ヴィヴィ九歳(3)
「ドーリス、お前が盗ったのか? ......何故?」
フィリップは信じられない気持ちでドーリスを見つめる。
ドーリスはヴィヴィに虐げられている哀れなメイドだ。フィリップが気がつかなければ物陰で一人こっそり泣いているような。
「いえ……あの……そう、ヴィヴィアーネ様に......ヴィヴィアーネ様に命令されたのです」
「やはりな」とフィリップが頷くのと「どうしてそんな嘘をつくのです!」とエリゼが声を荒げたのは同時だった。
「ドーリス、答えなさい。ヴィヴィ様がそんな命令をいつしたのですか? 私は今日の午後はずっとヴィヴィ様と一緒に居ました。ヴィヴィ様と離れたのはペンを取りに行った時だけです」
「その……」
「エリゼ、ドーリスを責めるな。ドーリスはずっとヴィヴィアーネに虐げられていたんだ」
言い訳に詰まるドーリスにフィリップが助け舟を出す。
その言葉に図書室にいた者たちは唖然とした。
「フィリップ様、ヴィヴィ様はドーリスを虐げてなどおりません」
「私もヴィヴィ様がそんなことをするとは思えません」
エリゼとオットーの言葉にフィリップが反論する前にルードルフが口を開いた。
「ヴィヴィがドーリスを虐げているとどうしてお前は知ったのだ?」
「それは……ドーリスから聞いて......父上、ドーリスは何度も物陰で泣いていたのです。僕が気がつかなければ——」
「ほう、偶然お前が通る場所でお前が気がつくように泣いていたと。何度も。お前以外はそんな姿を見かけた者などいないが?」
ルードルフの言葉にオットーも頷いた。
「……え?」
混乱するフィリップを他所にオットーはドーリスに問いただす。
フィリップも本当はもう気がついていた。今回の事もドーリスの主張は筋が通っていないのだ。ドーリスがヴィヴィに命令されて逆らえないのなら図書室に訴えに来るはずがない。ヴィヴィに命令されたことを暴露したいのならブックマーカーを隠す必要はない。
「ドーリス、どうしてフィリップ様のブックマーカーを盗んだのだ?」
ドーリスがやったのかと疑う問いではない。やったのはドーリスだと決定したうえで理由を聞いているのだ。
ドーリスはもう破れかぶれの気分だった。
「……ヴィヴィアーネ様に罪を擦り付ける為です」
「…………どうして?」
ずっと黙って成り行きを見ていたヴィヴィが初めてドーリスに問いかけた。ヴィヴィはわからなかった。どうしてドーリスがこんなことをしたのか。どうして忌々し気にヴィヴィを見ているのか。
「あはは、気に入らないからよ!」
ヴィヴィの困惑したその顔が滑稽に見えてドーリスは笑いがこみ上げてきた。
なんて鈍感な娘! 長い間意地悪されていたことに全く気がつかない能天気な娘!
「あんた、あんたが気に入らないからよ! 意地悪されても気がつかない能天気な子供! 何度足を引っかけられても気がつかない。水を掛けられてもお茶を掛けられても『申し訳ありません、間違えました』と謝れば簡単に許すバカな娘! そのくせみんなに可愛がられてお嬢様って傅かれる。ねえ! あんたと私の何が違うの!?」
いつしかドーリスは涙を流していた。あはははと笑いながら涙を流す。涙を流しながらも口は止まらなかった。
「ねえ! 何が違うの? どうして私は認められなくてあんたばっかりこんな大きなお屋敷のお嬢様になれるの? 同じじゃない! あんただって妾の子でしょ! 妾の子のくせに——」
「ドーリス! 黙りなさい! ヴィヴィ様はれっきとしたアウフミュラー侯爵家のお嬢様です。これ以上の無礼は許しません!」
遮ったのはエリゼだった。
オットーは男性使用人に命じてドーリスを連れて行かせるとルードルフやフィリップに向かって深々と頭を下げた。
「申し訳ございません。使用人の教育不足は私の責任です。ドーリスは厳しい処分をいたします」
マリアは真っ青な顔をしているヴィヴィに近づくと膝をついて目線を合わせそっと手を握った。
「ヴィヴィアーネ様、ヴィヴィアーネ様は何も悪くありませんわ。ヴィヴィアーネ様はまごうことなくアウフミュラー侯爵家のお嬢様でいらっしゃいます。ヴィヴィアーネ様がお勉強を頑張っていること、私たち使用人にお優しい事、マリアはよく存じております。旦那様もエルヴィン様もヴィヴィアーネ様を愛しておりますわ。そうでございますね、旦那様」
