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竜の国 【リメイク版】  作者: 一理。
アウフミュラー侯爵家

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ヴィヴィ九歳(2)

 

 その日ヴィヴィは図書室で本を読んでいた。


 入り口の扉を開ける気配にふと顔を上げるとフィリップが入ってくるところだった。

 フィリップはヴィヴィに気づいた途端睨むような鋭い視線を投げ掛けたが、ヴィヴィはそれに気づかないふりをして目礼だけして視線を本に戻した。

 

 フィリップは暫く調べ物をしていたようだがやがて数冊の本を抱えて図書室を出て言った。

 フィリップが出ていくとき本の隙間から何かがコトンと滑り落ちたが、フィリップは気づかずに出ていった。


 ヴィヴィはその落ちた物を拾ってフィリップを追いかけた。


「あの、フィリップお兄様」


 ヴィヴィが声をかけるとフィリップは凄い勢いで振り向きヴィヴィを睨みつけた。


「用もないのに話しかけるな」


 そのまま踵を返そうとするフィリップにヴィヴィは焦って言った。


「これを落とされたので」


 恐る恐る差し出すとフィリップはハッとした顔をしてそれを受け取った。

 落としたのは銀製のブックマーカー。

 これはフィリップの大切な思い出の品だ。八歳の誕生日に母から贈られた竜を模ったブックマーカーなのだ。繊細な彫刻が施されたそれは竜の瞳には母とフィリップと同じ色であるエメラルドが使われていた。


 ひったくるようにそれを受け取ってフィリップは「……ありがとう」と小声で言った後に素早く踵を返した。

 ヴィヴィの後ろで窺うようにこちらを見ているドーリスがチラッと目に入った。






 数日後、図書室で転寝をしていたフィリップは夕日が窓から差し込む頃にようやく目を覚ました。

 前日は久々の夜会だった。

 夜会は好きではないが、学院時代の友人の付き合いで仕方なく出席したのだ。出席すればフィリップは大勢の人に取り囲まれることになる。その大半は令嬢で皆同じようなギラギラした目でフィリップを見つめる。頼まれて友人の妹とダンスを踊ったのを皮切りに数多の令嬢と踊る羽目になったフィリップは疲れていた。午後の日差しと暖炉のぬくもりについ瞼が下りてきてしまったのだった。

 ハッと机から頭を起こす。

 開きっぱなしの本やノートを纏めようとして直ぐに気がついた。


 机の上、本の間、床、色々なところを探すが見つからない。

 探していたのはブックマーカー。数日前にヴィヴィが拾ってくれたあのブックマーカーだ。二度と落とさないようにと注意していたので、眠る前に本に挟んでおいたのをしっかり覚えている。

 そのブックマーカーが忽然と消え失せているのだった。


 図書室を出ると従者のロータルがこちらに向かってくるところだった。


「フィリップ様、遅いのでお迎えに上がるところでした」

「ああすまない、少し転寝をしてしまったんだ。僕が寝ている間誰か図書室に来たかな?」

「いえ......私は存じませんが何かございましたか?」

「ブックマーカーが無くなっているんだ。転寝をする前は確かに本に挟んであったんだけど」

「それは……あのフィリップ様が大切になさっているブックマーカーですか?」


 ロータルの顔が青くなった。

 純銀製のブックマーカーは指輪やネックレスほどではないとしてもそれなりに高価な物だ。小粒ではあるが宝石もついている。それに何よりフィリップが大事にしている思い出の品だという事を従者であるロータルは良く知っていた。



