林田家の苦悩
喉が渇いたのか、篠山はコップに半分程残ったお茶を飲み干し、話を続けた。
「塩尻は、キミコに臨床実験に参加させてみないかと言ってきました。まだ臨床実験の段階で無料で試せるし、身体的負担もそんなに無いと説明されました。」
「なんか、表現が軽いなぁ。まるで怪しい商品を売りつける勧誘のようだ。まあ、実験の内容なんて一般の人に理解は難しいと思うけど。
それにしても、最高機密でまだほとんどの人が知らないはずなのに、藤原さん達の口は思っている以上に軽いもんだな。」
ソウタは、呆れたような悔しそうな、なんとも言えない表情をした。
「塩尻の人間性はともかく、彼の持っている情報は信頼できるものだと思っていた私は、キミコに研究の話をしました。キミコはその話に飛びつきました。その頃のキミコは、子供を産むことに対する執念がすごかった。実家からの圧力も相当だったようです。
私の父が諫めていたらしいですが、叔母は聞く耳を持たないようでキミコはかなり追い詰められてました。ユウジさんはキミコの実家から距離を取ろうとしましたが、キミコが離れようとしなかった。母親と共依存のような感じになっていたかもしれません。
その頃から、キミコは極端に口数が減っていきました。ユウジさんはそんなキミコをいつも心配していました。だからユウジさんにとっても塩尻の話はとても魅力的に感じたようでした。」
タケルは、キミコがなぜそんなに追い詰められたのかよく分からない。
「子供を産むってそんなにプレッシャーになることなの?サーちゃんも子供を諦めきれなくて実験に参加したって聞いたし。そりゃ少子化は深刻だけど・・・。」
思わず聞いてしまった。
「僕達の世代じゃ、少子化は当たり前のことだからね。当たり前すぎて返って危機感がないのが僕らなんだと思う。でもその前はそうじゃなかった。メグミが生まれた時のお祭り騒ぎを覚えてるだろう?自然妊娠で2人目を産んだ飯島のおじさんやおばさんは、村の英雄みたいになってたって言うし。」
トオルがタケルの疑問に反応する。
「俺ら以降の子供達は、「諦め世代」とか世間に言われてるしね。でも、親世代は人類滅亡の危機を深刻に捉えてたんだよ。今、その危機はもっと現実味を帯びてきてるけど、俺達の世代には問題が大き過ぎて、返って無関心になってしまっている。」
ワタルがトオルの話を補足するように付け加えた。
「授業でも習うし、このままじゃ近い将来本当に人類がいなくなるのは分かるんですけど、やっぱり何だか他人事のように感じてしまいますよね。」
トオルが頷きながら呟いた。
頭では深刻だと分かるけど、どうしても実感できないのはタケルも同じだ。
「あの頃は、センセーショナルに少子化を報道してたりして、どんな手段でも良いから子供を産もうって意識が高かった。キミコさんはそう言う時代と妊娠しやすい家系に追い詰められたわけだね。」
ソウタはキミコに同情するように言った。ソウタとユミもどうしても子供が欲しいと結婚当初から話していたと、その時代の空気みたいなものを話してくれた。
「キミコもユウジさんも研究所には行かなかったようです。小さなクリニックみたいな所に行かされて、簡単な説明の後、卵子と皮膚の組織を採取して後は結果を待つだけだったと教えてくれました。
ユウジさんは、あまりの呆気なさに不信感を持ち研究所で詳しく聞こうとしたのですが、最重要国家機密だと言って取り合ってもらえ無かったそうです。
ユウジさんの不信感が消えないままの状態で、健康な受精卵の生成に成功したと研究所から連絡が入りました。そんな状況で着床させても大丈夫かと悩んだそうですが、キミコがどうしても産みたいと言うことで押し切れられたみたいですね。
なんだかんだ言っても、妊娠中はユウジさんも子供の誕生を楽しみにしていたみたいです。反対に、あんなに妊娠したかったはずのキミコが、不安に苛まれて行きました。私にも不安を訴える電話が何度かありました。」