マリアの言葉にルードルフも頷いた。
「もちろんだ、君は私の愛する娘だよ、ヴィヴィ」
マリアはヴィヴィを抱きしめたかった。謂れのない悪意を向けられて傷ついた娘を抱きしめて愛していると伝えたかった。
だけどそれはできない。それを告げたらマリアはヴィヴィから引き離されてしまうだろう。
ルードルフもマリアの葛藤はよくわかっていた。
ドーリスはアウフミュラー侯爵家の遠い遠い親戚のある伯爵家の庶子だ。
ドーリスの母は若い頃ある伯爵家でメイドをしていてご主人のお手付きとなり、ドーリスを身ごもった。というのがドーリスの母の主張だ。
その後ドーリスの母は市井で暮らしていてドーリスが十二の時に伯爵家に乗り込んだ。
しかしドーリスは娘と認められなかった。——魔力が一切無かったから。
ドーリスの母は身持ちが悪く、一緒に暮らしていた男に逃げられた後に伯爵家に乗り込んだのだった。伯爵も魔力が無い娘など自分の娘では無いと突っぱねたものの身に覚えが無いわけではない。奥方に白い目で見られながら困り果ててルードルフに相談してきたので住み込みの下級メイドとしてアウフミュラー侯爵家で雇ったのだ。
一年も経たないうちにドーリスの母は出入りの商人といい仲になり行方をくらませた。ドーリスを置き去りにして。それからドーリスは一人で並大抵ではない努力をして上級メイドになったのだった。
「ドーリスにはヴィヴィが何の苦労も無いお嬢様に見えたのだろうな」
ルードルフはオットーに語り掛けた。
ヴィヴィがマリアの娘だと知っているのはこの屋敷内ではオットーだけだ。今のところルードルフは二人の息子にもそれを打ち明けるつもりは無かった。フィリップがヴィヴィを避けているのは知っている。しかしヴィヴィには何かがある。ただの平民の突然変異とは言えないほどの強大な魔力、ヴィヴィもマリアでさえ知らないその秘密がきっとある。
その秘密の一端でもわかるまではヴィヴィの出生については沈黙を貫くつもりのルードルフであった。
数日後の早朝、侯爵家の裏手の使用人通用門にお屋敷をひっそりと去るドーリスの姿があった。
紹介状も貰えず解雇されるドーリスだが、これでも恩情を掛けた方だ。侯爵令嬢に対する無礼の数々は罪に問われても仕方がない事だったのだから。
「ドーリス」
門をくぐろうとしたドーリスに小さい声が掛けられた。
「ヴィヴィアーネ様……どうして……」
まだ夜が明けて幾ばくも無い時間、ひっそりとヴィヴィが立っていた。後ろにエリゼがついているので黙って抜け出してきたわけではないらしい。
情けない顔で立っているヴィヴィをドーリスはねめつけた。
「何? 嘲笑いに来たの? 満足でしょ、これであんたに意地悪するメイドはいなくなるんだから」
「あの……怒らないでね、これ......」
ヴィヴィはおずおずと手を差し出した。その手には袋が握られている。
反射的に受け取ってしまって、ドーリスが中を覗き込む。
「……金貨......」
「ごめんなさい、そんなにたくさんじゃないの。……今までありがとう」
沢山じゃない、といってもこれから市井で生きていくドーリスには少なからぬ金額だ。
瞬間的にドーリスの頭に血が上った。
「あんた、馬鹿じゃないの!? 私はあんたに意地悪していたの! あんたに冤罪を被せようとしたのよ! 能天気にもほどがあるわ!」
「うん、でもちゃんとお世話してくれたこともあったし」
「エリゼが見ていたところではね!」
「ドーリスがしてくれる髪型、可愛かったし」
「エリゼより私の方がセンスがいいからよ!」
はあーーとため息をついてドーリスは目じりを拭った。
「ここを首になったって私は有能なんだからすぐに働き口なんて見つかるわ。仕方が無いからこれは貰っておいてあげる。…………私は頑張って生きていく。あんたもせいぜい頑張ることね」
それからドーリスはくるりと向きを変えるともう振り返らずに門をくぐって出ていった。
「ヴィヴィ様、身体が冷え切ってしまいます、お屋敷に戻りましょう」
何も言わずに見守ってくれていたエリゼに促されてヴィヴィは屋敷に戻ったのだった。
ドーリスは去ったが、フィリップとは気まずいままである。
