秘密の開示2
「俺は北村先生達の研究を聞かされた時、世界が変わるって思ったよ。不妊治療だけじゃなく汎用性の高い、将来希望が持てるすごい研究になるってね。
今までは、元々あるDNAを切ったり繋げたりしてゲノムを編集していたのを、任意の塩基を直接DNAへと書き込めるのだから、効率的で自自由度も高い。人類はいつでも理想のゲノムを手に入れられるとね。
医学だけではなくて、農業なんかも革命的な進歩が期待できるんじゃ無いかって、本当に興奮したよ。
最初から先生は不安もあったんだろう。使い方次第では恐しい結果を招くことになるってね。それでも、俺は希望の方が大きいように思えたし、先生も研究の意義は感じていた。先生はコントロールの仕方が大事だといつも言っていたよ。
博士は、コントロールについては無頓着で、ただただ好奇心で研究をしているように見えて、そういうところも先生は不安だったんだろうね。
俺が研究を聞かされたときは、もうヒトの卵子の臨床実験を始めようとしているところだった。さっきも言ったけど先生の卵子を使った実験はなかなか上手くいかなくて、他に卵子の提供ができそうな人を探していたんだ。でも、大っぴらに募集する訳にもいかなくて、先生の部下である俺に話が回ってきたんだ。
俺は研究の重大さを認識していたつもりだったし、ユミも子供が欲しいということで実験への参加を決めたんだ。
先生と比べて俺たちの卵子は、順調に成果を上げてすぐに受精卵の状態になった。そして、受精卵は胚に移行する段階で二つに分裂した。・・・・・・一卵性双生児だった。
男性側のY染色体の問題ばかり話題になるけど、実は女性側も子宮が平均的に小さくなって来ている問題があるんだ。原因はまだよく解っていないのだけど、ユミの体も双子を産むことは無理だった。
・・・すごく悩んだよ・・・。片方を廃棄するなんて出来ない。まだ人の形にもなっていないけど、どちらも俺たちの子供に違いないってね。
そんな時に先生から、『片方を冷凍保存して、ユミさんの体が落ち着いてから産めばいいのではないか』と提案されて、俺もユミも、迷わずその提案を受け入れた。それ以外の解決案を見出せなかったしね。そして・・・その時、冷凍保存されたのが・・・タケル、君だよ。
僕たちのお腹の子は順調に育って問題なく出産できた。ワタルだね。だけど、出産後にユミの体がもう妊娠に耐えられそうに無いことがわかってね。代理母を使うかどうかで随分悩んだよ。答えが出ないまま5年以上が過ぎたんだ。
ワタルとタケルの、歳が離れているのはそのためなんだ。
その頃の先生は、自分の子供が出産後すぐに亡くなって、随分辛い時期だった。病院を辞めて研究の方に専念して・・・、なんだか取り憑かれたようになっていた。
博士はとても心配していた。それは間違いないのだけど、どうも死んだ子供に対して先生とは温度差があった。さっきトオルくんが言ってた、『医学』と『工学』の考え方の違いっていうのが、すごくしっくりきたんだけど、そういうことなんだね。結局2人は離婚する事になったよ。
お互いリスペクトがあったから、共同で研究することはできるけど、夫婦としてはもう一緒にいられなかったんだね。
先生は、バーチャルの世界で100%人口のゲノムを組み立てる研究をしていた。それはリアルの世界での問題をシュミレートする目的だった。現実にそれで子供を作るつもりなんて無かった。自分のような失敗を二度と繰り返したくないって思いだったんだ。
しばらくして先生の研究を知った政府の上の連中が、轟博士に働きかけてきた。
倫理観の強い先生では当然断られることでも、博士の好奇心に働きかければ、革新的な実験ができるのではないかとは考えたんだろうね。
藤原代議士が中心となって、博士を説得したらしい。困ったことに先生以外の人間は、実験の危険性や倫理観と言うものを軽く考えていたんだね。少し考えると誰でもわかることなのに・・・みんな麻痺していたのか、誰かそういう風に持っていったかは、いろいろ調べてみたけど判らなかった。
