4話
蛙月光蛾。二十三歳。日本の大学の忍学部において非常に優秀な成績を修める。特に体術、剣術、走力といった身体能力は現在の忍者としてオーバースペックな程だ。隠密行動も得意であり、頭も切れる。超名門忍者一族、蛙月家の三男。なおフツメンである。
浜一。二十二歳。日本の大学の忍学部ではさほど目立たない存在だったが、それこそ忍者の姿であると認める者もいる。全体的に平坦なステータスで特化したものはないものの、尖っていないバランスの良さで使い勝手がいい。非忍者としても社会のパーツには十分な男だ。名門・浜家の次男。しかしフツメンだ。
忍者として一流の血筋と教育を受けたこの二人だが、最も花形とされる忍者部門“陽忍”にはなれなかった。陽忍とは、顔を出して諜報活動を行う忍者のことを指し、ハニートラップはもちろん企業スパイなど全てで高水準の忍者しかなることは出来ず、名門大学の忍学部でも陽忍が出ない年は珍しくない。暴力も走力も必要なく、見た目とコミュニケーション能力、何にでもすぐにコミットできる順応性で勝負が決まる。この三点はどの業種、職種でも必要なことだ。そして二人はルックスで弾かれた。
陽忍は完全に才能以上のものが求められる世界のため、家族は二人が陽忍になれなかったことを咎めなかったが、それでも忍者を極めたい。いくら忍びの道が広かろうと、頂点でありたかった。忍者に求められるものは何か? パシフィック・プレイ・ランドでかっこいい殺陣やトリックの忍者ショーを見せることか? それも一つだ。武の道を究めるのも、時代にはあっていないが忍者の仕事でもある。
元々忍者は外道! 彼らの選んだ二.五次元イケメン忍者歌劇団“シノビライブ”も、忍者を名乗るものがやれば忍の道だ。ド派手なウィッグ、人間離れした瞳の色を再現するカラコン、一発でアトラクションとわかる衣装で強引に底上げされたルックス。普段はフツメンだからこそ可能な美形への偽装。惑わし、そして忍者として不足ない暴力で叩きのめす。自分たちにしか出来ないはずの“シノビライブ”は二人に自信を与えた。若き忍者が選んだ茨の道だ。
「何故トドメを刺さないッ!」
「キャップがムジョルニアでどつきまわしてもサノスは倒せへんけど雑魚の忍者はデコピンでええっちゅうことかい! ナメとるやろ!」
真摯に暴力の道を進むはずだった気力も体力のピークの若者を相手に、ミセスは峰打ち一発ずつで叩きのめした!
コウガもハジメももう倒れていた。衣装やカラコンが枷になったんじゃなく、ミセスの剣技に歯が立たなかった。それどころか峰打ち。体力の温存ではなく情けだ。
「君たちは忍者なんでしょう? まだ未来がある。敗北の経歴さえ歴史の闇に葬って、どこにでも忍べばいい」
「クソォ、クソォ……」
これだ。既にミセスも経験したように、自惚れと挫折が若者を強くする。しかしミセスはこの二人が「もしかしたら俺たちイケメンじゃないのかも」と、既にそれを経験していたこと知らずお節介でそれをまた与えてしまった。
ミセスは次のフロアに進む。
「先生」
「ミチル。どうしようもねぇよ。俺も腹を切るしかない。だが……おいだらしねぇぞ。ヨダレを垂らすな。俺はキャンディか?」
「先生、どうせ裏切ってわたしたちから顔を背けるなら三六〇度回ってみたらどうです?」
「口だけだな。本当は俺と戦ってみたかったくせに。いや、モハメド・アリはこういった。“これは試練だ。神が私に『君は世界一ではない。私だ』と教えるための試練だ”と。俺の場合は老いへの試練。いつまでも同じヤツがチャンピオンじゃその世界は衰退する。若さvs老獪を試そうじゃないか。参ったな。リビングでミカンでも食ってる訳じゃねぇのに止まらねぇな」
「どんな境遇でもポジティブに変える熱さ、激しさ、それは先生に許された貴重な才能です」
しかしヒデオの言う通り、ミセスは興奮していた。ヒデオを倒せば日本最強になってしまう。いつかは超えたい背中だった。こんな形は不本意でも……。
抜刀! そして、振り下ろす。今宵、初めてミセスの刃が血を吸った。ミセスがヒサミに教えてやったような剣捌きは欺瞞だ。あれはショービジネスの剣で、本当の達人同士の戦いは二手あれば終わる。
「フッ、ミチル。頂点からの眺めは、いいぞ。ただし孤独だ……」
