シーン3
リネットが去ってから、しばらくの間、街は穏やかだった。
依頼は続いていた。セラの評判は炎竜騒動を経てさらに高まっていて、ギルドには「ぜひセラ様に」という指名依頼が増えた。内容は様々だったが、俺たちはこなした。いつも通りに。セラが詠唱して、俺が処理して、周囲がセラの手柄として受け取る。
そのリズムは、もう完全に体に染み付いていた。
セラも慣れてきていた。最初の頃は詠唱の間も緊張した様子があったが、最近は堂々としている。タイミングの合図も自然になって、時には言葉なしで目配せだけで通じるようになっていた。
チームとして、機能していた。
ある夕方、依頼を終えて街に戻る道すがら、セラが珍しく立ち止まった。
街の外れにある小さな広場だ。石造りの噴水があって、夕暮れの光が水面に反射している。街の子供たちが昼間は遊んでいた場所だが、この時間はもう誰もいない。噴水の水音だけが、静かに響いていた。
「ちょっと座っていい?」とセラが言った。
「構わない」
セラは噴水の縁に腰を下ろした。俺はその隣に、少し距離を置いて座った。
夕暮れの光が、二人の間に落ちていた。
橙色の光が石畳を染めて、噴水の水面に揺れている。遠くで誰かが夕食の支度をしているのか、香ばしい匂いが漂ってきた。
しばらく、何も言わなかった。
水の音だけがしていた。
「ヴァン」
「なんだ」
「あなたって、怖くないの?」
俺は少し考えた。
「何が」
「転生者だってこと。バレたら死ぬかもしれないのに、全然怖そうじゃない」
俺はその問いを、しばらく転がした。
怖い、か。
「怖くないわけじゃない」と俺は言った。「ただ、怖がっても状況は変わらない」
「それって、諦めてるってこと?」
「違う」俺は少し考えた。「前世でも、そうだった。仕事が嫌でも、人間関係が嫌でも、現実は変わらない。だったら、今できることをやる方がいい。それだけだ」
セラは俺を見ていた。
「前世って、よく言うわね。どんな世界だったの」
「普通の世界だ。剣も魔法もない。どこにでもいる人間が、どこにでもある仕事をして生きていた」
「楽しかった?」
俺は少し考えた。
「楽しいというより……静かだった。誰かに必要とされた実感は薄かったが、不幸でもなかった」
「静かな人生ね」
「そうだな」
セラは噴水の水面を見た。夕暮れの光が、水面で揺れている。
「私は」と彼女は言った。「ずっと、認められたかった。家でも、外でも。でも何をやっても二番手で、魔法の才能もなくて、それでも認められたくて、虚勢を張り続けてきた」
俺は何も言わなかった。
「エルヴェイン家に生まれたことは後悔していない」セラは続けた。「でも、ずっと比べられてきた。何をやっても足りない、と言われ続けてきた。だから強がることが癖になった。弱さを見せたら、終わりだと思っていたから」
「今も、そう思っているか」
セラは少し考えた。
「……分からない」と彼女は正直に言った。「でも、前よりは、少しだけ違う気がする」
「何が違う」
「弱さを見せても、終わりじゃないかもしれない、と思い始めた」
俺は黙っていた。
「リネットに言われた言葉、気に入らないけど」セラは続けた。「的外れでもなかった。あの日、前に出られたのは……あなたがいたからかもしれない」
「俺は何もしていない」
「嘘をつかないで」
静かな声だった。
俺はセラを見た。セラは水面を見たまま、続けた。
「炎竜の件、運よく逃げたなんて思っていない。詳しくは聞かない。でも、あなたが何かしたことは分かってる」
「……」
「それでいい」とセラは言った。「詳しく知らなくていい。あなたの事情は、あなたのものだから。ただ」
セラがこちらを向いた。
「あなたのことを、信用している。それだけは、言っておきたかった」
夕暮れの光の中で、セラの目は真剣だった。強がりの色も、プライドの鎧も、この瞬間だけはなかった。脅迫から始まった契約の相手を見る目ではなく、もっと別の何かを見る目だった。
俺はしばらくその目を見ていた。
「……分かった」
「それだけ?」
「それだけだ」
セラは少し呆れた顔をして、また水面を向いた。
「本当に、あなたって」
「なんだ」
「……放っておけない人ね」
その言葉が、誰かに向けられたものなのか、俺に向けられたものなのか、俺には判断できなかった。
ただ、悪くない夕暮れだ、と思った。
前世では、こういう時間がなかった。誰かと並んで、水の音を聞いて、何でもない話をする。そういう時間が、ずっとなかった。アパートの天井を見上げながら「今日も誰とも話さなかった」と思っていた頃が、遠い話のように感じた。
——まあ、悪くない。
誰に言うでもなく、そう思った。
噴水の水音が、夕暮れの広場に響いていた。