博士は最初は先生の意思を尊重していたんだけど、元々興味があったんだろうね。結局好奇心に負けて、100%人口の遺伝子をプリントアウトする研究を始めてしまった。
先生が博士たちの実験を知ったのは、もう代理母が妊娠した後だった。
一方その頃俺たちは本当に幸せで、ワタルも順調に育っていった。それでも、もう1人の子をどういう形でこの世に出すか・・・それを考えない日はなかった。名前だけは決めていたんだ『タケル』って。
先生が病院を辞めたのもあって俺の仕事が忙しくなってきて、なかなかユミと話し合う時間も取れなくて、代理母でトラブルがが多いって聞いていたし、なかなか答を見つけられずに時間だけが進んでいく。いや、それは言い訳だな。
ワタルが生まれて答えが出ないまま6年ほど経った。ある時先生から、研究所で他の代理母に着床させてしまったって聞かされたんだ。そんなことがある訳ないよね。 先生は泣いて謝ってきた。知らなかったとは言え、とんでもないことをしてしまったと。
いつも冷静で、自分の子供が亡くなった後でさえ、なんとか気丈に振る舞っていた先生があんなに取り乱したのを、俺は初めて見た。
最初博士は、他の臨床実験と間違ったと言ってきたらしいのだが、先生が博士を問い詰めると、完全に人工で作られた遺伝子で生まれる子供との比較対象が欲しかったと認めたと。
ひどい話だと憤慨しても、もう取り返しがつかない。せめて、生まれた子供をすぐにでもこちらに引き取りたかった。それは本当だ。
でも研究所がタケルを引き取ることに難色を示してきた。てっきり、代理母が母性を持ってしまって、子供を離したがらないのではないかと思ったんだけど、そうじゃなかった。
観察のために、2人一緒に育てないと意味がないと言ってきやがった。本当にひどい話だと思ったね。俺たちの子供をなんだと思っているんだと。
ユミもすっかり参ってしまって精神が不安定になるし、本当に辛い時期だったよ。
俺たちが研究所との交渉に難航していたある時、先生からある提案があってね。
子供は、先生が15歳まで育てるのはどうかと、研究所からの干渉の少ない、地方の小さな村で2人を15歳になるまで育てたいと。
このまま、新京市で子供たちを育てるとどうしても、研究所からも下手したら政府からもいろいろ干渉されるのは間違いない。それならいっその事先生が地方の無医村に赴任して、そこでなるべく伸び伸びと子供たちを育てたいと、そして将来自分で考えて、少しでも納得できる人生を送れる手助けをしたいと言っていた。
俺たちはそれを受け入れる事しかできなかった。
先生は、病院に復職して地方医療の研修を受け始めた。
もちろん、君達への罪滅ぼしの気持ちも大きかったんだろうけど、行くからには本気で地方医療に携わっていこうとしたんだね。真面目で医者として誇りを持っていた先生らしいよ。
政府側からは、勝手なことをするなと反対も多かったけど、それなら誰が育てるかということになってね。
結局、成長過程を定期的に研究所へ報告すること、期限は15歳の基礎学校卒業までとすること、基礎学校が修了した後、トオルは博士がタケルは俺達がと、それぞれ引き取る事ことが条件で、やっと博士と藤原さんが了承した形になったんだ。
17年前の4月にタケルが産まれたと、先生から連絡あっった。俺たちが考えた名前をそのまま使ってくれたのは先生だった。
思いの外、自由に面会できたのは嬉しかったけど、やっぱり自分達で育てることができないから、面会の帰りはユミも俺も本当に複雑な気持ちだったのを覚えているよ。辛かったね。
その2ヶ月後の6月に、もう1人の子供が産まれトオルと名付けられたと聞いた。
そして君たちが3歳になった時、君たちは津山17村へと旅立っていった。」




