閑話 転生者、看病する
異変に気づいたのは、夕食の席だった。
セラがいつもより口数が少なかった。依頼の振り返りをしているときも、明日の予定を確認するときも、返事が一言二言で終わる。普段なら「あなたのタイミングが少し遅かった」とか「もう少し魔力の出力を抑えなさい」とか、細かい注文をつけてくるのに、今日はそれもなかった。
食事も半分ほど残していた。
俺は特に何も言わなかった。食欲がないときに食べろとは言わない。ただ、テーブルの下でセラの手が、グラスを握り直しているのは見えていた。微妙に、力が入っていた。
「今日は早めに休め」と俺は言った。
「……そうするわ」
いつもなら「あなたに言われなくても分かってる」と返ってくるところだ。それがなかった。
翌朝、セラは食堂に下りてこなかった。
俺は朝食を済ませてから、セラの部屋のドアをノックした。
「セラ」
返事がない。もう一度ノックした。
「……入っていいわよ」
くぐもった声だった。
ドアを開けると、セラはベッドの中にいた。銀髪が枕の上に広がっていて、いつもの凛とした様子がない。顔が、わずかに赤い。
「熱か」
「……大したことないわ」
「顔が赤い」
「化粧のせいよ」
「化粧はしていない」
セラは黙った。
俺は近づいて、セラの額に手を当てた。熱い。それなりに出ている。
「今日の依頼は断る」
「だ、大丈夫よ。少し休めば——」
「断る」と俺は繰り返した。
セラはまた黙った。反論しなかった。それだけ体がきついということだろう。
俺は宿の主人に頼んで、薬草と水を用意してもらった。街の薬草店で解熱に効くものを選んで、煎じて持っていく。前世でも、誰かが体調を崩したときは自然とこういう動きをしていた。特に意識したことはない。ただ、目の前に困っている人間がいれば、できることをする。それだけだ。
部屋に戻ると、セラは起き上がろうとしていた。
「何をしている」
「着替えようと思って」
「寝ていろ」
「でも……」
「着替えが必要なら言え。必要なものを持ってくる」
セラはしばらく俺を見ていた。それから、素直にベッドに横になった。
「……ありがとう」
「薬を飲め」
セラが薬草を煎じたものを飲んで、また横になった。俺は椅子を引いて、ベッドの傍に座った。特にすることもないが、一人にしておくのも気が引けた。
しばらくして、セラが天井を見上げながら言った。
「ヴァン」
「なんだ」
「あなたって、こういうことも普通にやるのね」
「こういうこととは」
「看病とか。嫌じゃないの」
「嫌ではない」
セラはしばらく黙った。
「……前世でも、こういうことをしていたの?」
「職場の同僚が体調を崩したときは、薬を買って届けたことがある」
「頼まれたの?」
「頼まれていない」
「じゃあなんで」
「放っておくと気になるから」
セラは少し笑った。かすかに、口元だけで。
「あなたって本当に、そればっかりね」
「そればっかりで生きてきた」
「……悪くないと思うわ」
声が、少し眠そうになってきていた。熱と薬が効いてきたのかもしれない。
「ヴァン」
「なんだ」
「私ね」
セラの声が、ぼんやりとした響きを帯び始めた。
「魔法、下手くそなの。本当は」
「知っている」
「知っていたの」
「最初から」
「……そう」セラは天井を見たまま続けた。「家族には、ずっと隠していたわ。エルフのくせに魔法の扱いが下手だって、言えなくて。お父様はエルフとして魔法を誇りにしている人だから。私が落ちこぼれだって知ったら、どう思うかって……ずっと怖くて」
俺は黙って聞いていた。
「だから強がった。大魔法使いのフリをした。あなたを巻き込んで」セラの声が少し小さくなった。「ごめんなさい」
「謝らなくていい」
「でも」
「俺も承知の上で受けた契約だ。それに」
「それに?」
俺は少し間を置いた。
「悪くない仕事だと思っている」
セラはしばらく黙っていた。
やがて、寝息が聞こえてきた。
俺は椅子に座ったまま、眠ったセラの横顔を見ていた。いつもの強がりの仮面も、プライドの鎧も、今は全部脱ぎ去られていた。ただ、熱で少し赤い顔で、銀髪を枕に広げて、静かに眠っている。
——放っておけない、と最初に思ったのはいつだったか。
脅迫されて、条件を出して、契約を結んだ。最初はただの取引だった。目立たなくて済むなら悪くない、それだけの理由で受けた。
でも今は、少し違う。
俺はそれ以上考えるのをやめて、窓の外を見た。街の昼の喧騒が、遠くに聞こえていた。
翌朝、セラの熱は下がっていた。
食堂に下りてきたセラは、いつも通りの凛とした顔をしていた。銀髪をきちんと整えて、ローブを羽織って、顎をわずかに上げた立ち姿。昨日の面影はどこにもない。
「おはよう」と俺は言った。
「……おはよう」
セラは席に座って、パンを手に取った。それから、少し間を置いて言った。
「昨日のこと」
「なんだ」
「……覚えていないから」
「そうか」
「覚えていないの」
「聞いた」
セラは俺を見た。俺は何も言わなかった。
「……覚えていないから、何も言わないで」
「言うつもりはない」
セラはパンをかじった。
しばらくして、ぼそりと言った。
「……ありがとう」
「昨日のことは覚えていないんじゃなかったのか」
「うるさいわね」
セラはそっぽを向いた。耳の先が、少し赤くなっていた。
俺はお茶を一口飲んで、窓の外を見た。
今日も、静かな朝だった。




