シーン4
夜、宿に戻ったセラは、珍しく口数が少なかった。
俺が夕食の片付けを終えて部屋に戻ると、セラは窓際の椅子に座って、ぼんやりと外を眺めていた。蝋燭の灯りが、横顔に淡い陰影を作っている。
「……今日のあれ」とセラが、振り返らずに言った。「何をしたの」
「構成を見せかけた」
「見せかけた?」
「あなたの詠唱に合わせて、それらしい構成式を後から組んだ。本物の構成より精巧に見えるように」
セラは少しの間、黙っていた。
「……そんなこと、できるの」
「できる、と分かった。今日初めてやった」
「初めて?」セラは振り返った。目を見開いている。「ぶっつけ本番だったということ?」
「そうだ」
セラは何か言いたそうな顔をしたが、結局、深いため息をついただけだった。
「……あなたの規格外さ、いい加減に怖くなってきたわ」
「悪い意味で?」
「分からない」セラは正直に言った。「分からないから、余計に厄介よ」
しばらく沈黙が落ちた。
「リネットのこと」と俺は話を変えた。「昔からの知り合いか」
セラの肩が、わずかに強張った。
「……同じ家系よ。遠縁にあたるけれど、社交の場ではよく顔を合わせていたわ」
「優秀なんだろう」
「優秀すぎるくらいに」セラは窓の外に視線を戻した。「物心ついた頃から、何をやっても比べられてきたわ。詠唱の正確さ、構成の速さ、魔力の総量。全部、彼女の方が上だった」
「全部?」
「全部よ」セラの声に、自嘲が混じった。「私が唯一勝てたことなんて、一つもなかった」
俺はその横顔を見ていた。
夜の窓辺で語られる声は、いつもの強がりとは違う響きを持っていた。
「だから、今日のあれは」セラは続けた。「悔しいけど、助かったわ。あなたがいなければ、私は今頃、また負けを認めることになっていた」
「礼を言っているのか」
「言ってない」セラは即座に否定した。「事実を述べているだけ」
それでも、その声には、いつもの刺々しさがなかった。
俺は何も言わずに、窓辺の椅子に座るセラの横顔を見ていた。明日からは、もう少し面倒なことになりそうだ。そんな予感があった。
その夜遅く、街はずれの宿の一室では、黒装束の二人組がまた地図を広げていた。
「リネット・ファルケンレイ」と女性が呟いた。「あのファルケンレイ家の令嬢が、わざわざこんな地方都市に」
「セラ・エルヴェインの噂を聞きつけたんでしょう」と男性が言った。「目立った分だけ、注目も集まる」
「厄介ですね」
「厄介ですが」男性は窓の外を見た。遠くに、宿の灯りが見える。「目立てば目立つほど、観察はしやすくなります。リネットが乗り込んできてくれたのは、むしろ好都合かもしれません」
女性は何も言わず、報告書に何かを書き加えた。
その手元では、古びた羊皮紙が一枚、また鞄の隙間から半分はみ出していた。今度は誰も気づかなかった。




