シーン2
リネットが街を去ったのは、炎竜騒動から二日後のことだった。
朝の大通りで、俺たちはリネットと鉢合わせた。旅支度を整えたリネットが、宿から出てくるところだった。荷物は少ない。従者も連れていない。身一つで来て、身一つで去る。それがリネット・ファルケンレイという人間のやり方なのかもしれない。
朝の光が、金色がかった赤い髪を照らしていた。いつも通り、堂々とした立ち姿だった。ただ、昨日までとは何かが違った。棘が薄れている、とでも言うか。尖った部分が、少し丸くなっているような気がした。
「出立するの?」とセラが言った。
「ええ」とリネットは答えた。「用事は済んだわ」
「用事って」
「確かめたかったことを、確かめた。それだけよ」
リネットはセラを見た。昨日までとは少し違う目だった。値踏みする目ではなく、品定めする目でもなく、ただ、見ている目だった。
「セラ」
「なに」
「あなたが思っているより、あなたは強くなっているわよ」
セラの目が、わずかに見開かれた。
リネットは続けた。声のトーンが、いつもより低い。長年の習慣で削ってきた棘が、今この瞬間だけ、完全に消えていた。
「魔術の才能の話じゃない。もっと別の話よ。何があっても前に出る、あの足。昔のあなたにはなかったわ」
セラはしばらく黙っていた。
何か言いたそうな顔をしていたが、結局、出てきたのはいつものセラだった。
「……別に。あなたに言われるまでもないわ」
「そうね」リネットは少し口角を上げた。「あなたはいつもそう」
一拍の間があった。
「次に会うときは、もう少し素直になっていなさい」とリネットは言った。「じゃないと、また張り合いがないから」
「張り合いなんて求めていないわ」
「そう言いながら、あなたはいつも張り合ってくる」
セラが何か言い返そうとした瞬間、リネットの視線が俺に向いた。
俺は黙って立っていた。従者として、一歩後ろに。
「あなたは」とリネットが言った。
「はい」
「……名前、なんだったかしら」
「ヴァンでございます」
「ヴァン」リネットは俺の名前を繰り返した。一度だけ。「セラをよろしく頼むわ」
俺は答えなかった。従者が主人を「よろしく頼まれる」というのは、おかしな話だ。しかし、リネットの目は真剣だった。昨日まで俺を「格下の従者」として一瞥すらしなかった人間が、今はこちらをまっすぐ見ている。
「……承知しました」
リネットはそれだけ聞いて、踵を返した。
大通りを歩いていくリネットの後ろ姿を、俺たちは黙って見送った。金色がかった赤い髪が、朝の光を受けて輝いていた。人々が自然と道を空けていく。最後まで、その存在感は変わらなかった。すれ違う人々が振り返り、商人が会釈する。それを全部受け流しながら、リネットは歩き続けた。
角を曲がって、見えなくなった。
セラはしばらくその場に立っていた。
「……生意気ね」とセラはようやく言った。
「そうだな」
「あんな言い方しなくたっていいじゃない。素直に言えばいいのに」
「あなたも人のことは言えないだろう」
セラが俺を見た。一瞬、何か言い返そうとした顔をして、やめた。
「……そうね」
珍しく、素直だった。
朝の日差しが、二人の足元に長い影を作っていた。