胸を切り裂かれて失神したヒデオの胸を消毒し、縫っているとミニスカートに網タイツでへそ出しのセクシーナースが三人現れて、ミセスの代わりにプロの技術でヒデオに処置を施した。そして白々しく拍手してウジ・キントキが姿を現し、首から提げた高級ポラロイドカメラでミセスの顔を撮影、現像した写真の顔をなでて眉を怪しく動かした。夫、義父兼師の仇を目の前にしてもなお、ミセスの表情は美しいほどポーカーフェイス、明鏡止水。どんな女も金と権力でジャパニーズ・ネンゴロにしてきたウジにとってこんな表情はセックスや『ゴルゴ13』の遠征先の娼婦の喘ぎ声以上にエロティックだ。
「実物は随分ときれいな顔をしているじゃないか。君を私の部下に誘う理由が一つ増えたな、ミヤマ・ミチル。今はツブラヤか。もうすぐミヤマに戻るのかな?」
「クズめ」
「随分と乱暴な言葉を使うのだね。政治の世界で使うには難しいセリフだ」
「学のないわたしには関係のない話」
「関係なくはない。君にも選挙権があるだろう? どれだけバカが相手でも説き伏せて言葉で支持させるのが私の仕事だ」
「残念。次の選挙では四票失ったわ。まず一票目。家族の平和を乱されたわたし。二票目は次の選挙までに目覚めるかわからないエイジくん。三票目はここで死ぬかもしれないヒデオ先生。四票目はミツキ以外の、わたしを含めた全てを失うかもしれないセイコ義母さん。いや、四票どころじゃない。あなたが前回の下院議員選で得た五二一七一七票の間違いだったわ。私腹を肥やすために人を破滅に落とすような……」
「ほほほ、慣れないのに口ゲンカで私に挑もうなんて可愛いやつじゃないか。私は君のような若い人妻にも萌えるし、夜の蝶にも萌える。とは言っても君はまだ下院議員選に出ることもままならない二十代中盤の美しい盛りだがね。駆け出しのタレントだって借金苦の大学生にだって萌える。英雄色を好む。それに出世は男の本懐だ。そこに萌えんとは、君なんで政治家になった? と訊かれてしまうよ。リーダーの理想は高い方がいいだろう? 信頼を期待で買うことはまるで闇金だ。手を出してはいかんが一度借りるとスゴイ勢いで溜まる」
「心が強いのは認めるけどかっこいいことを言ってるだけよ。少し度胸のある悪党、タフぶってるマザーファッカー。ジャッカス! イディオット! バカ、バカ! シネ!」
「第一ラウンドは私の勝ちだな。……マジか?」
ウジ・キントキは自惚れだけでまだ挫折を知らなかったようだ。本当にミセスを言葉でどうにか出来るなんて思っていた。ウジの自惚れは挫折になった。夫を襲われ、義父兼師と戦わされ、愛する国を汚い金で病気にしてしまったクズを相手に、頭に血を上らない人間なんていない。
人体の急所、人中を柄で打った。鼻骨と頬骨が粉々に砕けて骨と肉がシェイクされたが、今のキントキにはレントゲンよりモルヒネが必要だ。
「これで終わるとは思えない。でもわたしの仕事はここまで」
ミセスは太平党のエドにミッションコンプリートのメールを送った。
〇
ミセスにとってツブラヤ家での暮らしはまるでコカインだった。一度切れると激しい禁断症状に苦しむ。しかもいきなり没収されたんだから心の準備もついてなかった。
ミセスがシノビライブ、ヒデオ、ウジをぶちのめした後は太平党エドに全てを任せたが、あれから一か月経っても世の中に違法カジノのニュースは出回っていない。同じようにヒデオがウジに脅されていたことも秘密になった。ミセスのもとには新たに一億円、換算すればおよそ一〇〇万ドルの報酬が太平党からクリーンな金で合法的に届けられた。そしてエドからは北米大陸への飛行機のチケットと観光スポットのパンフレット、よく使うはずの言葉のリストが送られた。主婦として不必要なほどのお金を抱えてしまったミセスは、今日もエイジの病室に通う。
「……危なかった」
「エイジくん?」
「危なかったよミチルちゃん。さっきまで僕は盆踊りをしてたんだ。ゾンビと! ヤキトリとビールでよろしくやって、いい気分だった。それでスカーレット・ヨハンソンくらい美人のゾンビに盆踊りにエスコートされた時、僕には妻がいる! って無意識に叫んだんだよ。スカーレット・ヨハンソンぐらい美人のゾンビにね。そしたら急に自分が生きているってことを思い出して、今、ここにいる」
「スカーレット・ヨハンソンの方に行った方がよかったんじゃない?」
「冗談言うなよ。人生で一度でも、君程素敵な女性に出会った後じゃ、スカーレット・ヨハンソン程度で満足出来る訳ないだろう? だから危なかったんだ。死んだらもう君に会えないからね」
おぉっと……。ミツキに弟か妹が出来るか?
