13.花束
それは結婚してから四ヶ月ほど経ったある日の朝食の席でのこと、夫は唐突にこう聞いてきた。
「君の誕生日は十日後だろう、何か欲しいものはあるか?」
シェリーはびっくりして、食事をしていた手と口が止まった。
「え?」
いきなりどうしたんだろう、そしてなぜ自分の誕生日を知っているのだろう。
「十日後、誕生日だな?」
「そうですが、あの、なぜ私の誕生日を?」
夫はバツが悪そうな表情になった。
「誕生日くらい調べればすぐに分かる」
「調べたんですか」
「結婚相手の身元の確認くらいするだろう」
「それはそうですが」
調べたのは理解も納得もできるが、その情報の中で、お飾りの妻の誕生日を覚えておかなくてもいいように思う。
「とにかく、せっかくの誕生日だ。何か贈りたいと思うのだが、こういうことは不慣れで困っている。本人に欲しいものを聞くのは無粋だと分かっているが、君と俺は出会ってからの日もまだ浅いし、情けないことに君の好みも分からない。そもそも女性への贈り物は考えもつかないんだ。変なものを贈ってしまうくらいなら、直接意見を聞こうと思った」
「…………」
シェリーはまじまじと夫を見た。
彼がシェリー相手にこんなにたくさん喋ったのは初めてじゃないだろうか。無口な人なのだ。
しかもいつもより早口だった。
(照れているのかしら……?)
先ほど、不慣れだと言っていた。もしかしたら異性に贈り物をした経験はないのかもしれない。
シェリーの胸がじんわりと温かくなる。
夫にとってシェリーは世間体を保つためだけの妻だったはずだ。
顔合せでは「与えられた役割をこなしてくれればいい」と告げられたし、その理由の病についても聞かされた。
「俺のことは気持ち悪いだろうが、実家のことを思って耐えてもらうしかない。表ではそれなりに仲の良い夫婦を演じてくれ」
理由を説明した後にはとても冷たく、そのようにも言われたのだ。
持ち込まれた縁談は当初から怪しく、強引だったので何らかの背景は覚悟はしていたが、それでも驚いたし困惑はした。
だが、きちんと理由を伝えてくれたことはありがたかった。
夫は何も知らせずにシェリーに命令だけすることもできたのだ。それなのに、ひどい偏見の目で見られるかもしれない病気を打ち明けてくれたのには誠実さを感じた。
だからシェリーは淡々と感謝を述べた。夫はぴくりと眉を動かしてから小さく息を吐いた。緊張していたらしい。シェリーもだったので親近感が湧いた。
その後の二人での庭の散策は、ほとんど無言だったが冷え冷えとしていた空気は和らいでいた。
そうやって互いにおっかなびっくり近づき合ったのだ。
シェリーの方は、初対面から夫に惹かれていたし、初夜で丁寧に肌を合わせてあっさり恋にも落ちた。
なんて簡単な女なのだろうと呆れもしたが、世間知らずの田舎娘だったのだ、そこは大目に見ようとシェリーは自分に言い訳をした。
でもお飾りの妻からの恋慕は煩わしいだけだろうと気持ちは隠した。元々、気持ちが顔に出にくい質だったのでこれは上手くいったと思う。
それでもシェリーと夫は少しずつ慣れていった。
夫の方も、一つ屋根の下で暮らす内にシェリーに情を抱いてくれるようになったと思う。優しい人なのだ。
その情の延長からの誕生日プレゼントなのだろう。自分との気持ちの違いに若干の切なさはあったが、シェリーはそれ以上に嬉しかった。
「ありがとうございます。でもこちらでよくしてもらっているので十分です」
心からそう言うと、夫は不満そうになる。
「何か希望を言ってくれないと困る。君が望むなら当日は休みを取ることもできる」
「旦那様はお忙しいのですから、そこまでしていただかなくてけっこうですよ」
休みについては即座に否定する。本音を言えば一緒に過ごしたいが、お飾りの妻にそこまでしてもらうわけにはいかない。
背後から「あぁ」という残念そうな呻きが聞こえた気がして振り返ったが、澄まし顔の家令がいるだけだった。
「……何かは贈る。無難に宝飾品でいいか?」
ぶっきらぼうに夫が聞いてくる。ひどい聞き方だが悪意は感じられず、不思議と嫌ではなかった。こういう人だと分かっているからだろう。
「高価なものはいただけません。既に実家に援助もしてもらってますから」
「ではドレスは?」
「ドレスも高価ですよ」
「…………本は?」
「お屋敷の図書室で十分です」
何なら本だって高価なのだ。
「こういう時は何でもいいからねだれ」
夫の声は珍しくイラついているようだった。
「ええと……」
シェリーは戸惑いながら菓子でもお願いしようとしたのだが、夫が謝る方が早かった。
「すまない、キツい言い方になった。自分に嫌気がさしたんだ。少しは経験を積んでおくべきだった」
「経験……」
それは異性の経験ということだろうか。
