10話 震えの止まらないお兄ちゃん
いつもの食卓。母の手料理が並ぶ。
「ねえ、お兄ちゃん。昨日文化祭で耀ちゃんどうだった?
行きたかったのに、1年目だから大丈夫かなって調子に乗ってフル単入れちゃったから、課題いっぱいで行けなくて悔しかったー!」
「祥子ちゃん、医学部だししょうがないわよ」
「来年もあるし、次回はお姉ちゃんも見に来てくださいね」
「で、どうだったの!?」
修吾はその間ずっと固まっていた。
「……えっと。同好会の女の子に、手を……」
兄が震え始めると、母と姉の目が同時にきらりと光った。
「手!?つないだの!?」
「修吾にそんな積極的な子が!?」
父まで身を乗り出した。
修吾は震えが止まらない。顔から首まで真っ赤だ。
「ち、違う……。案内、されて……」
兄のロボ声が発動したが、耀は追い打ちをかけた。
「私の同級生の柿本由佳里さんって子。しかも連絡先交換してたよ」
「連絡先!?もう交換したの!?」
「修吾、ついに春か!」
ブブブブ!!
修吾は全身の震えがもう止まらない。
「大……大学、見学……。だけ……!」
母は目をキラキラと輝かせた。
「由佳里ちゃんね!投資同好会の子?可愛い子よね〜」
「しかもお兄ちゃんの震え、初見でバッチリ見抜いてた」
「震え!?お前まだそんな癖あんのか!」
「えー!?お兄ちゃん、完全に狙われてるわね〜」
家族全員で面白がる中、修吾の震えは最高潮だった。
「ね、狙われ……!?」
修吾は、頭抱えて立ち上がった。
「食事……。終わり……です……」
修吾の声は、もう声になっていなかった。ロボ声どころか、ほとんど空気の振動である。
「ちょ、ちょっと落ち着いて。修吾ちゃん」
母が止めても修吾はその場で震え続けている。
耀は笑うのを我慢出来なくなり、箸を置いて笑っていた。
「見て見てお父さん、この子よ。可愛いでしょ〜?」
「連絡先交換したなら、ちゃんと返事しろよ」
母は耀のスマホの写真を父に見せながら、完全に面白がりモードだ。父まで妙に真顔だ。
修吾は椅子の背に手をついて、深く息を吐いた。
「……狙われてる、のか?」
「いや、たぶん普通に気に入られてるだけだと思うけど」
耀が肩をすくめる。
「でも近くで見てた佐藤先輩が言ってたんだけど、彼女、かなり手際よかったらしいよ。お兄ちゃんの固まり方を見てから一気に距離詰めてたって」
「距離……」
修吾の顔がまた赤くなる。
「しかも、修吾さんって名前を呼んでた」
姉がにやにやしながら指を立てる。
「もうその子、だいぶ強いよ」
「……やめてくれ」
「やめない」
母も笑いながら父に味噌汁のお代わりをよそった。
「由佳里ちゃん、頭の回る子なのかもね。ちゃんと話しかけて、ちゃんとお礼言って、連絡先も聞いて。ああいう子は強いわよ」
修吾は顔を覆ったまま、指の隙間からテーブルを見た。
「……俺、変じゃなかったか?」
その場が、一瞬静かになる。耀が、少しだけ真面目な顔で答えた。
「変だった」
修吾が肩を落とす。
「でも、いつものお兄ちゃんだった」
「それは慰めになってるのか?」
「なってるよ。あの子、たぶんそこが面白かったんじゃない?」
姉がくすくす笑う。
「震えてるの見て引くどころか、むしろ興味持ってたし。普通の子なら、あそこで距離置くでしょ?」
修吾は小さくうなずいた。確かに、由佳里の手は少しも迷っていなかった。人混みだから、と言いながら自然に取られた手。あの冷たさと柔らかさが、まだ指先に残っている気がする。
スマホが、机の上で震えた。着信ではない。通知。
連絡先を交換した相手から、メッセージが一件。
「今日はありがとうございました!落ち着いたら、大学見学のことまた相談させてくださいね♪」
全員が一瞬、止まった。家族の視線が一斉に修吾に集まる。
「……来た」
「で?」
姉が身を乗り出す。
修吾はしばらく画面を見つめていたが、やがて小さく打ち込んだ。
「こちらこそ、ありがとうございました。大学のこと、いつでも大丈夫です」
送信。
「……ちゃんと返せたじゃん」
耀がぽつりと言うと、父が低くうなずいた。
「うむ。大人だな」
「いや、普通でしょ」
「修吾ちゃんにしては、だいぶ普通じゃない」
母は笑いをこらえきれず、肩を震わせた。
修吾はスマホを握りしめたまま、深く息を吸う。
「……続き食べる」
「その前にひとつだけ」
姉がにやっと笑った。
「由佳里ちゃん、たぶんまた来るよ」
修吾の手が、ぴたりと止まる。
「……来るのか?」
「来るでしょ。話を聞く限り本気みたいだし」
耀も頷く。
「しかも、たぶん普通に攻めてくる」
「攻め……」
修吾は天井を見上げた。
その脳裏に、文化祭の校舎前で笑った由佳里の顔が浮かぶ。あの自然な手の取り方。あの真っ直ぐな目。
そして、自分の震えを見ても怯まなかったこと。
「……どうしよう」
誰にともなく漏れた呟きに、姉が即答した。
「どうもしなくていい。たぶんもう、向こうが勝手に来る」
耀も、少しだけ笑った。
「お兄ちゃんは、逃げ切れないと思う」
修吾はスマホを見たまま、もう一度だけ深く息を吐いた。返したばかりのメッセージの上に、まだ指先の熱が残っている気がした。
「……そうかもな」