 ロータルは直ぐに執事のオットーに報告し、オットーは使用人に聞き取り調査を開始した。


 程なくいくつかの証言が上がってくる。

 簡易捜査室となった図書室でフィリップはロータルの報告を聞いていた。

 図書室を午後の早い時間に使っていたのはヴィヴィ。フィリップの頭にドーリスが以前言っていた言葉が再生される。

『ヴィヴィアーネ様は人が大切にしている物を奪うことがお好きで......』


 しかしヴィヴィはフィリップが図書室に来る前に部屋に引き上げている。

 フィリップが頭を振ってその考えを振り払おうとした時に図書室の扉が控えめにノックされた。


 オドオドした様子で入ってきたのはドーリス。

 彼女は躊躇いがちに切り出した。


「あの……図書室に今日出入りした人を探していると伺って......」

「そうだが、ヴィヴィ様が午後の早い時間に図書室をご利用なされたことは既に知っている」


 冷静な口調でオットーがそう返すとドーリスはかぶりを振った後に何か言い淀んでいるようだった。


「知っていることがあったら教えてくれ。大丈夫、君がそれで罰せられるようなことは無い。僕がさせない」


 フィリップがそう言うと安心したようにドーリスが話し出した。


「実はヴィヴィアーネ様はその二時間後にももう一度図書室に行かれたのです。お気に入りのペンを忘れて来てしまったので。でもそのことは黙っているようにと言われて......」

「それはヴィヴィ様が言ったのかね? ドーリス」


 オットーが訝し気な口調で訊ねる。オットーからすればヴィヴィが黙っていろとドーリスに言う理由が見つからなかった。オットーから見たヴィヴィは謀や嘘から最も遠い人物である。

 しかしフィリップは信じた。固い口調でオットーに命じた。


「ヴィヴィアーネを呼んでくれ。問い質したい事がある」

「はい、すぐに呼んでまいります」


 下がろうとするドーリスをオットーが押しとどめた。


「君はここに居てくれ。他の者に頼んでお呼びする」


 ドーリスは一瞬焦った表情を浮かべ直ぐにそれを隠すように俯き「はい」と答えた。




 ヴィヴィが図書室にやってくるとフィリップは直ぐに問い質した。


「僕のブックマーカーを知らないか? 本に挟んでここに置いていたものだ」


 ヴィヴィは首を傾げた。


「はい、先日拾ってフィリップお兄様にお渡しした物ですね。それが何か?」

「無くなっているんだ。僕が転寝をしていた隙に」


 フィリップは鋭い目でヴィヴィを観察するがヴィヴィはまったく寝耳に水とばかりに驚いて後ろに控えたエリゼを振り返った。


「大変! それはフィリップお兄様の大切な物ですよね! エリゼは何か気がついたことがある?」

「いいえ、私がヴィヴィ様と図書室を後にしたのはフィリップ様がいらっしゃる前でしたから」

「そうね……どこかに落ちていないかしら……」


 きょろきょろと辺りを探し出したヴィヴィに向かってドーリスが声を上げた。


「ヴィヴィアーネ様、正直におっしゃってください!」

「ドーリス?」

「ヴィヴィアーネ様は後でもう一度図書室に向かわれたではありませんか! お気に入りのペンを忘れてきたと言って」


 その言葉を聞いてヴィヴィはばつが悪そうな笑みを浮かべた。


「君が僕のブックマーカーを盗んだのか!」


 フィリップの声は怒りで震えていた。必死で激情を押さえつける。謝って素直に返せば許してやらなくては。


「あ、いえ、違うんです。私は図書室に行っていなくて……」

「嘘を仰らないでください! ヴィヴィアーネ様はペンを持って戻ってきたではありませんか!」


 ドーリスは必死に訴えるがヴィヴィはオットーに向かってごめんなさいと頭を下げた。


「そのう……オットー、叱らないで欲しいんだけど……図書室にペンを取りに行ってくれたのは庭師見習いのティーノなの」


 その言葉にオットーだけでなくフィリップも呆気にとられた。

 使用人は立ち入る場所が厳格に分けられている。庭師が屋敷の中、ましてや使用人が普段使っている洗濯室や厨房ではなく主人やその家族が使用しているエリアに足を踏み入れるなど言語道断だったからだ。