今まで通りフィリップと偶然顔を合わせることがあればヴィヴィは挨拶をしていたが、そもそもフィリップはヴィヴィを避けているようで、前にも増して会う機会は減った。
それでもお屋敷にいる限り一日一回、夕食の時には顔を合わせる。ルードルフは何事もなかったようにヴィヴィにもフィリップにも話しかけるが、フィリップは必要最低限の返事だけして後は黙々と食事を済ませ早々に席を立つようになっていた。
そんなお通夜のようなある日の夕食の後、三階に上がっていくフィリップを見かけてヴィヴィは思わず跡をつけてしまった。
いけないことだとは思ったがフィリップの様子がどうしても気になった。
今回の事件ではヴィヴィも傷ついた。あんな悪意を向けられたのは初めてだった。それでも何とか笑顔で日々の夕食を乗り切っていたのだが、相変わらずフィリップは何も話さなかった。
それも以前のようにヴィヴィを睨みつけるのではなくずっと下を向いて項垂れている様子のフィリップが心配だった。
フィリップが入っていったのは三階の奥、肖像画が置いてある部屋だった。
フィリップが入っていった後どうしても気になったヴィヴィは扉をそーっと開け中の様子を窺った。
フィリップは泣いていた。声も出さずお母様の肖像画をただただ見つめ両の瞳から涙を流していた。
ヴィヴィはある決心をした。
明日、お父様に頼んでみよう。そう考えそっと扉を閉めた。
今まで見ないように考えないようにしていたけどヴィヴィはわかっていた。
(私だけきっとお母さまが違うんだ)
それはお父様が浮気をしてヴィヴィが生まれたことを意味する。もっと小さいころから不思議だった。ヴィヴィだけお父様ともエル兄様とも髪色も瞳の色も違う。意地悪なあの子、アンゲリカにも指摘されたことだった。そしてドーリスが言った「めかけの子」その意味をうっすらだけどヴィヴィもわかってきていた。
ヴィヴィは五歳より前の記憶は無いが、エル兄様もヴィヴィが五歳の時初めて会ったと言っていた。
きっとヴィヴィは五歳までお父様の愛人のお母様と一緒に暮らしていたのだろう。
記憶が無いのでお母様がどんな人なのか、どうして五歳からこのお屋敷で暮らすことになったのかはわからないが。
お父様に訊ねてみたこともあるがお父様はこのことに関しては一言も答えてくれなかった。
だからヴィヴィはいつもはそのことを意識の片隅に追いやり見ないようにしていた。
翌朝、朝食を終えたところでヴィヴィはルードルフに話しかけた。
「お父様、お話があるのですが王宮に行かれる前にお時間はありますか?」
「じゃあこのまま執務室に行こうか」
ルードルフに促されヴィヴィは一緒に執務室に行った。
「あの、お父様……私、学院の入学まで領地で過ごしたいのです」
ヴィヴィは思い切って言った。ヴィヴィが考えたのはフィリップお兄様と顔を会わせないようにすることだった。ヴィヴィの存在がフィリップお兄様を苦しめている。ドーリスも苦しめていた。ドーリスにはもう会うことも無いけれど、フィリップお兄様はこれ以上苦しめたくない。この家の子供でなくなることはできないけれどなるべく顔を合わせないようにすることならできる。その為の領地行きだった。
学院入学前には戻ってこなければならないが、入学してしまえば寮生活なのでまたこの家を離れることになる。フィリップお兄様もヴィヴィの顔を見なければ心安らかに過ごせるのではないか、そう思っての決断だった。
「ふむ、何故かね?」
ルードルフの問いにヴィヴィは焦って答えた。
「えっと、あの、私領地に行ったことがないのでどんなところか知りたくて……えっと、それに田舎暮らしにも憧れてて……」
「そうか、それも良いかもしれぬ。今晩帰ってきてからゆっくり話をしよう」
そう言ってルードルフは王宮に出かけて行った。
その晩———
夕食を終えたところでルードルフが言った。
「二人とも話があるのでサロンに来なさい」
二人というのはヴィヴィとフィリップだ。
サロンに腰を落ち着けるとルードルフが言った。
「ヴィヴィが学院入学まで、いや正確には入学前のプレデビューまで領地で過ごすことになった。
フィリップもそれについて行き二年半領地経営を学んできなさい」
「「えっ!!」」
「父上!僕はもうすぐ王宮に出仕するのではないですか!?」
