二年生(21)——冬期休暇
「ふふっフィリップ筆頭補佐官の見込み違いでしたわ」
件のお茶会の次の日、ジークの執務室を訪れたシャルロッテ様は朗らかに告げた。お茶会の様子をシャルロッテ様に聞くため私たちはジークの部屋に集まっていた。今室内にいるのはジークとフィル兄様、私、それから騎士団第四隊の隊長セルブス様と二人の騎士。第四隊は重要案件の調査や潜入捜査等を主に担う隊だ。
それにしてもシャルロッテ様は上機嫌だ、先日のどこか寂しそうな風情は微塵も無い。お茶会が余程楽しかったのかもしれない。
「パルミロ様に怪しいところはございません。それどころかパルミロ様はとってもお優しくて素敵な方でしたわ。持ってきてくださった品物もとても素敵なものばかりで。それをわたくしたちの為に驚くほどの安価で提供してくださいましたの。ああそうですわ、おそろいの品はアンクレットにいたしましたの。パルミロ様は「ご令嬢方の友情の記念に」と全員にプレゼントしてくださって。ですからわたくしたちはその他の商品を買わせていただいたのですけれど、どれも素敵なお品ばかりでしたの。見事な刺繍のショールや繊細な細工のカトラリー、はるか西方の不思議な香りのお茶まで——」
シャルロッテ様のお喋りが止まらない。私は少し異常に感じた。
もちろん無口という訳ではないけれどシャルロッテ様はこんなにペラペラと喋り続けるお人柄じゃなかったと思う。
私はジークを見た。ジークも私を見て頷いた。
やっぱりジークもシャルロッテ様の様子に違和感を感じている。ジークの方がシャルロッテ様との付き合いは長い。そのジークがそう感じているのだ。
「あー……シャルロッテ嬢、西方の不思議な香りのお茶というのは?」
「素晴らしいものでしたわ。少し香ばしいような懐かしいような香りですの。渋みの中にほんのり甘みもあって、わたくし一瞬で気に入りましたわ。友人たちもとても美味しいと好評で——」
「飲んだんですか?」
私は思わずシャルロッテ様の言葉を遮ってしまった。
コズモ商会が持ち込む商品には警戒するようにレクチャーされていた筈なのに。
ジークの質問にお喋りを再開したシャルロッテ様は、私に遮られて一度目をパチクリさせた後、お喋りを再開させた。
「ええ。ケーラー子爵家のメイドがサーヴしたので最初はロスヴィータ様がご用意したものだと思いましたの。後からパルミロ様が種明かししてくださって。「皆さんを驚かせたかったのです。驚いたお顔もチャーミングで素敵ですよ」って。パルミロ様はお優しいだけじゃなくて茶目っ気もあるのですわ。わたくしにそっとウインクしてくださったお顔がとても魅力的でしたの」
おかしい、絶対にいつものシャルロッテ様じゃない。
そのお茶っていうのが一番怪しい。
「ペーレント伯爵令嬢、そんなに美味しいお茶なら僕も飲んでみたいんだけど、どこで手に入るのかな?」
フィル兄様が聞くとシャルロッテ様は残念そうに目を伏せた。
「申し訳ありません、とっても希少なお茶なのでお茶会に提供した分しか在庫が無かったそうなのです。あ、でも次のお茶会までに用意してくださるそうですからその時なら手に入ると思いますわ」
「次のお茶会はもう決まっているの?」
さりげなくジークが聞くとシャルロッテ様はちょっと恥ずかしそうに答えた。
「来週ペーレント家のタウンハウスで行いますの。ほんの三名の小さなお茶会ですけれど。パルミロ様は今まで下位貴族や爵位無しのご令嬢のお茶会しかお出になっていらっしゃらなかったのですけど、コズモ商会の商品はどれも素晴らしいものばかりですから伯爵家のご令嬢方にも紹介して差し上げた方が喜ばれると思いましたの。パルミロ様もとても喜んでくださって選りすぐりの商品をお持ちしますと仰ってくださって。明日またその打ち合わせでパルミロ様にお会いしますわ」
——それは危険だからやめた方がいい。喉まで出かかった言葉を私は必死で飲み込んだ。今言ってもシャルロッテ様に届かないような気がしたから。
浮かれたシャルロッテ様が退出した後、ジークはペーレント伯爵に竜便を送った。ペーレント伯爵の領地はトシュタイン王国との封鎖された山道の東側、要所なので既に領地に戻っていたのだ。
二日後、ペーレント伯爵は夫人を伴って王宮にやってきた。
手紙を受け取って直ぐに領地は嫡男に任せて竜で王都にやってきたそうだ。
「ペーレント伯爵、大事な御息女を巻き込んでしまって申し訳ない」
「いえ、シャルロッテが望んで私が了承したことですから」
ジークの謝罪にペーレント伯爵は穏やかに応じた。