 だからオットーも使用人たちに図書室に出入りしたものがいないかと聞き取り調査をしたが、足を踏み入れる筈も無い庭師や下級メイドは除外していた。


 ティーノはおずおずと図書室に入ってきた。

 庭師の親方のヤンからお坊ちゃまがお前を呼んでいるから急いでお屋敷に行けと言われたからだ。

 きっと無断でお屋敷の中に入ったことを怒られるんだろうと物凄く怯えていた。首になりそうならわしも一緒に謝ってやるからとヤンに背中をどつかれていたが全く安心できない。

 オットーが土下座しそうなティーノに訊ねる。


「ティーノ、お前は今日の午後この部屋に入ったか?」

「ははははい! すんません、すんません」

「ごめんなさいオットー! 私の所為なの! ティーノを叱らないで!」


 床に膝をついて謝るティーノとその隣で一緒に膝をつきそうなヴィヴィを見てオットーが苦笑した。


「立ちなさいティーノ。それからヴィヴィ様は間違っても膝などついてはダメですよ。今から聞くことに正直に答えればこの部屋に立ち行ったことは今回に限り不問にしましょう。それでいいですか? フィリップ様」


 オットーの言葉にフィリップも頷く。そうしなければ話が進みそうもなかったから。


 ティーノとヴィヴィの話はこうだ。

 ヴィヴィがペンを取りに図書室に向かう途中で廊下の掃き出し窓からヴィヴィを呼ぶティーノの声がした。聞けばヤン爺がヴィヴィを呼んでいるという。

 先日ヤン爺に手伝ってもらって作った庭の巣箱に鳥がやってきているという事だった。エルヴィンがいなくなってから元気のないヴィヴィにヤン爺が提案してくれたのだった。


「見たい! 見たいけど今から図書室にペンを取りに行くのよ」


 ペンを取りに行ってからでも間に合うかもしれないけれど間に合わないかもしれない。鳥がいつ飛び立ってしまうかなどわからないのだから。


「んじゃあ俺がペンをとってきますよ。図書室ってこの廊下をまっすぐ行ったところですよね」

「え? 大丈夫? 怒られない?」

「ひとっ走り行くだけだから大丈夫ですって。ちゃっちゃと行ってきますからヴィヴィ様は鳥を見に行ってください」

「うん、ありがとう。赤い羽根がついたペンだから目立つと思うの」




 


「それで? ティーノは図書室に入ったのか?」


 オットーの質問に縮こまりながらティーノが答える。


「はっはい。ペンは入り口近くの床に転がっていたのですぐわかりました」

「フィリップ様がいらしたことに気づいただろう?」

「はい。あのう……最初は気がつかなくってペンを拾った時にお坊ちゃまがいるのに気づいてしまったと思ったんですけど……」

「寝ていらっしゃったから安心したのか?」

「すいません......起こさないようにそうっと部屋を出ました」

「お前がブックマーカーを盗んだのか?」


 オットーに代わってフィリップが鋭い視線を投げ掛けるとティーノはきょとんとした顔をした。


「ぶっくまあかあって何ですか? あ、いえ、俺はお坊ちゃまには近づいてないです! 入り口でペンを拾って引き返しただけです!」


 その様子はまったく嘘をついているようには見えなかった。





 一連のやり取りをドーリスは部屋の隅でやきもきしながら見ていた。

 きっかけは偶然だった。


 今日の午後、ドーリスは他の用事をしていたので図書室にはエリゼが付き添っていた。

 この屋敷内にいる時はヴィヴィは比較的自由なのでドーリスやエリゼが付き添うことも付き添わないこともある。

 用事を済ませて図書室の近くを通りかかり、ヴィヴィが図書室にいると思って足を踏み入れた。

 予想に反してヴィヴィは居らずフィリップが机に臥せって気持ちよさそうに眠っていた。

 その時に目に入ったのだ。——綺麗なエメラルドの瞳の竜が彫られた優美なブックマーカーが。

 咄嗟にポケットに入れて部屋を静かに出る。

 廊下を歩きながら青くなった。どうしよう、すぐに返しに行こうか……でもフィリップ様が目覚めていたら......悩むうちに思いついた。ヴィヴィアーネ様のせいにしてしまえ、と。


