シーン3
事態が変わったのは、三日後の夕刻だった。
その日も俺たちは依頼を二件こなして、ギルドに報告を済ませた帰り道だった。セラの評判はこの三日で目に見えて広まっていた。大通りを歩けば会釈される回数が増え、ギルドの受付では優先的に案内されるようになっていた。
街の英雄、という言葉が使われ始めていた。
セラはそれを表向きは当然のこととして受け取っていたが、ギルドを出た直後に俺だけに聞こえる声で「……思ったより早いわね」と呟いたのを、俺は聞いていた。
そこへ、警報の鐘が鳴り響いた。
街の北側の見張り台からだ。一度ではなく、連続して鳴っている。緊急を示す打ち方だ。
俺とセラが大通りに出ると、すでに人々が騒めいていた。衛兵が走り回り、商人たちが店の雨戸を下ろしている。子供を抱えて路地に引っ込む親の姿があった。
「モンスターの群れだ!北の森から出てきた!」
誰かが叫んだ。
俺は北の方角を見た。遠くに土煙が上がっている。
数は……多い。
衛兵隊が正面から対処できる規模ではない。街の冒険者を総動員しても、厳しいかもしれない。土煙の動きから見て、速度も速い。このままでは日が落ちる前に北門に到達する。
セラも同じものを見ていた。
その横顔が、わずかに強張っていた。
群衆の中から声が上がった。
「セラ様!セラ様はどこだ!大魔法使いのセラ様なら、なんとかできるはずだ!」
「セラ様を呼んでこい!」
人々の視線がセラに集まった。
期待の目だ。三日間で積み上げてきた評判が、今この瞬間に一気に重さを持った。セラの肩に、街全体の重量がのしかかってくるような空気だった。
セラは動かなかった。
一秒、二秒。
俺はセラの横顔を見た。強張った表情の奥に、何かが揺れているのが分かった。恐怖か、焦りか、あるいはその両方か。足が、わずかに震えていた。
でも、引き下がらなかった。
セラはゆっくりと前に出た。群衆を割って、街の北門に向かって歩き出す。背筋はまっすぐで、歩みは遅くなかった。
誰かが道を開けた。それに続いて、また誰かが開けた。群衆が左右に割れて、セラのための一本道ができた。
俺は一歩後ろからついていった。
北門を出ると、土煙の向こうに群れの輪郭が見えてきた。狼型の魔獣が中心で、その周囲に複数の種が混在している。統率はされていないが、数だけで脅威になる規模だ。先頭の個体まで、距離にして二百メートルほどか。
衛兵の隊長が駆け寄ってきた。
「セラ様、危険です、後方に——」
「邪魔をしないで」
セラは静かに、しかしはっきりと言った。隊長が口をつぐんだ。
セラが杖を構えた。
周囲の衛兵や冒険者たちが固唾を飲んで見守っている。城壁の上では市民が息を詰めて下を見ていた。
杖が縦になった。
俺は魔力を集め始めた。今回は規模が違う。群れ全体を一度に処理するには、普段より多くの魔力が必要だ。ただ、多いといっても俺にとっては大した量ではない。川から水を一杯すくうようなものだ。
セラの詠唱が始まった。声は震えていなかった。
杖が横に振られた。
俺は魔力を解放した。
音もなく、光もなく。
群れの先頭から順に、魔獣たちが消えていった。波が引くように、静かに、しかし確実に。十秒もかからなかった。土煙だけが残って、風に流されていく。
完全な沈黙が落ちた。
北門の外に、何もいなくなった。
誰も、何も言えなかった。
衛兵の隊長が、口を半開きにしたまま固まっていた。城壁の上の市民も、声を失っていた。
それからの数秒後、誰かが叫んだ。
「セラ様が……!」
「セラ様が群れを一掃した!」
「信じられない、あの規模を一人で……!」
歓声が上がった。衛兵も冒険者も、その場にいた全員が同じ方向を向いていた。
セラの方向を。
セラは杖を下ろして、静かに群衆に向き直った。その顔は完璧に落ち着いていた。
「騒がしいわね」と彼女は言った。「この程度のこと、驚くほどのことでもないでしょう」
さらに大きな歓声が上がった。
俺はその少し後ろで、誰にも見られないまま、手を下ろした。




