不穏な雰囲気
「主任!」
「規定違反です!」
「始末書案件です!」
「減給されます!」
黒瀬は肩をすくめた。
「あと三日で異動です。」
「異動で済むんだ。」
「世界管理本部へ。」
「昇進じゃん。」
黒瀬は俺の方を向いた。
「一つだけ訂正します。」
「?」
「歴代主人公は七十二人ではありません。」
「違うのか。」
「正式には七十三人です。」
「え?」
「あなたを含めて。」
「いや、俺まだ主人公だけど。」
「そうですね。」
黒瀬は首を横に振る。
「では質問を変えます。」
黒瀬は机の上に一枚の写真を置いた。
古びた白黒写真だった。
そこには十数人の男女が写っている。
鎧姿の男。
ローブの老人。
スライム。
獣人。
エルフ。
悪役令嬢らしき女性。
そして、
一番端。
黒いスーツ姿の青年。
「……これ。」
「百七十年前の写真です。」
「百七十年前?」
「はい。」
「そのスーツの人。」
「ええ。」
「お前じゃん。」
黒瀬は何も答えない。
「どう見てもお前。」
「そう見えますか。」
「いや本人だろ。」
「では質問です。」
黒瀬は逆に聞き返した。
「私は何歳に見えますか。」
「三十前後。」
「ありがとうございます。」
「……。」
「百七十年前も、三十前後でした。」
部屋が静まり返る。
「え?」
「百二十年前も。」
一枚。
写真が増える。
「八十年前も。」
また一枚。
「四十年前も。」
また一枚。
全部同じ顔だった。
髪型まで同じ。
ネクタイまで同じ。
「……。」
俺は息を呑んだ。
「お前。」
黒瀬は静かに頷いた。
「私は担当者です。」
「だから?」
「主人公が交代しても。」
一拍置く。
「担当は変わりません。」
「……。」
「七十三人、全員。」
「……。」
「私が送り出しました。」
その言葉に、局長が目を閉じた。
職員たちは誰も顔を上げない。
「じゃあ。」
俺の声は少し震えていた。
「七十二人全員が。」
「はい。」
「お前と会った?」
「会いました。」
「全員?」
「全員です。」
「最後も?」
「最後まで。」
「……。」
黒瀬は微笑んだ。
その笑顔は初めて、人間らしく見えた。
「皆さん、同じことを聞かれました。」
「何を。」
「『俺は助かるのか』と。」
「……。」
「皆さん、同じことを言われました。」
「何て。」
黒瀬はゆっくりと口を開いた。
「『君なら世界を救える。』」
「……。」
「そして、皆さん。」
笑顔のまま続ける。
「世界を救いました。」
俺は拳を握る。
「……で。」
「はい。」
「世界は救われた。」
「はい。」
「じゃあ。」
俺は黒瀬を真っ直ぐ見た。
「七十二人は、誰が救った?」
黒瀬の笑顔が止まった。
部屋中が静まり返る。
誰も息をしない。
局長だけが、小さく目を開く。
そして、
初めてだった。
黒瀬が、答えられなかったのは。




