04. 衝動
「フローラ様、全身をご確認します」
私は身支度を終えたフローラ様から少し離れて、その姿を眺めました。
しっかりと梳いた淡く輝く髪は、朝の光を受けて透き通るように輝いています。
ふわりと広がるドレスの裾から覗く、細い足首。
すらりと伸びた立ち姿は、どこにも乱れがありません。
いつも通りの、美しいフローラ様でした。
幾度となく見てきたはずの、完璧なお姿。
それなのに、その光景を見た瞬間――ぷつりと、何かが切れる音がしました。
気づいた時には、私はフローラ様の胸に飛び込んでいました。
勢いのまま、私とフローラ様はもつれるようにしてベッドに倒れ込みました。
視界が回り、ぼすんと寝具に沈み込みます。
「あ……」
声が漏れたのは、私の方でした。
目の前にフローラ様がいます。
シーツの上に縫い留められるように横たわって、私を見上げています。
私の手で整えて差し上げたばかりの髪が、白い布の上で乱れていました。
自分が何をしたのか、頭が追いつきません。
血の気が引いていくのと同時に、耳の奥で自分の鼓動が鳴り響きます。
取り返しのつかないことをしてしまった恐怖。
早く身体を起こして、謝らないといけないのに――それなのに、離れたくないという、制御できない感情。
ぐちゃぐちゃに絡まって、何一つほどけません。
フローラ様は、ほんの少しだけ目を見開いていらっしゃいました。
取り乱すことはありません。
いつもの透き通った瞳が、静かに私を映しています。
「あなた……自分が何をしているのか、わかっているの?」
その声は、責めるでも、諌めるでもなく、ただの落ち着いた問いかけでした。
私が組み敷いているのは、私がお仕えする主人――この国の第一王女、その人です。
専属メイドという身分でなければ、そのお身体に触れることすら許されない、尊い御方。
「何をしているか……わかってる、つもりです」
許されることではありません。
そう――わかってはいるのに。
ふわりと鼻先をかすめる、ヘアオイルの花の香り。
気づけば私は、それに引き寄せられるように、フローラ様の身体を腕の中に抱きしめていました。
ドレス越しに伝わる体温。細く華奢な身体から伝わる、柔らかな感触。
理性の頼りない壁が、もろく崩れていきます。
「……そう」
返ってきたのは、それだけでした。
拒む言葉も、咎める言葉もありません。
「フローラ様……っ」
密着した身体のあいだで、私の鼓動だけがうるさく響いています。
背徳感に痺れる中で、私はこの気持ちの正体を知りつつありました。
「……誰のものにもならないでください、フローラ様。私の、私だけのフローラ様でいて欲しいんですっ……」
溢れたのは、我ながら子どもじみた独占欲でした。
声が震えて、みっともなくかすれていました。
整った言葉なんて、ひとつも出てきません。
私は腕を少しだけ緩め、フローラ様の顔を見つめました。
透き通った瞳に、ただの一介の使用人である自分だけが映っています。
「……フローラ様。今から私がすること……嫌だったら、拒否してください」
それは許しを求める言葉であり、同時に、私に残された最後の理性でもありました。
拒んでほしい、止めてほしい。
そうすれば、まだ引き返せます。
震える手で、フローラ様の頬にそっと触れました。
ひんやりとして、滑らかな肌でした。
フローラ様は、まっすぐに私を見つめています。
「……あの、フローラ様」
「いいわ」
「……え?」
「いいわよ。あなたの求めることを、やってごらんなさいな」
「…………っ」
息が止まりました。
許されないはずの行為に、許しを得てしまった。
信じられない思いと、ここまで来てなお消えない迷いに、指先が痺れます。
それでも、頬に添えた手は、離れませんでした。
おそるおそる、ゆっくりと顔を近づけます。
睫毛の一本一本が見えるほどの距離。
吐息が混ざり、花の香りが濃くなって、視界の端が滲みます。
拒まれることはなく、フローラ様の瞼が静かに落ちました。
そして、そっと、唇を重ねました。
柔らかい――そう思ったのが、最初でした。
想像していたよりずっと柔らかくて、少しだけ、温かい。
触れた瞬間、背筋まで痺れるような感覚が走り、私は小さく息を詰めました。
ただそこにフローラ様の唇があって、私を受け止めている。
その事実に、胸が締めつけられました。
自分の心臓の音が、耳の奥で割れそうなほど鳴っています。
触れているだけの、短いくちづけ。
それでも、長い長い時間のように感じました。
十数年かけて大きくなった何かが、ようやく形になって、唇の上に落ち着いたようでした。