「じゃあ、俺が子供の頃聞いたのは・・・。。」
ワタルが口を挟んだ。篠山を疑うきっかけになったワタルの記憶だ。
「ええ、多分そうだと思います。私はキミコがマタニティーブルーになっているだけだと思い、適当に励ましてました。
しばらくして、渡辺先輩の追っていた藤原先生と研究所の問題に塩尻が深く関わっていると情報が入りました。そこで初めてキミコをとんでもない相手に紹介してしまったと思いました。少し考えれば分かることなのに・・・本当に後悔しかありませんよね。」
「ジュンイチさんは、その頃にはもう博士の実験に何かあると調査を開始していたんですよね。なのになぜ分からなかったんですか?」
トオルが険しい顔で聞く。何か都合が良くないか?タケルも不審に思う。
「その当時、塩尻はまだ厚生省の官僚をしてまして、特定の政治家の元にいたわけじゃ無かったんです。まあ、すぐに仕事を辞めて藤原先生の秘書に収まりましたし、言い訳しても仕方ないですよね。」
「お父さんには相談しなかったの?」
トウコが質問した。
「もちろん相談しました。ただその頃は、研究の内容よりも政治との利権がらみの癒着の方が問題だと思っていました。不妊治療が目的の研究であることは間違いなさそうだし、ユウジさんに詳しい話をする事には慎重である方がいいのではないかという結論になりました。
プリンタを使って、直接DNAを書き換えるというのは知っていたんですが、部分的なものだと思っていたんです。画期的なものであるのは確実で、不妊以外の病気への応用にも可能性が無限にあると。だから悪用される危険性もあると認識はしていたんです。
でもまさか、完全に人工ゲノムの子供を作るなんて・・・、思い付きもしませんでした。」
そこで篠山は、少しトオルを気にするようなそぶりを見せて続きを話した。
「先生がタケルさんたちの誕生に関して相談された時には、とんでもないことが起きていると思いました。先生は研究のことを世間に公表した方がいいのではないかとおっしゃっってましたが、それは危険だと思いました。相手が大きすぎる。それに私はミドリが心配でした。下手に騒ぐと、一生世間から好奇の目で見られる事になるのだと思いましたので、公表には反対しました。」
「それに関しては、本当に感謝している。あのときは頭に血が昇ってて、その後に子供達がどうなるかなんて考えられなかった。」
ソウタは、もしあのとき公表していたらと思うとゾッとすると言っていた。
「先生の話を聞いていて、私は、北村先生に疑いを持ちました。タケルさんたちの問題の後でも研究を続けていたみたいだし、子供を引き取って津山17村へ行くのも。何か魂胆があるのではと思ってました。」
「なんでサーちゃんを疑うのさ!サーちゃんは被害者だよ!」
タケルは思わず叫んでしまった。サエコを悪く言うなんて許せない。だけど、トオルはやはり冷静で、タケルをやんわりと制してきた。
「そんな状況じゃあ、サーちゃんが疑われてもしょうがないよ。なんだかんだ言って、ゲノムプリンタの発案者な訳だし。」
「でも、俺たちを守るために敢えて中心から離れなかっただけで・・・。」
「そんな事情なんて、他の人にわかるわけないじゃん。」
「まあ、そうだけどさ・・・。」
タケルはバツが悪そうにトーンダウンした。篠山は申し訳なさそうな顔をする。
「北村先生への疑いは、ユウジさんたちが津山17村に赴任してから徐々に消えていきました。」
「そうそう、林田氏はどう言う経緯でタケルたちのいる津山へ赴任する事になったんだい?」
ソウタが核心に迫る。
篠山の口から、林田家が津山17村まで赴任した経緯が語られた。
「ユウジさんは元々、地方の活性化に興味があったんです。ユウジさんの幼い頃に住んでいた村が寂れて廃村になってしまった経験があるそうで、子供心にすごく悔しかったと言ってました。