シャルロッテ様の様子がおかしい事は、ペーレント伯爵も昨日王都のタウンハウスに着いてシャルロッテ様と対面したときに感じたそうだ。とはいえ奇行に走ったという訳ではない。ペーレント伯爵もジークからの手紙を貰っていなければ、何か嬉しい事でもあったのだろうと見過ごす程度で、王都のタウンハウスに残っていた夫人に至ってはこのところ塞ぎこんでいた娘が明るくなったと胸を撫でおろしていたそうだ。
だから商人を招いてお茶会を開きたいというシャルロッテ様の要望も簡単に叶えた。急だったので親しく付き合っている伯爵家のご令嬢を二人招くだけにとどめたのだが、学院を卒業してこれから社交界に乗り出す娘の丁度良い練習になると思ったらしい。
「シャルロッテ嬢は今は?」
「今日は外出せずに家にいるように申し付けてあります。昨日は出かけたようですが」
「例のコズモ商会のパルミロに会いに行ったんだ。念のため騎士を監視としてつけていたのだが、会った場所は王都内のカフェだった。カフェの個室で会っていたので会話の内容はわからないが」
ジークは会話の内容はわからないと言ったが再度何かを飲まされていてもわからないという意味は伝わったと思う。
ジークが名を上げたカフェは貴族が使うような高級なカフェで、個室も完備している。密会に使われる場合もあるが、やましい事ばかりに使われる店という訳ではない。周りに煩わされず、落ち着いて紅茶やスイーツを楽しみたい方たちにも人気のカフェだ。
「監視だなんて……娘は犯罪者ではありませんわ!」
ハンカチを手に俯いていた夫人がキッと顔を上げた。
「やめなさい。監視と言ったのは例の商人に対してだ。殿下はシャルロッテの身の安全を考えたくださったのだ」
「それでも! 私には何が危険かはわかりませんわ。シャルロッテはずっと辛そうでした。無理に笑っていたんです。あなたには分かりませんの? そのシャルロッテがやっと心から楽しそうだというのに」
「だからそれが異常だというのだ。あんなに浮かれてまるで殿下の事などきれいさっぱり忘れたように——あ」
ペーレント伯爵は気まずげに私とジークを見た。
「ペーレント伯爵、私はシャルロッテ嬢を友として大切に思っている。学友として同じ時間を過ごし、貴重な意見もたくさん貰った。聡明な女性だ」
「シャルロッテ様には沢山助けていただきました。お優しくて凛とした方です。私はシャルロッテ様を——」
「あなたは黙っていらして!」
ジークに続いて口を開いた私を夫人が睨みつけた。
「あなたはジークハルト殿下に選ばれてさぞ気分がいいでしょうね、選ばれなかったシャルロッテを利用して何がしたいの?」
「そんなつもりでは——」
「ブリギッタ! いい加減にしなさい!」
とうとうペーレント伯爵が声を荒げた。
「今はそんな話をしているのではない。アウフミュラー嬢がシャルロッテを利用したわけでもない。今回の事はシャルロッテが望んで私が了承したことだと言っただろう。あの子は前を向いてこの国の為に殿下に御協力したいと私に言ったんだ」
シュンとなった夫人の背に気づかわし気に手を当ててペーレント伯爵はジークを見た。
「それで、殿下はシャルロッテが何か薬物の影響を受けているとお考えですか?」
「そうだ。私はシャルロッテ嬢が飲んだというお茶が怪しいと思っている」
「そのお茶は他のご令嬢も飲まれたのでしょう? その方たちは?」
「今調査してもらっているが、やはり一種の躁状態になるようだ。個人差はあるが。失踪令嬢の調査でもそういう報告が上がっている。その原因がお茶と断定されたわけではなかったが、お茶会に出席した令嬢たちは全員が全員楽しかった、パルミロ様が素敵だったと口を揃えて言っている。その中でも特にパルミロに心酔していた令嬢が三人、いや四人失踪しているんだ」
ジークの説明を受けてペーレント伯爵はしばし考え込んだ。
「……娘は元に戻るのでしょうか」
「私は医者ではないので確実な事は言えないが、お茶会で一度しかパルミロに会っていない令嬢は数日で気分も元に戻り、ただ楽しかった記憶だけが残ったそうだ。そのお茶の現物を押さえることが出来れば分析もできるし、身体への影響も調べられるだろう」
「それではそのお茶を手に入れなくてはなりませんな」
「そこで、ペーレント伯爵に協力をお願いしたい」
ジークの言葉にペーレント伯爵は身を乗り出した。
協力というのはペーレント家のお茶会に潜入させてもらいたいというものだ。参加する令嬢としてではなく、今度はお屋敷の使用人に扮して第四隊の騎士十名が潜入する。これは当主の協力なしにはできない。ここまで大規模に潜入するのだ、ここでパルミロとコズモ商会の者を一挙に捕縛するつもりだった。