「…………変な言い方になったな。今のは忘れてくれ。プレゼントは考えて用意する、受け取るように」
「はい」
そこから互いに黙って食事を続ける。気まずい感じがしたのでシェリーは空気を変えようと質問した。
「ところで、旦那様の誕生日はいつですか?」
夫と違ってシェリーには誕生日を調べる術はない。この機会に本人に聞いておくことにしたのだ。
もちろん、日付を覚えておいて、近づけば何か準備をしようとは思っていた。
そんな質問に夫は非常に言いにくそうにこう答える。
「………………………………明日だ」
「…………」
絶句するシェリー。
なぜ教えてくれていないんだ、とまず思った。少々の憤りを感じる。
ここで怒るのは違うのだろう。
それは違う。違うけれども。
(こっちを気にするなら教えておいてよ)
自ら誕生日を告げるのは気恥ずかしさもあるだろうが、それにしても腑に落ちない。
「……私達、誕生日が近かったんですね」
こちらも珍しく少々ぷりぷりしながらシェリーは何とかそう返事をした。
翌日、シェリーは大急ぎで刺繍をしたハンカチを夫に贈り、シェリーの誕生日に夫は出勤前の朝一番で大きな花束をくれた。
ということを現在、花に囲まれた自室を見ながらシェリーはつらつらと思い出している。
クリストファーがトフィと名乗ってから一週間。彼は毎日のようにシェリーの部屋を訪れて花を贈ってくるようになったのだ。
外出に慣れるために街へ積極的に出かけているらしく、そのせいもあるだろうが、屋敷にこもる日も庭で自ら選んで摘んだものを届けてくれる。
(一体、どうしたのかしら)
さすがに花瓶も足りなくなってきているので、そろそろ断らなければ、と考えていると控えめなノックが響く。
扉を開けると、トフィが今日も花束と共にやって来ていた。
「シェリー、君にこれを」
差し出される花達。
「ありがとうございます。でも旦那様、お花はもうけっこうですよ」
「……どうして? シェリーは花は好きだよね」
シェリーが断るとトフィはこの世の終わりのような顔になった。
「好きですけど、旦那様、もう」
「トフィと呼んで欲しい」
「トフィ」
「うん」
「お花をいただくのは嬉しいんですけど、飾る場所がないんです。ほら、ね?」
大きく扉を開けて自室を見せる。そこは花で溢れていた。
「このままでは、私が花に押し出されてしまいます」
冗談っぽく伝えたのだが、トフィは項垂れてしまった。
「…………ごめん」
「あ、いえ、押し出されるは冗談で」
「違うんだ、ごめんね、シェリー。何だか最近、妙に焦ってるんだ」
「焦る?」
「何かを思い出せそうなのに思い出せなくて……離れにも一人で何度か行ってみたんだけど、無理で」
「一人でですか? まさか中に?」
それは危険だとシェリーは慌てた。
手入れのされていない離れの中はどうなっているか分からない。それにもし、あそこでいろいろ思い出してしまってはショックが大きいのではないだろうか。
「中には入ってないよ。外から眺めるだけ。ずっと見てるともやもやするんだ。でも何でかは分からなくて……」
「あまり気にしなくていいと思いますよ。病院でも記憶のことは心配しすぎないのがいいと」
「分かってる…………あと、シェリーが離れていきそうで怖くて、そういうのが重なってプレゼント攻撃してる。へへ、ごめんね」
俯いたままのトフィはぎゅうっと持ってきた花束を握りしめた。
「…………」
シェリーは自分の戸惑いが伝わってしまっているのだと分かった。
戻らない記憶と、よそよそしい妻、焦るし不安にもなるだろう。
罪悪感がこみ上げてくる。
今はもう、目の前の男が夫とは別人だと知っている。だが拒絶の気持ちはないのだ。トフィは真っすぐにシェリーに想いを寄せてくれて優しく誠実だ。年齢にしては無邪気な部分もあるが、それも魅力の一つだと思う。
シェリーもトフィに好感は持っている。何より、夫と似ていると感じる時もある。恋はできないかもしれないが、いつか愛することはできるかもしれないと考えてもいる。
でも、どうしても夫への想いを断ち切れないのだ。ぐずぐずとグイードとの面会を伸ばしているのは、真実を知るのが怖いのと、明日にでも夫に会えるのではと期待してしまっているからだ。
(それは全部、私の勝手だわ)
おまけにトフィは自分の事情を何も知らされていない。フェアではないだろう。
(いい加減、腹をくくらないと)
シェリーは半歩進むと、花束ごと柔らかくトフィを抱きしめた。花の香りがシェリーを包む。
「離れていきませんよ」
告げながら、日程を調整して二人でグイード医師を訪ねようと決めた。
そうして、自分がトフィを受け入れるのは時間がかかるときちんと伝えよう。時間はかかるが受け入れられると。
時間はかかるけど、大丈夫。
もう夫には会えないのかと胸は痛むが、大丈夫。
(大丈夫)
シェリーは自分にそう言い聞かせた。