「王宮への出仕は遅らせてもらうよう今日手続きしてきた。考えてみれば一度王宮に出仕してしまえば仕事を長期間休むことは難しい。王太子殿下が学生である今のうちに領地のことを学んでしまった方がいいだろう」
なんてことだ……フィリップお兄様と離れるために領地行きをお願いしたのにフィリップお兄様まで巻き込むことになってしまった! ヴィヴィは申し訳なくてフィリップの顔を見られなかった。
必死にフィリップがヴィヴィと一緒にいなくても済むよう考える。
「お父様!フィリップお兄様は婚約者がまだお決まりではないですよね?」
「ああ、そうだな。在学中に決められない不甲斐ない奴だからな」
家の事情で幼いころに婚約を結ぶ者もいるが、この国では婚約を結ぶのは学院在学中が最も多い。学院入学までは魔力が封印されていて個々の魔力量がわからないためだ。
学院に入学して封印が解除された後、お互いの魔力量や家柄を考慮して婚約を結ぶ。もちろん性格が合うかどうかも有力な判断材料だ。
在学中に婚約を結ばなかったものは社会に出てから相手を探す。社交界や職場は貴重な出会いの場だ。
そのため卒業後に王宮文官や竜騎士等、職を得る令嬢も一定数いた。
「あ、あの、それでしたら王都にいた方がよいのでは?領地に居たらご令嬢とお知り合いになる機会もないのではないですか?」
ヴィヴィの必死の提案も「お前、早く結婚したいか?」「いえ、特には」というルードルフとフィリップの会話の前に撃沈してしまった。
(フィリップお兄様~そこは嘘でも結婚したいと言ってください)途方に暮れたヴィヴィだった。
結局一週間後に領地に向かうことが決まり急ピッチで準備が進められることになった。
おまけにルードルフはフィリップに「領地に居る間はフィリップがヴィヴィに勉強を教えるように」と追加の任務を与えた。
フィリップの顔は終始強張っており、ヴィヴィは怖くてずっと下を向いていた。
領地に向かう朝、ヴィヴィは動きやすいドレスに編み上げブーツ姿で部屋を出た。
荷物は既に荷馬車に全て積み込み済みである。長期の滞在となるためにかなり大荷物となってしまった。
領地に向かう一行は、フィリップとヴィヴィが乗る馬車が一台、メイドやフィリップお兄様の従者など使用人が乗る馬車が一台、荷馬車が一台、それと護衛が十名。
フィリップの従者はもちろんロータルだが、ヴィヴィに付き添うメイドはマリアだった。
ドーリスに代わり新しくマリアがヴィヴィの専属メイドになったのだ。ヴィヴィは物凄く嬉しかった。図書室で初めて話したマリアだったが、なんていうか、とてもとても安心できたのだ。ドーリスの事ですごくショックを受けた筈なのにマリアが手を握ってくれただけで落ち着くことが出来た。会ったばかりなのにマリアに抱きつきたい衝動にかられた。
だからエリゼではなくマリアが領地までついて来てくれるとわかった時も不安は一切感じなかった。
エリゼはお屋敷の副料理長が旦那様で子供もいるので領地までついて行けないのだ。
エントランスで顔を合わせたフィリップは終始そっぽを向いていて不機嫌でヴィヴィは道中を思いやってため息をついた。
それというのもフィリップは初め赤竜に乗って領地に向かうつもりだったらしい。しかしルードルフに却下された。領地に向かう一行を取りまとめるのはフィリップの役目だ。「一行が無事にトラブルなく領地にたどり着けるようにすることがお前の初仕事だ」と言われ嫌々ヴィヴィと一緒の馬車に乗ることになったのだった。
「それでは父上、行ってまいります」
それだけ言うとフィリップはさっさと馬車に乗り込んだ。
ルードルフはため息をつく。
傍らのヴィヴィを見て屈みこむと額にキスを落とした。
「行っておいでヴィヴィアーネ。君は君の思うとおりに行動しなさい。大丈夫だ。きっとフィリップとも仲良くなれるよ。もしダメだったらいつでも帰っておいで。私もエルヴィンも君を愛してる」
「はい、お父様」
ヴィヴィはルードルフの頬にキスを返してロータルに抱き上げてもらって馬車に乗り込んだ。
ルードルフは傍らに控えたマリアに向かって言った。
「私が頼むのもおかしいかもしれないがヴィヴィアーネを頼む。それとあちらでの様子を手紙で教えてくれ」
「かしこまりました、旦那様」
マリアは静かに頭を下げた。




