シーン4
路地の隅に移動して、俺たちは向かい合った。
交渉、とは少し違う。俺が条件を整理して、彼女が飲むかどうかを判断する、という構図だった。
「まず確認する。あなたがやりたいことは、この街で『偉大な魔法使い』として名声を得ること。俺がやることは、陰から魔術を行使してその実績を作ること。表向きは俺があなたのお付き、ということでいいか?」
「そうよ」
「俺からの条件は二つだ」
彼女が眉を上げた。
「一つ目。俺の正体は絶対に口外しない。バレた瞬間、この契約は終わりだ。二つ目。俺が『ここまでだ』と判断した仕事は受けない。無茶な依頼や、俺が正体を晒すリスクが高い状況では動かない。判断の最終権限は俺が持つ」
彼女の顔が険しくなった。
「……それって、私が主導権を持っていないってことじゃない」
「表向きは違う。街の人間から見れば、あなたが全部決めている。指示を出しているのはあなただ。でも俺が無理だと判断した仕事は受けない。それだけのことだ」
「つまり私は、あなたに拒否権を持たせた状態で命令する、ということ?」
「そういうことになる」
彼女はしばらく黙っていた。
脅迫のつもりで来たのに、気づいたら条件交渉をさせられている。そのことにじわじわと気づいているのだろう、口元がわずかに歪んだ。悔しさを噛み殺している顔だ。
「……一つだけ、追加させなさい」
「聞く」
「表向きは、絶対に私が主よ。あなたが私に指図しているように見える状況は作らない。それだけは譲らない」
俺は少し考えた。
それは俺にとっても都合がいい。目立たなくて済む。
「構わない」
彼女は、もう一度だけ俺を睨んでから、小さく頷いた。
「……わかったわ。その条件で受けてあげる」
受けてあげる、という言い方が面白かった。交渉で主導権を取られた側の人間の言い方ではない。それでも最後まで上から目線を崩さないあたり、筋が通っているとは思った。
しばらく沈黙が落ちた。
契約は成立した。しかし俺たちはまだ、お互いの名前を知らなかった。
「一つ確認していいか」
「なに」
「名前だ。お互い、まだ名乗っていない」
彼女は少し虚を突かれた顔をした。言われてみれば、という顔だ。
「……セラよ。セラ・エルヴェイン」
「ヴァンだ。姓はない」
彼女は俺を一瞥した。姓がない、ということの意味を考えているのかもしれない。この世界では、姓を持たない人間は珍しくないが、素性の知れなさを示す場合もある。
しかしセラは何も言わなかった。
「セラ・エルヴェイン」と俺は繰り返した。
「覚えた」
「当然でしょう」
別れ際、セラは振り返りもせずに言った。
「明日の朝、南門の前に来なさい。遅刻は許さないから」
「分かった。何時だ」
「七時よ」
「了解した」
セラの足音が石畳に響いて、遠ざかっていく。俺はその背中を見送りながら、ひとりごちた。
——まあ、目立たなくて済むなら悪くない。
表に出る必要がなく、誰かの陰に隠れて動ける。転生者として身を隠し続けるには、むしろ都合のいい立場かもしれない。そう考えれば、脅されたというより、うまい話を持ってきてくれたとさえ言える。
俺は踵を返して、来た道を戻り始めた。
その背後、屋根の上では。
黒装束の二つの影が、身を潜めながら息をひそめていた。一方が体勢を崩してよろめいた瞬間、もう一方がとっさに腕を掴んで支える。二人の間で、口だけを動かした小さなやり取りがあった。
しかし路地を歩くヴァンは、振り返らなかった。
足音も、気配も、何も気づいた様子はない。
——明日から、少し面倒なことになりそうだ。
そんなことを考えながら、ヴァンの背中は夜の街に消えていった。今夜の出来事など、さしたることでもないとでも言うように。
静かな夜だった。




