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異世界は僕に牙を剥く ~異世界奴隷の迷宮探索~  作者: 結城紅
序章 この残酷な異世界で
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代償は既に支払われた

「……最悪の目覚めだ」


盗品を配分し終えた後。

心身共に疲労困憊だった僕は、念を入れて別の宿に泊まった。

オールドマギに聞きたいことはあったが、部屋に入るなり泥のように眠りこけたわけだ。


疲れていたから夢は見ないものだと思っていたが……人を短剣で殺す夢を見る羽目になった。

まあ、初めての殺人が心に深く傷をつけたことには間違いはないんだけど……。

夢の中で見た奴は、見覚えがない相手だった。こういうのって、普通僕が殺した相手が恨みがましく出てくるもんじゃないの?

いずれにしても、夢見心地は最悪だからどちらにせよ変わりはしないけれども。


「『コール』」


彼を手元に呼び出す。

するべき話をせずに、先送りしてしまっていた。今のうちに聞いておくべきだろう。


「……昨日と同じ馬車便には乗れそうにないし」


市場は既に活気づいている。昨日より遅い時間に起きたのは明白だ。

オールドマギという目覚まし時計を出さずに寝たのが敗因だな。

朝陽に照らされた魔導書のページがゆっくりと文字を刻んでいく。


『契約者よ、おはよう』


「おはよう。さて、聞きたいことがあるんだけどいい?」


『魔眼の件だな?』


「その通り」


察しがよくて助かる。

疑問は単純明快。彼が人格交代と称した、聞いてもいない魔眼の機能について。

そして、その代償だ。

魔導書は淡々と事実を語る。


誓約の魔眼(ミリオンガンド)を与えた真の目的が、あの機能だ。一時的に私が契約者の身体を動かせるようになる』


「どうして秘匿していたんだ?」


『あれは非常時の機能だ。リスクが高い。使わないに越したことはなかった。

無闇に使われると契約者は……』


オールドマギが語った、前契約者の末路を思い出す。

発狂して、自殺。今なら何となく分かる。

追体験を行いすぎて自我が崩壊したのだろう。


「前契約者と同じ末路を辿る、そう言いたいのか?」


『……その通りだ』


「……じゃあ、代償は追体験と同じか」


『そうだ。観測する力は時間制約さえ守れば無害だが、身体主導権の交代は機能した時点で代償が発生する』


だから、ギリギリの窮地に陥るまでは使いたくないのだと言う。

この機能は、飽くまで死と同時に 死ぬよりかはマシ な選択肢を提示するに過ぎない機能。つまるところ、彼の後継たる僕を守るための機能。


だが、その僕が壊れては意味がない。


だから、オールドマギは人格交代の主導権を僕に渡さず、出し渋ったわけだ。

確かに、彼に対する信頼がない当初に聞かされたら憤怒していたに違いない。他人が自分の生命の手綱を握っているも同然なわけだから。

今となっては、不安はない。実際に、死の間際に行使された実績もあるしな。


『改めて、代償について話しておこう。追体験、人格交代に伴い支払われる代償。

それは、記憶、価値観といった自己を司るものだ』


「今のところ、そんな印象はないけれど」


特に健忘症のと思しき症状は出ていない。

目的も明確だ。母の下に戻るため、元の世界への帰還を目指す。

大切なことは、何一つ忘れてはいない。

忠告するように、オールドマギが言葉を並べる。


『殺人に慣れてはいないか? 死体を見ても、もう驚かないだろう?』


「……まあ、言われてみれば」


『それは、倫理観の欠如。代償の支払いによるものだ』


確かに、殺人や死体は一般常識で考えれば一日二日で慣れるものではないだろう。人によりけり、特殊な人間であれば何とも思わないかもしれないが、僕は初見で吐いたからその線はない。

今では嫌悪感を覚えるものの、我慢できる範囲に収まっている。

オールドマギの言葉は正しい。


『君は間違いなく、力を得る対価を払っている』


貴族に仕官できるレベルの魔法。常識離れした曲芸じみた戦闘技術。これらを、何の才もない人間が一両日中に習得した。アスリートのドーピングが可愛く思える程のインチキ、ズル。英語で言うところのチート。

こんなものが、無償で手に入るわけがない。そんな都合の良いことなどないと、僕は知っている。都合の悪いことばかりだった人生だ。

だから、だからこそ。こうも考えられる。


「でも、却って良い結果だったんじゃないか? この世界で生き抜くには都合が良い」


『マレビトにしかない、貴重な倫理観だ』


「あれは弱さでしかないよ」


過酷な……世界そのものが僕に牙を剥いているとしか思えない異世界に於いてハンディキャップでしかない感傷。人を殺してはいけません。人の物を盗んではいけません。小学生でも分かる道徳心。


だが。殺さなければ殺される。盗まなければ盗まれる。

ハンムラビ法典にもあるだろう。目には目を歯には歯を。

悪には悪しかない。正義の反対が正義と言われるように、悪の反対もまた悪でしかない。


『弱くなどない。失ってはならないものだった』


「弱かったさ。だから、こうなった」


右眼を抑える。

不殺を貫くには、圧倒的なまでの戦力差が要求される。彼我の力の差が離れていなければ、殺さずに無力化などできるわけがない。

急造の力を手にして、僕は思いあがっていた。

力も、心持ちも弱かった。

だから、理想の英雄像など体現できない。血塗れの英雄を目指すしかない。


『……』


自らの行いを、選択を、悔いているのだろうか。

魔導書は沈黙した。

なんとなく察しはついていたかとは思います。

ストックできたので、明日も確定であげられます。

次の戦闘は1話後なんですが、実質2話後です。また曲芸します。

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