そしてジークやフィル兄様も変装して給仕や従者に、私もちょっと無理を言ってメイド見習いに化けて潜入させてもらった。
ジークは渋い顔をしたし、フィル兄様にはくれぐれも余計な事をしないようにと釘を刺されたけど、大人しくアウフミュラーのお屋敷で待っていることなんかできなかった。
伯爵家の令嬢が到着して和やかにお茶会が始まる。
私はメイド見習いとして雑用をこなしながら時折お茶会が開かれているサロンにポットの替えを持っていったりして様子を見ていた。
お茶会が始まって半時経った頃パルミロが現れた。
パルミロは大きな花束をシャルロッテ様に差し出し、シャルロッテ様が顔をほころばせてそれをメイドに預けると、跪いて手にキスを落とす。その間もずっとシャルロッテ様を賛美する言葉を欠かさず、私は感心してしまった。あんな気障な事されれば件のお茶を飲んでいなくてもポーっとなってしまうかもしれない。
パルミロが手を叩くと二人の従業員が様々な品を持って入室する。筋骨隆々の従業員はちょっと怪しい。
お洒落な小物や普段使いできる可愛いアクセサリーを見て招かれた二人の令嬢が控えめな歓声を上げた。
「パルミロ様、先日のお茶は今日はお持ちではないのですか?」
商品をひと通り見た後にシャルロッテ様がパルミロに聞いた。
「わたくしあのお茶がとても気に入りましたの。彼女たちにも振舞って差し上げたいわ」
「シャルロッテ様、嬉しいお言葉ありがとうございます。あのお茶の価値が分かるとは流石はシャルロッテ様ですね、やはり私の理想の女性だ……」
パルミロは熱い眼差しでシャルロッテ様を見つめる。
あああ、それは演技なの。騙されちゃダメ、という言葉を必死で飲み込む。だってもう一年も前だけど、パルミロはアンゲリカの事もあんな風に見つめていたから。子猫ちゃん、なんて気障にアンゲリカの事を呼んでた。鳥肌が立ったのを覚えてる。
「もちろん持ってきておりますよ。馬車にいる従者に届けさせましょう」
パルミロの目配せで従業員の一人が外に出ていく。
「ああそれなら茶器もお菓子も入れ替えますわ」
シャルロッテ様の言葉でメイドたちが動き出す。私も飲み終わったカップをワゴンに乗せて厨房に向かった。
本物のメイドたちが私が雑用をするのを申し訳なさそうに見たけど、あのサロンに居たらパルミロのあまりの気障さに何か言ってしまいそうだったから頭を冷やすのにちょうどいい。部屋の隅に従者として存在感を消して立っているジークに感心した。
廊下をワゴンを押しながら歩いているとふいに聞こえてきた声に私は足を止めた。
「はあーあ......何で僕がナルシス馬鹿の手伝いなんかしなくちゃいけないんだよー。やっとガスパレが死んだって言うのにさあ」
「若様、もう少し声をお落としになられた方が」
「こんな裏の通路に誰もいないでしょ」
「それでも万が一がありますから」
「それで? 今度はどんな手を使ってこの家の女をかっさらうのさ、ナルシス馬鹿は」
「若様、ナルシス馬鹿でなくパオリーノ様と」
「やだよ、年上って言ったってあいつは僕の甥じゃん。あはは、パルミロなんてセンスのかけらもない偽名使っちゃってさあ」
「……若様。とりあえずこの茶葉をパオリーノ様に届けましょう」
「あーめんどくさいなあ」
声はこの廊下の窓の外から聞こえてきた。
廊下の窓は従業員が使う門から裏口に通じる道に面している。そして窓は少し高い位置にある。だから背の低い私がワゴンを押して屈みながら歩いていると窓の外からは誰もいないように見えたんだと思う。
その声を聞いて私の足は震えだした。
若様、ガスパレ、間違いない。この窓の外にいるのは第八王子だ、トシュタイン王国の。
だけど足の震えはそれが原因ってだけじゃない。だって、私はこの声を知っている——
一年前に一度聞いただけじゃ気づかなかった。彼はこんな甘えたような我儘な喋り方はしないから。
素直で明るくて、機転が利いて。いつも朗らかに「ヴィヴィ様!」って挨拶してくれた。
困ったときに助けてくれた。突然いなくなって寂しかった。
話し声がだんだん遠ざかっていく。
私はそうっと背伸びをして窓の外を見た。ちょっと遠くなった後ろ姿は彼と雑貨屋の店主にそっくりだった。
彼らは荷物を抱えて従業員の出入り口からお屋敷の中に入るところだった。
何気なく彼が振り返ってこっちを見た。
遠かったけど目が合ったような気がした。————ディオ!