流石のエイジも意識を取り戻したばかりでガタガタだったのでそうはならなかった。リハビリの日々を迎えることになり、ミセスはウジの報復に神経を張り巡らせたが太平党のエドは約束を守ってくれた。
そして一億円の退職金で用心棒稼業から足を洗ったミセスは、ツブラヤ家をしばらく断つ整理と決意をつけ、ついに念願の北米大陸旅行へのバカンスに旅立ったのだ。この時、ミセスはまだ二十五歳。今のチャールズより若かった。二十五歳の頃のチャールズはまだアペペペ言いながら近所のリッグス警部の家の飼い犬、チャンプと無意味にレスリングごっこをしていた。いや、今でもアペペペ言いながら何か無意味なことをしているか。
ミセスが北米大陸で最初に踏んだ土はサンフランシスコのものだった。日本から送った愛車のバイク、カタナが届いてからニューヨークまでバイクで横断し、Zデイがやってきた。ニューヨークは地獄だった。少しでも日本の近くへ……。二週間で北米大陸を往復してサンフランシスコに滞在し、しばらくしてからサンフランシスコでドクと出会い、現在に至る。
CZK4 14-4-A
「ミランダ! まだ生きてる冷蔵庫が見つかったぞ!」
「本当に兄さん! 中に入ってるは、えぇ~と」
「クラウン・コーラだ! それもキンキンに冷えたのが何ダースも! 両手じゃ数えきれないぜ!」
「Awesome! 今日からクラウン・コーラパーティね!」
クラウン・コーラ 全米のイチバンマーケットにて大好評発売中
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アンバー・パルマー(21)。キッサキタウンでセーラームーンをやってたデカ尻娘だ。今はローライズのジーンズからクジラの尻尾みたいにTバックのパンティーを覗かせて町をうろつき、バカな男をカジノに誘う役割で生計を立てている。
「おぉっとそこのオープンキャリー。名前は?」
「アンバー……」
「“琥珀”? いかにもって名前だな。“ルーク・スカイウォーカー”よりマヌケでチワワかマンチカンにつけるのがお似合いの名前だ。でもセカンドインパクト後の世界ではイニシャルがAだから墓を探しやすくていい」
この男には自慢のクジラの尻尾のイチゲキが効かなさそうだ。この男は前にもここに来た。この男の妹はカードカウンティングが出来るからブラックリスト入りし、末端の末端であるアンバーにも「この兄妹には気をつけろ」と情報がシェアされているのだ。そして後ろを歩くお澄まし顔の日本人女性も見覚えがある。ボスが持っている写真だ。
「案内するわ。カジノでしょう?」
「話が早くて助かる」
ミセスにとってキッサキタウンは懐かしいような街並みだった。背の低い家屋、赤い壁、紙のランプ。北米大陸には不向きなようにも見える建物と文化はまるで日本だ。ショーウィンドーには完全に三次元を離れたカラーリングやデザインのキャラクターが並んでいる。これもミセスには懐かしいものだ。
「……」
「どうしたミセス? そのフィギュアが欲しいのかにゃ?」
「……」
「アブソリュートマンのフィギュアなんか今更息子が欲しがるかにゃ? ……え? これ初代アブソリュートマンの限定版激レアフィギュアだ! これは買っとくべきにゃミセス。うちで預かっておいてあげるから」
カランコロンと小気味よい下駄の音がキッサキタウンのメインストリートにボスのお出ましを告げる。チヨコ・モナカの登場だ。
「マヤ、こちらのご婦人にアブソリュートマンのフィギュアを差し上げなさい」
「いいのかにゃ?」
「ええ、だってアブソリュートマンなんてもうObsolete、時代遅れだもの。そっちで売れ残っている『スターウォーズEP1 ファントム・メナス』のオモチャと何か価値に違いが? 待っていたわ、“ミセス”」
「そんなことにゃい。昔はアブソリュートマンに兄弟がいるなんてトリビアを話せば公園じゃアブソリュートマン以上にヒーローになれた。今のガキに良さが理解できなくてもボクの思い出は色褪せない」
ミセスの目は悪人と善人を、ウソと真実を見抜ける。このチヨコ・モナカは……。ウジ・キントキと似て非なる。チヨコは高級ポラロイドカメラでミランダを映してやった。キッサキタウンにはいないセックスアピールに欠けるタイプ。ドスケベのウジでも躊躇うほど幼い子供だ。
