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夫が記憶喪失らしいのですが……  作者: ユタニ


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2.シェリー


「君が、僕の奥さん……かな?」


駆けつけた王都の病院の部屋で、夫クリストファーはぎこちないが優しい笑顔をシェリーに向けた。

ある程度の心構えはあったが、シェリーはびっくりして固まってしまう。

ベッドで半身を起こした男は、この一年と三ヶ月の間、結婚生活を送ってきた夫とはまるで違う雰囲気をまとっていたからだ。


「…………」

シェリーはまじまじとクリストファーを見つめる。

短く揃えられた美しい亜麻色の髪に青い瞳。彫刻のように整った顔は紛れもなく夫だった人の顔だ。


だが冷たく無表情なことが多かったその目は今、興味深そうにきらきらとシェリーを見つめていて、固く引き結ばれていた唇はやんわりと口角が上がっている。


(…………誰?)

そう思ってしまうくらいに見たことのない表情。

面食らいながらもシェリーはクリストファーの全身を確認した。


医師から体には問題ないと聞いている。

がっしりした体にはきちんと腕と足がついていて、機能も問題なさそうだ。

病院着の合わせからちらりと見える上半身にはまだ包帯が残っているがこれも直に取れるのだろう。


騎士であるクリストファーは隣国との戦争の残り火のような小競り合いのために出征していたのだが、そこで瀕死の重傷を負ったのだ。


隣国との戦争自体はシェリー達の結婚の半年前に終わっている。戦争が終わり、帰還したクリストファーとシェリーは結婚したのである。


そしてゆっくりと進んだ結婚生活が一年ほど経った時、今回の小競り合いが起こった。

隣国の不穏分子が起こしたそれはクリストファーが結婚前に属していた辺境騎士団の管轄で起こったもので、クリストファーは再び辺境に召集された。

戦の規模は小さく、隣国も鎮静に協力的だったので大した危険はなくすぐに終わるはずだった。


しかしニヶ月前、クリストファーが爆発に巻き込まれて重傷を負ったという報せをシェリーは受けた。

踏み込みを受けた不穏分子が拠点ごと爆破したらしい。


クリストファーはセレンデス侯爵家の跡取りである。この任務後は騎士を退き、正式に爵位を継承する準備も進められていた。

シェリーを含め屋敷中が騒然としたが、できることはなく、ただその無事を祈った。


幸いにしてクリストファーは五体満足で一命を取り留め、現地の病院で治療を受けた後、移動に耐えうる体力が回復するのを待って王都の騎士団併設の病院に移送された。

そうして今日、面会が可能との連絡があったのでシェリーは急いで駆けつけたのである。


「あれ? 違ったかな?」

固まるシェリーにクリストファーが首を傾げる。

シェリーはなんとかぎこちない笑顔をうかべた。


「はい、私があなたの妻のシェリーです。これからよろしくお願いします」

一年と少しの間結婚していた夫にするような返事でない。しかしクリストファーは申し訳なさそうにこう言った。


「うん、ごめんね。聞いてるとは思うんだけど、僕には最近の記憶がなんだ」

「ええ、先ほどお聞きしました」

クリストファーの状態は担当の医師から聞いていた。


受付で「クリストファー・セレンデスの妻です」と名乗ると夫の病室ではなく、まず担当医師に引き合わされたのだ。


何かよくないことがあると予想しながら医師に挨拶し、告げられたのはクリストファーの記憶に障害がある、ということだった。

爆発に巻き込まれた際に頭を強く打ったのが原因らしい。


「僕は今、二十四歳らしいけど実感がなくて、問診の結果によると十六歳くらいまでのことしか覚えてないみたいなんだ……」

「騎士の養成校に入学したすぐ後くらいまでですね。あなたはそこで三年間見習い騎士として学び、卒業と同時に、自ら希望して戦局の悪化していた隣国との戦争に出立したんです」


「そう聞いている。入学したのもおぼろげだけど覚えてる。それから五年間、僕はろくに実家に帰らなかったんだってね。それなりに武功も立てたんだぞって上司だという人が教えてくれた。そして戦争が終わって、二十三歳の時に僕はあなたと結婚した。全部ゼフィルスさん、僕の上司から教えてもらったんだけど、合ってるかな?」

結婚のところで、はにかんだ表情になるクリストファー。


シェリーは目を丸くした。

夫のそんな表情を見たのは初めてだ。無表情がデフォルトの人だったのだ。


(こういう顔を見ると改めて美形だと実感するわね。それにしても、印象が違いすぎる)

青い瞳は同じなのに全然違う人みたいだ。


(…………本当に違う人だったら、どうしよう)

ふとそう思ってしまい、どくどくと胸が脈打つ。

シェリーは内心の動揺は表に出さずに答えた。


「そうです」

「本当にごめんね。最愛の妻を忘れてるなんてひどい男だと思う」

その言葉にシェリーはぎゅっと手を握りしめてからクリストファーに告げた。


「気にしないでください。いずれお聞きになると思うので最初にお伝えしておきますが、私たちの結婚は家同士の都合で結ばれたものなんです。愛はありませんでした」

シェリーの告白にクリストファーが「えっ?」と驚く。


「家同士の、都合?」

ゆっくりと繰り返すクリストファー。


「なので“最愛の妻”ではなかったと思います」

自分でそのように告げるとシェリーの胸が痛んだ。だがそれも顔に出さないようにした。


「そんな、でも、あなたは綺麗だし、落ち着いた様子で素敵だ。あの……ぼ、僕は、あなたがこの部屋に入ってきた瞬間に、こんな人が自分の奥さんだなんて嬉しいなって、思って……」

しどろもどろでクリストファーが言う。

言いながら顔を赤くして俯いてしまったが、次の瞬間、はっとなってシェリーを見てきた。


「っ、まさか、僕は浮気とかしてた?」

赤かった顔が真っ青になっている。

シェリーは思わず笑ってしまった。


「いいえ。浮気はされてなかったと思います。私が知る限りですが」

「よかった……いや、まだ油断してはいけないね。なにせ記憶がないからね。でも、僕は(・・)浮気はしないと誓うよ」

その誓いにシェリーは再び笑ってしまった。

記憶が十六歳あたりまでしかないからなのか、もしくはその不安からなのか、クリストファーが随分と幼く感じる。


「…………シェ、シェリーは笑うと、可愛いね」

クリストファーはシェリーの笑顔を見てぽかんとした後、顔を赤に戻してそう言った。



それはシェリーが初めてクリストファーに名前を呼ばれた瞬間だった。





お読みいただきありがとうございます。

中編になる予定です。


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