 それから忙しかった。

 ヴィヴィの部屋に戻るとエリゼの隙をみてヴィヴィのペンをポケットに入れた。

 お茶の支度をしてくると言って部屋をでる。

 厨房に向かい、人目を避けて図書室まで走った。扉を少し開けてペンを投げ入れると何食わぬ顔でお茶やお菓子を持ってヴィヴィの部屋に戻る。


「あら? ヴィヴィアーネ様、お気に入りのペンが見当たりませんわ」


 そう声を掛けるとヴィヴィやエリゼは部屋の中を探し始めたが見つかるわけもない。


「ヴィヴィアーネ様は図書室に行ってらしたのですね、そこにお忘れになったのでは?」


 そう誘導するとあっさりヴィヴィは「そうかも」と頷いた。


「取りに行ってまいります」というエリゼを押しとどめてヴィヴィが「いいわ、私が行って来る」と言うのも想定内だ。エリゼはドーリスが戻った時にヴィヴィの衣服の手入れをしていたからだ。

 

 思ったよりも時間がかかったがヴィヴィがペンを手に戻ってきた時はホッとした。ヴィヴィとフィリップの仲を考えると二人が話をするとは思えなかったが、もしかしてフィリップが目覚めてヴィヴィを問いただしたのでは? と思ったが、ヴィヴィは何も言わなかった。


 後は隙をみてブックマーカーをヴィヴィの引き出しに隠すだけだと思ったが、衣裳の手入れを終えたエリゼの目をごまかすのが難しく、色々と用事を言いつけられているうちにオットーから知らせが回ってきた。


 今しかないとドーリスは用事をつくってヴィヴィの部屋を出、図書室に向かったのだった。

 もちろん自分でブックマーカーを持っているような間抜けな事はしない。ブックマーカーは図書室に来る途中の花瓶の下に隠した。


 まさかヴィヴィではなくティーノがペンを取りに行ったのだとは思いもよらなかった。

 まだよ、まだ挽回の余地はある。ティーノがヴィヴィに頼まれて嘘をついたっていうのはどうかしら。

 どっちにしてもブックマーカーがヴィヴィの部屋から見つかればフィリップはヴィヴィを疑うだろう。

 なんとかしてここを抜け出してブックマーカーを......


 ドーリスが必死に頭を絞っていると図書室の扉が開いた。


「何の騒ぎなんだ?」

「父上!」


 入ってきたのは当主のルードルフ。

 彼はオットーから事の顛末を聞くと後ろに控えていたメイドを呼んだ。


「マリア」


 彼女が差し出した物を見てフィリップは目を見開いた。


「それは!」

「お前が探していたブックマーカーだろう?」


 ルードルフは満足げに言う。


「このメイドが持っていたんですか?」

「いいや、マリアと私でさっき見つけたのだよ」


 ルードルフの言葉は意外なものだった。




 マリアは先ほどまで同僚のメイド二人と一階の廊下周りの花の取り換えを行っていた。もちろん図書室周辺も含まれる。

 そして見かけたのだ。ドーリスがこそこそと花瓶の近くで何かしているのを。

 その時はあまり気にならなかった。活けたばかりの花が気に入らないのかしらと思っただけだ。しかし同僚と別れた後にやはり気になって引き返してきた。そのくらいドーリスの挙動は不審だった。そして帰宅したばかりのルードルフと会い、ご挨拶をした後に花瓶に近寄ると興味を引かれたルードルフもついてきた。重い花瓶を持ち上げてくれておかげで直ぐにブックマーカーを発見することが出来たのだった。


 






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