14.雷の夜に
その日は夕方より雲行きが怪しく、夜にはゴロゴロと音もしだした。
入浴を済ませ寝巻きに着替えたシェリーは、嫌だなと思いながらカーテンをきっちりと閉める。
雷は苦手なのだ。小さい頃、屋外にいた時に近くの木に雷が落ちたのである。ものすごく大きな音とまばゆい光が弾け、木は黒焦げになった。
それ以来、雷が怖い。
寝る時は花の香りが気になるので、花は全て浴室に移動したのだが、こんな夜は少しあった方が落ち着くかもといくつかは寝室に戻す。
窓の外からはざあっという雨の音と、近くに落ちたらしい雷の大きな音が聞こえてきた。
びくりと肩が震えてしまう。堅牢な建物の中に入れば安全だということは分かっているのだが、恐怖は理屈ではないのだ。
(灯りを点けたまま寝ようかしら)
勿体ないが、寝れないよりはいいかもしれない。
そんなことを考えていると、ノックの音とともに「シェリー、僕だよ。起きてる?」というトフィの声が聞こえてきた。
驚きとともに、雷の夜に近くに人がいるという安堵を感じながらシェリーは扉を開ける。
そこにはシェリーと同じく寝巻き姿のトフィがいた。
「どうかしましたか?」
そう聞くと、トフィは目を瞬かせてから困った顔になった。
「あー、なぜかシェリーの部屋へ行かなくちゃいけない気がして、でももう夜も遅いよね。どうして来ちゃったんだろ」
“行かなくちゃいけない気がした”にシェリーの胸はどきんと跳ねた。
(もしかして、私が雷が苦手だから来てくれたのかしら……?)
シェリーは以前、ひどい雷雨の時に眠れなくて、気を紛らわせるためにダイニングでお酒を飲んでいたことがある。あっさり夫に見つかり『そうか、雷が苦手だったな』と言った夫はシェリーを部屋まで送った後、朝まで一緒にいてくれた。
「…………」
トフィに雷が苦手だと教えたことはない。
来てくれたのは偶然だろうか、それとも……と期待してしまう。
(いいえ、名前が違う。違う人なのよ、シェリー。でも……)
「廊下は冷えますよ、どうぞ」
シェリーはトフィを招き入れた。
「えっ、来ておいてなんだけど、入っていいの? 夜だよ?」
聞かれたことの意味は分かった。シェリーだってもう小娘ではない。でも、雷の夜に来てくれたのが嬉しかったのだ。
夜に部屋に二人になったからといって必ずしも夫婦の行為をするわけでもない。それにもし、そういう雰囲気になったとしても嫌悪はしないだろうとシェリーは思った。
トフィと夫婦として過ごしていくなら、いつかは必要なことでもある。
「いいですよ。ちょうど眠れなかったんです」
「……じゃあ、お邪魔します」
顔を赤くしながらトフィは部屋へと入ってきた。シェリーが扉を閉めると落ち着きなく辺りを見回す。
「その……いかにもな質問であれだけど、僕達は、えーと、夫婦の関係はあった?」
「人並みには」
「そ、そっか」
シェリーの答えにトフィはますます赤くなった。
「あの、でも、もちろん、シェリーが嫌ならしないからね」
「はい」
「昔の僕は、シェリーが嫌がることをした?」
赤かったトフィの顔は一瞬で強張り、シェリーは微笑んだ。
「されてません」
「……よかった」
「何か飲みますか? お水くらいしかないんですけど、お酒を取ってきましょうか?」
「いいよ、大丈夫。お酒に強い自信はないんだ。葉巻もダメだったしね」
トフィが顔と手を横に振って断るので、シェリーは二人分の水だけを机に置いた。
二人で並んでソファに座る。
何となくちびちびと水を飲んでいると、どーんと雷の音が響いた。
シェリーの肩がびくりと震え、トフィが気遣うようにこちらを見てくる。
「シェリーは雷が怖いの?」
「お恥ずかしながら」
身をすくめながら答えるとシェリーの肩に手が回った。大きくて温かい手だ。
その手は嫌ではなかった。
「……」
「……」
「シェリーの肩、細いね」
「そうでしょうか」
「細いよ、あ」
再び、どーんと音がした。でもさっきより音は遠い。
「このままどこか遠くに行ってくれるといいね」
優しい声色で言い、トフィはシェリーの背中を撫でる。そこに妖しさはなく、これも嫌ではなかった。
「……前にも」
シェリーはぽつりと切り出す。
「雷の夜に、旦那様が付いててくれたことがあったんです」
「昔の僕が?」
「はい。その晩はひどい嵐で、雷も、もっとすごくて」
震えるシェリーに夫はキスをして、その後は殊更に優しかった。でもいつもと違って少々ねっとりもしていた。
「…………」
いろいろ思い出したシェリーの顔が赤くなる。シェリーの顔を覗き込んだトフィがごくりと唾を飲んで「かわいい」と言った。
そろりと口付けがされる。触れただけのそれが離れてからトフィを見ると、熱い目でシェリーを見ていた。
「シェリー」
愛しげに名前を呼ばれる。
ぎゅうと抱きしめられて、トフィの顔がシェリーの首筋に埋められた。その手が腰へと回る。
受け入れられるはずだった。
だが、
(………………違う)
シェリーが感じたのは拒絶だった。
トフィに嫌悪はない。むしろ好意があるくらいだ。夫と重なる部分もある。
でも、首筋に振れる唇も、背中をなぞる手も、夫のものではなかった。
(違う、あの人じゃない)
シェリーはどうしたらいいか分からなくなった。
(違う、嫌だ)
でも今さらトフィを押しのけることもできなかった。雷に動揺していたとはいえ、招き入れて受け入れようとしたのは自分だ。
頭が真っ白になる。
(どうしよう、違う……)
ぱたっ。
トフィの顔にそれは落ちた。トフィがぴたりと止まり、シェリーの首元から顔を離す。
「シェリー、泣いて……る」
そう言われて自分の顔に手をやると、頰が濡れていた。
「あ……」
シェリーはトフィを見る。青い瞳は大きく揺れていた。ひどく傷つけたに違いなかった。
「ご、ごめんなさい……」
謝ったシェリーにトフィが目を見開く。それは悲しみに覆われた後、驚きの色に変わった。
その目がじっとシェリーを見つめる。やがてそこに鋭い光が宿った。
「っ……」
視線がシェリーの全身を確認して、それから素早く部屋を見回す。
舌打ちが聞こえた気がした。
シェリーが呆然とする中、早い足音と扉が閉まる音が響く。
はっと我に返るとシェリーは一人で部屋にいた。
「…………」
外からは雨の音が続いている。雷はもう遠くにいったようだ。
(今のは……?)
今のはトフィだっただろうか。感じが違うようにも思えた。だが追う勇気はなかった。
謝罪のためにも追いかけるべきだったが、体が動かない。
またトフィにキスをされたらと思うと怖かったのだ。今の状態でトフィと会うのは無理だった。
シェリーは涙を拭い、ソファに座ったまま夜を過ごした。明け方に少しだけ眠った。