ユウジさんは、自分の夢のために応用学校で地方活性化の研究を選択しました。
学校を出てからは上京して地方管理局へ入り、地方の村への相談に乗るような仕事をしていて、その頃から「いつかは地方の村の経営に乗り出してみたい」と、よく話してくれたものです。」
この時代、地方選挙と言うのは存在しない。自治体の首長は地方管理理局からの推薦で決まる。首長は管理局の職員だったり、地元の有志だったり様々だが、募集に応じて管理局が決める。
もちろん住民には拒否権があり、2年に一度首長への承認投票がある。人口の50%の人が承認しなければすぐに解任される厳しいものだ
サエコが、ユウジがいつも90%以上の支持率で承認されていたと言ってたから、そう言うところでも村でのユウジの手腕が評価されていたことがよく分かる。
「研究所への不信感はあったものの、子供は無事に生まれました。ミドリの誕生は本当に嬉しかったらしく、2人とも本当に幸せそうだった。だけど、ミドリが3歳を超える頃から、夫妻はは不安を覚えるようになってきました。ミドリの物覚えが早すぎるって。研究所への不信感で、とてもじゃないが『自分の子供は天才だ』なんて思えないと言っってました。
私は、塩尻を紹介したことを2人に詫びました。ミドリが完全体とは思わなかったですが、とんでもない研究に巻き込んでしまったと。
ユウジさんはミドリの誕生については素直に嬉しいと言ってくれました。そして、これまでの夢だった田舎の村の経営をしたいと、自然豊かな環境でミドリをのびのびと育てたいと言ってきました。」
そこで、篠山はお茶を飲む。さっきから何度もお茶をお代わりしている。緊張で喉が乾くのだろう。さっきから額の汗を何度もハンカチで吹いている。
「ミドリが4歳の誕生日を迎えた頃、渡辺先輩の事故がありました。尊敬していた先輩の死は、ショックで辛かった。同時にトウコさんのことが心配でした。先生がすぐにトウコさんを引き取る手続きを始めたと聞いて、とても安心した記憶があります。
先生が政界に打って出ると聞いて、どうしてもお手伝いをしたいと思い、私はニュースセンターを退職して、先生の秘書になることを選びました。
先生は事故という事で納得してましたが、私の中で研究所への疑惑は大きくなりました。北村先生がタケル君達を伴って中国地方の小さな村へ行くのも、何かを企んでいるのではないかと思ってました。
北村先生の事を絶対的に信頼いている先生に相談する事もできず、1人で考え込んでしまいました。
そんな悶々としていたある日、ユウジさんが地方派遣の公募の一覧を見せてくれたことがありました。その一覧の中に津山17村の名前を見つけたときは、本当に驚きました。私の表情が変わった事に気がついたのでしょうね、ユウジさんがどうしたのか聞いてきたんですよ。
私が、研究所の中心人物の北村サエコが津山17村で常駐医として働いていると言うと、 ユウジさんは、少し怖い顔をしてしばらく考え込んだ後、津山17村の所長へ応募してみると言いました。
その時点で、北村先生が林田家の存在を知っているのかどうかは不明でしたし、ミドリを危険に晒す事にならないかと、私は反対しましたが、何もしないでじっとしているよりは良いとユウジさんは言いました。家族は何があっても俺が守るからと。
結局私は、ユウジさんに北村先生へのスパイを依頼する事にしたのです。」
タケルは、複雑な気持ちになった。
いつも元気に挨拶を交わして可愛がってくれていたと思っていたユウジに、何だか裏切られたような気分もする。それでも、当時の篠山やユウジの気持ちも理解できるから、辛い。
ふと横に座るトオルを見る。同じ様な気持ちなのだろうか、悲しそうな目をしているように見えた。
「それで、サーちゃんへの誤解はとけたのですね。」
「そうですね・・・。」
笹山は少し遠い目をしている。当時を思い出そうとしているようだ。




