずだった。
隻腕のサミーは流石にゾンビ殺しをしながらスケッチなんて出来ないので安い使い捨てカメラでミランダ、チャールズ、ミセス、スタンのゾンビ殺しを記録した。サミーはスタンリーの銃のウデマエを知った。兄はどうやら刃物より銃の方に適性があったらしい。自らの適性を早期に知ることは人生への大きく影響を及ぼす。サミーはマンガへの適性を早くから知っていたので葛藤や挫折をあまり知らずに済んだが、スタンリーはここに至るまでずっと苦しんできた。お気楽な妹は兄の苦しさを知らなかった訳じゃあないんだ。兄はストーンヘンジ家の剣にキスできるくらい毎日ピカピカに磨いて、それを振るに値する男になることを夢見ていた。
俊敏で正確なポジショニングをとり、スタンはイアン・ローソン(享年23歳 ゾンビ年齢2歳)、ナサニエル・デイヴィッズ(享年33歳 ゾンビ年齢9歳)といった、“K-Force”にありつくことの出来なかった不運なオタクにヘッドショットしていく。これらはスタンリーにほんの少しの自信を与えてくれたし、ノーマン兄妹との特訓で築いていった自己肯定感を呼び覚ましていった。少なくともノーマン兄妹の目から見てスタンリーの殺しは問題なかったし、あれほど精神的に疲弊していた男がこんなにセオリー通りに拳銃を扱ってゾンビを殺せることに若干の驚きを持って振り返った。それ程、ノーマン兄妹が彼を甘く見ていたことも一つの理由だが。
「サミー? サミー!」
しかしクソッタレのコメディアンの必殺ジョークみたいな出来事が起きた。
スタンが撃ったゾンビか、ミランダが殴ったゾンビか、ミセスが斬ったかチャールズがへし折ったか……。ゾンビの血でセントラルフィールドブロードウェイのショッピングセンターの一部に電気が通り、古びた哺乳瓶用の電熱器の電源が入ったものの経年劣化で爆発、その音にサミーがビックリしてしまったのだ。そして足をもつれさせ、スタンが即座に支えに入った。スタンはゾンビを殺しつつもいざという時にはサミーを助けられる位置にいたのだ。
「痛っ」
しかし誰にも想定外だったのは、そこにゾンビの血で錆びたクギが生えていたってことだ。錆びたクギはサミーの左手の親指とスタンリーの右手の小指を貫き、新しく赤い血に塗れた。
あの記憶がフラッシュバックする。どこまで失う? 世界はシンガポール編以降の“K-Force”を永久に失ってしまうというのだろうか!? さすがに強がれない。もう終わりだ。
「サミー」
「スタン兄?」
スタンリーはピカピカに磨いたストーンヘンジ家の剣を抜き、サミーの左腕を切断した。
サミーの左腕を激痛と真っ赤な出血のショックが襲う。スタンリーはひきつった笑みを浮かべ、右腕を上げる。即座にミセスがサムライソードのスペアでその腕を切り落としたが、もうスタンには痛みも大した出血もなかった。腕の断面からの血は、黒。スタンリーの体内に侵入したゾンビウィルスは腕より先に侵入し、既に手遅れだった。
「スタン兄!」
「サミー。紳士は恐れない。紳士は逃げない、諦めない。礼節が……ががが……。狂気に陥るな。礼節なんだ……。ふっ、おかしな話だ。僕が君に紳士を説くだって?」
「スタン兄! わたしは、知っていた! 本当の紳士を……」
「ああ、知っていた。君が本当の紳士を知っていると知っていた。マンガを読めばわかる」
「まだ話したりないよスタン兄……。スタン兄が助けてくれた! 見たよね!? スタン兄が……。スタン兄はわたしじゃなくて自分の腕を切っていれば間に合ってた!」
スタンリー・ストーンヘンジ(享年24歳)。サミーの言葉の方向からスタンリー・ストーンヘンジという選択肢が消えた。
「ああ、スタンリーはサミーを助けた。あいつはストーンヘンジの血を守ったんじゃない。妹を守ったんだ」
〇
「よう。また来たのか。ウンザリだぜ」
「そう言うなよカラス。いいニュースと悪いニュースがある。どちらから聞きたい?」
「悪いニュース」
「左手もなくなってしまった。いいニュースは君たちの旅は終わらせないってこと」
「へぇ? どんなサイキックを使うんだ?」
「簡単なダジャレだよ。フォースとトゥース。今度はペンを歯で噛んで、口で続きを描くよ」
「……負けるなよ、サミー。再起せよ、大鴉」
目を覚ましたサミーは文字通り這って、ペンを咥えた。
溢れ出る。鬼気迫る。サミーはスタンリーが欲しがっていたガッツと闘志、理想、それに手にするために通過する生き地獄を渡りきる覚悟があった。
利き手の右手、補欠の左手、最愛の兄を失ってもなお、紳士の炎は燃え尽きない。
口で描いたケンカラスはチャック・ノリスの胸毛のモジャモジャなんてメじゃなかった。一万年後に考古学者がこれを見つけても動物のひっかき傷だと勘違いして無視するだろう。
「イィ」
ある意味でこれは狂気だ。ジョーカーが語ったように、正常な人間が狂気に陥る最悪の一日のような出来事を三回も繰り返した。それでもまだこのサミーの行動は狂気じゃなく熱意と言える。
「おはよう、サミー」
「ミランダ。また面倒かけちゃったね。辛い思いをさせてごめん」
「スタンの葬儀のことはドクが手配してくれる」
ミランダは自分たちが人を不幸にすることもあると知った。
病室をチラッと覗いて、白々しく見なかったふりでやってきたが、決して挫けず、諦めず、逃げず……。僅かに残された力でもミランダを圧倒するには十分なほどの熱意だ。
「スタン兄はマンガに出てくる予定だったんだ」
「そうなの? 最強の助っ人?」
「いや、ラスボス。秒でアガるキレッキレの紳士ほど恐ろしいものはいないからね。……それを倒す方法……つまり乗り越える方法、真の凄さがわかる時、わたしも本当の紳士になれるはずだった。まさかスタン兄がそれを……。見ずにいなくなるなんて思いもしなかったよ」
紙がふやけるのは初めてだ。この原稿用紙は使えない。
ペンを噛んで声を押し殺しながら、サミーは泣いた。
「今日くらいは礼節を忘れる。スタン兄、スタン兄ぃ……!」
※彼女はいったい何をしていた?
修道女→殺人鬼→教師の見習い→ヤク中→ゾンビ殺し?
シスター・グレイシャはいかにしてベラトリクス・サンダーランドのアシスタントになったのか。
そこには全ての指輪を捨てて婚前交渉とハッパでラリる怪しい集団“モルドール”の影があった。
多感な年ごろの女の子は頭痛の種だ。ミランダは人の振り見て我が振り直すことになるだろう。
次回『CZK』17-1-A&B
『The Scavengers -Strider–』





