08. 願い
一瞬、時間が止まったようでした。
窓から差し込む陽の光も、砂時計の砂も、そのまま宙に縫い留められたかのように動きません。
結婚式。
私と、リサ。
――フローラ様と、私?
頭の中で言葉がぐるぐると回って、どこにも着地しません。
私は、かろうじて口を開きました。
「フローラ様。言っている意味が理解できません」
「どういうことかしら?」
「なぜ私がフローラ様と結婚式をするのですか」
「だって、結婚するなら、結婚式をしないといけないでしょう?」
「だから、それが……っ」
当然のことのように、フローラ様は答えました。
私が何に引っかかっているのか、本当にわからないという顔です。
「なんで、そういうお話に……私とフローラ様が結婚するというお話になるんですか」
――フローラ様と、結婚。
それは望んだところで手に入らない、輝かしい言葉です。
フローラ様が誰のものにもならず、私だけのそばにいてくださる。
それは確かに私が求めた未来でした。
それなのに、いざその未来を差し出されると、胸に込み上げてくるのは喜びではありません。
私のわがままに、フローラ様の未来を巻き込んでしまう。
そんな恐怖心が、私の胸を塗りつぶしました。
「おかしい、でしょう……」
「何もおかしくはないわ? だって、リサが言ったんじゃない。リサだけの私でいて欲しいって」
「……っ」
心臓が鷲掴みにされたように、きゅうっと縮こまりました。
まっすぐな問いかけでした。
逃げ場がありません。
透き通った瞳が、まばたきもせず、私を映しています。
「それ、は……っ」
わかっているのです。
フローラ様は私の言葉を素直に受け止めてくださっているだけだと。
でも今の私にとってその言葉は、罪状を突きつけられているようなものでした。
フローラ様がお許しになったとしても、本来であれば抱いてはいけない気持ちなのですから。
「言ったでしょう?」
違います、そういう意味ではありません。
そんな風に誤魔化せば、フローラ様も考えを改めてくれるかもしれません。
けれど――できませんでした。
自分に嘘をつくことだけは、どうしてもできなかったのです。
「……言い、ました」
罪とも言えるその言葉は、舌に乗せると、いやにざらざらとしました。
それに耐えられず、私は震える声で続けました。
「……フローラ様。どうか……あの、朝の言葉は、忘れてくださいませんか」
「忘れる?」
「あれは、私の……身勝手な発言でした。本当に申し訳ありません。主人であるフローラ様に、あんな……あのような、ことを……。お願いします、あの言葉も、あの、口づけも、どうか、どうかなかったことに……っ」
言葉がうまく繋がりません。
言いながら、頭の中がちぐはぐに軋んでいくのがわかりました。
何を言っているのか、自分でもよくわからないのです。
ただ、取り消さなければ、という思いだけが先に立っていました。
フローラ様は、じっと私を見ていました。
「あれはリサの本心ではなかったの?」
私はその言葉に、必死で首を振りました。
「ちがう、ちがうんですっ。私の本当の気持ちなんです、でも……私は、このようなことを、願っては、いけないんです」
フローラ様は、お優しい方です。
私が朝、あんなふうに縋りついてしまったから。
誰のものにもならないでくださいと、みっともなく訴えてしまったから。
だから、気を遣ってくださっているのです。
私が――惑わせてしまったのです。
「あなたの大切な未来のための選択を……情けなんかで間違えてはいけません」
フローラ様は、この国の姫なのです。
隣国の王族か、あるいはどこかの貴族か――私などよりずっと、フローラ様の隣に立つにふさわしい方と一緒に歩く、明るい未来があるはずなのに。
それを私の身勝手な想いで、閉ざそうとしている。
主人に恋をするだけでも罪なのに、その人生まで歪めてしまうなんて。
「私はメイドで、あなたは姫……私が、フローラ様を、独り占めするなんて、あってはならないんです。きっと今は、想像できなくても……そのうち、もっとふさわしい方が現れて、そのときに、必ず……後悔なさいます」
私は耐えられず俯き、メイド服のエプロンをぎゅっと握りしめました。
「私の存在がフローラ様を惑わせてしまうなら……すぐに、消えますから。お暇をいただいて、二度と、お目にかからないようにします。ですから、どうか、私のことはっ……」
――忘れてください。
最後の言葉は、喉の奥から出てきませんでした。
往生際が悪い自分が、嫌になります。
「…………っ」
目頭が熱くなり、床に落ちた視界が滲んでいきます。
唇の端が、情けなく震えました。