「お嬢ちゃん、また会ったわね。なんでそんなに敵意を剥き出すの?」
「ミセスがあなたたちを敵視したからよ」
「カジノは楽しくなかった? でもお嬢ちゃんはもうパチンコ・スロットでだけ遊びましょうね。だってあなたはブラックジャックだとギャンブラー一〇〇人分の仕事を一日でやってしまうもの」
チヨコはヨム硬貨を一枚ミランダに渡す。
「コインをスロットマシンに入れる時、どの面から入れるか知ってる?」
「さぁ?」
「裏でも表でもない面。側面からよ。そしてコインの円だから側面に上も下もない。善と悪、ウソと真実ではなく、側面を見ることとその厚みを理解出来ないと大人にはなれないわよお嬢ちゃん。少し遊んでいかない?」
〇
その頃。キッサキタウンより少し北にあるキッサキ・テンプル。カジノでの勝ち目がなくなった男たちはここでの労働を強いられていた。
「オラオラー! ヒカエロヒカエロォ! ズガタカイ! オマエタチガ、カンタンニ、オアイデキルヨウナ、カタデハナイ! ワキマエロ! ズガタカイ!」
OMG! 現場監督が悪辣な日本語で鞭を振り回し、労働者たちを威嚇している! まるで古代ローマのグラディエーターvsビッグオクトパスの舞台裏だ。男たちはシャベルやロープでテンプルを発掘、整備し、そこに秘められた不気味なシルエットの輪郭をはっきりさせていく。
「ヘェ、現場監督ぅ。今日、このあとヤキトリどうっすか?」
「ズガタカイ! 定時まであと五分! キヲヌクナー!」
コービン・ムーア(27歳)。クモに噛まれる前のピーター・パーカーよりもヘタレなモヤシだ。かつてはジェネリック・シン・シティだったキッサキタウンも、今の彼にとってはデミ・ジャパン。すっかり染まって七面鳥より小刻みのチキンを小さなバーベキューにした料理、ヤキトリと日本人が開発した苦みの強いビールに病みつきだ。
「えー? じゃああと五分、現場監督とお話して時間潰そうっと。今日くらいは付き合ってもらいますよ現場監督!」
「現場監督だってたまには息抜きしないと倒れっちまいますよ」
「現場監督! 現場監督! 今日は俺とパーチがスモウ・レスリングを見せてあげますよ!」
「現場監督、そろそろシュレッダーの中身捨ててきますけど、処分する書類あります? あと二課のオーウェンがこの間、現場監督に奢ってもらった分を返したいって言ってたんで今日はヤキトリ行きましょうよ」
「現場監督、『爆発! デューク』と『ピンク・レディー・アンド・ジェフ』のDVDのレンタルローテション決まりました。現場監督はパーチの次なんでパーチから受け取ってください。次はジェラルドに渡してくださいね。本放送では裏番組同士だったこいつを同時に観られるなんて運がいいでっせ!」
クエンティン・カツーラス(34歳)。
ケンドリック・パーチ(21歳)。
カディーム・パターソン(44歳)。
オーウェン・ベッツ(22歳)。
ジェラルド・フィッツジェラルド(30歳)。
みんなカジノの餌食だ。しかし金のしがらみから解放されて単純労働なんてなんて気持ちがいいのだろう。ここでは温かいバターを切り裂くのよりも簡単な作業で真っ当に働けば“負け”はない。現場監督はよくわからない言葉でガミガミ言っても人の良さを隠しきれないし、誰かが無理に心を鬼にしている姿を見ると自分にも優しくしてもらえるような気分、自分も優しくなれるような気分になれる。それはまるで赤い錠剤を飲んで世界の真実が見える『マトリックス』のようだったし、現場監督は彼らを導くモーフィアスとして十分な人物だった。それに現場監督は日本人なので本物のカンフーを伝授してくれるかもしれないのだ。
挽回の目がなくなって「お前たちが働くことになるところはバリ寒かけん厚着してこいバカ野郎」と言われた時は遺言書を書くために生まれて初めて辞書を開いたが、今の生活は楽だ。優しくしてもらえる家畜なんてこれ以上にない。
「オマエタチガカンタンニオアイデキルヨウナカタデハナイー!! 定時だバカヤロー! さっさと片付けてヤキトリに行くぞ!」