シーン1
カルネスという街の名前を、俺が初めて聞いたのは、依頼書が届いた朝のことだった。
その日の朝は、いつも通り始まった。セラが食堂に下りてきて、俺が一歩後ろに続いて、朝食を済ませてギルドに向かう。そのはずだった。
ギルドの扉を開けた瞬間、受付嬢の様子がいつもと違うことに気づいた。表情が少し硬い。俺たちを見た瞬間にほっとしたような顔をしたが、すぐに改まった顔に戻った。
「セラ様、おはようございます。実は、今日は少し特別な依頼が届いていまして」
受付嬢がカウンターの奥から持ってきた封筒は、上等な紙でできていた。封蝋には、見覚えのない紋章が押されている。細かい彫刻の入った紋章で、どこか格式のある家のものだと分かった。封筒自体の重みも、普通の依頼書とは明らかに違った。
「カルネスのガーランド侯爵様からの直接依頼です」と受付嬢は続けた。声が少し緊張していた。「セラ様のご活躼が、遠方にまで届いているようで。こういった形での依頼は、当ギルドでも珍しいことでして……」
セラは封筒を受け取って、その場で開封した。
俺は一歩後ろに控えながら、セラの横顔を観察していた。手紙を読むにつれて、わずかに表情が変わっていくのが分かった。何かが引っかかっている顔だ。眉の間に、かすかな皺が寄っている。顎の角度も、少し変わった。普段のセラなら、依頼書を読みながら「この規模なら問題ないわね」とか「報酬の交渉が必要かしら」とか、頭の中で段取りを組み始める顔をする。今日はそれとは違った。
「内容は?」と俺は聞いた。
「魔獣の大発生」とセラは言った。「カルネスの街周辺で、ここ一ヶ月ほど魔獣が異常発生しているらしいわ。最初は小型が散発的に出ていた程度だったのが、今では中型の群れが街道を塞ぐほどになっているとのこと。街の衛兵では手に負えない規模で、ギルドに依頼を出したが腕のある冒険者が集まらないと」
「それで俺たちに?」
「名指しよ」セラは手紙をもう一度見た。「『セラ・エルヴェイン様の名声を聞き及び、ぜひお力をお借りしたい』とある。炎竜の件も、遠くまで伝わっているみたい」
受付嬢が少し恐縮した顔で付け加えた。
「カルネスはメルガンから馬車で一日ほどの距離です。報酬は通常の依頼の三倍以上を提示されています。滞在中の宿泊費と食費も、全額ガーランド家が負担するとのことで。もちろん、お断りいただいても構いませんし、条件を確認してからでも——」
「受けるわ」
セラの一言は、いつも通りの決断だった。即座で、迷いのない声だ。しかし俺には分かった。封筒を持つセラの指先が、わずかに力んでいた。
ギルドを出てから、大通りを歩きながら、俺はセラに声をかけた。
「カルネスに、何かあるのか」
セラは少し間を置いた。一拍、二拍。いつもならすぐに返ってくるところだ。大通りを行き交う人々の声が、その間を埋めた。
「……エルヴェイン家と縁のある街よ」とセラはやがて言った。「昔、父がそちらの貴族と仕事をしていたと聞いているわ。何度か社交の場でも名前が出ていた。それだけ」
「それだけか」
「それだけよ」
セラは前を向いたまま答えた。
俺はそれ以上聞かなかった。聞かれたくないことは、聞かれたくないなりの理由がある。前世でもそうだった。誰かが「それだけ」と言うときは、だいたい「それだけではない」のだが、踏み込むべき時と踏み込むべきでない時がある。今は後者だと判断した。




