二年生(16)
ジークとの婚約が決まった三日後に私はエル兄様と学院に戻った。ジークが戻ってきたのは更に一か月と少し経った頃、卒業式の半月前だった。
会合が終わった後は私は侯爵邸に帰っていたのだが学院に戻る前日ジークに会いに行った。
奥宮に案内されてジークの私室に入る。考えてみればジークの私室に入るのは初めてだ。
入るとともに声が降ってきた。
「遅い!」
「へ?」
つい変な声が出てしまった。ジークは大きな窓の近くのテーブル前、三人は余裕で座れるような大きなソファーに座っていた。窓は大きく開けられ初秋の爽やかな風が吹き込んでくる。僅かに金木犀の香りがした。
ジークの向かい側のソファーに座ろうとすると「違う!」
手招きされてジークに近づくと手を引っ張られた。勢いでポスンと座ってしまったのはジークの足の間。
「あっごめん!」
急いで退こうとしたら後ろからお腹に手をまわされた。
「ジジジジーク! これじゃ立てないわ」
抗議をするけど手を放してくれない。ちょうどイグナーツに乗って帰って来た時のような体勢だ。
「怪我した足に負担がかかるわ!」
「足の上に乗っている訳じゃないから大丈夫だよ。怪我していなかったら膝の上に抱き上げるんだけどな」
なんて声が後ろから聞こえた。おまけにうなじの辺りを鼻でスリスリしてくる。
こそばゆいような恥ずかしいような……居ても立っても居られない気分で私は視線をうろうろと彷徨わせた。
部屋の扉は開いているけれどいつの間にか室内には誰もいない。
「ジーク!!」
「ダーメ。もう少し堪能させて」
堪能って何? 何を堪能するの?
暫くあたふたしていたらやっとジークは私の肩に顎を乗せてはあっとため息をついた。
「遅いよヴィヴィ。二日も何していたの? 今僕は動けないから侯爵家に行くこともできないし……」
「え? 家で用事を片付けたりアルブレヒト先生に課題を貰ったりフィル兄様の相手をしたり……」
「僕たち婚約したんだよね?」
「うん……」
「ヴィヴィは明日学院に帰るんだろ? 僕は足が治るまで帰れないからまたしばらく会えないんだよ?」
それは私も少し寂しい。
「早く治して帰ってきてね」
お腹に回された手の上から私の手を重ねる。
「ヴィヴィも寂しいと思ってくれてる?」
「もちろんよ」
私はそっと後ろに体重をかけジークに凭れ掛かった。
それから私たちは色々な話をしたりテーブルに用意されたお菓子を私が取ってあげて食べさせあったりして過ごした。
なんかジークが滅茶苦茶甘くて赤面してきょどってしまうこともしばしばあったけど嫌じゃなかったし嬉しかった。
そうして数時間過ごしていたら迎えに来たエル兄様に呆れられた。
学院に戻った私たちはまず学院長に帰還の挨拶をしに行った。
私がエル兄様の竜、オリーヴに一緒に乗ってきたことは報告が行っていたらしく学院長は信じられない者を見る目で私を見ていた。
「学院長、長らく欠席して申し訳ありませんでした。ジークハルト殿下は見事トシュタイン王国での任務を終えられて帰還いたしました。ただお怪我を負われていたため学院に戻ってくるのはもう少し先になりそうです」
エル兄様が報告する。学院長はある程度情報を得ていたようだった。
「うむ、そう聞いている。君たちも無事に戻ってこられて何よりだ」
そこで学院長は一つ咳払いをした。
「まず、エルヴィン君は殿下と共に公務の為王都に行ったと生徒には説明している。休んでいた間の座学に関しては試験を受け合格したなら免除としよう。魔術の実技や騎士コースの実技に対しては補講を頑張りたまえ。まあ君ならすぐに追いつくだろう」
「はい、ありがとうございます。頑張ります」
「次にヴィヴィアーネ嬢だが」
私に向き直り学院長は言った。
「君は二つの違反を犯した。それは理解しているかね」
「はい」
「まず一つ。馬車を使わず勝手に王都に向かったこと、それから宰相殿の用事を済ませたらなるべく早く戻って来るという約束を破ったことだ」
「はい、申し訳ありません」
これについては謝るしかない。学院長の指示に従わなかったことは事実だから。
騎馬で王都に行ったことも(そうでなければジークの捜索隊に加わるのに間に合わなかったし)トシュタイン王国に行ったことも微塵も後悔していないけれど。
「君が長期間休んだことに関しては王宮に用事があり王都に行ったが、そこで病にかかり帰りが遅れたと説明してあるので、そのつもりでいるように」
「はい、ご配慮に感謝します」
まさか竜に乗ってトシュタイン王国に行ったなんて言えないよね。トシュタイン王国から帰ってきた時にイグナーツからジークと共に下りたのを見ていた人も沢山いるから、そのうちに知られるかもしれないけれど、色々聞かれても困るから学院長がそう説明してくれたことは私にとっても有り難い。
「座学はエルヴィン君と同じに試験を受けて合格したら免除とする。魔術の授業に関してはもともと君のクラスは生徒が君一人なのでアルブレヒト先生と相談して進めなさい。それから君には罰則を与えなければならない。その罰則についてだが、旧校舎三階の古書室の整理と分類を命ずる」
「旧校舎の古書室……ですか?」
初めて聞く場所で思ってもみなかった罰則だった。
「といっても君は何をどうしていいかわからないだろう。指導員を一人つける。五年生のナターリエ・ヒルシュゲル伯爵令嬢だ。彼女の指示に従いなさい」
学院長がその名前を出した時にエル兄様が少し身じろぎしたのが気になったが私は「はい、頑張ります」と返事をして学院長の元を辞去した。
次の日教室に入るや否や私はクラスメイトに取り囲まれた。
「ヴィヴィ! もう大丈夫なの!?」
真っ先にアリーが駆け寄ってくると他のクラスメイトもわらわらと寄ってきた。
私はもう大丈夫だと笑って伝える。
「お前エルヴィン様が赤竜に乗って帰ってきたとき具合悪そうだっただろ、心配していたんだ」
カールの言葉を聞いて私は思い出した。あの時はジークが心配で目の前が真っ暗になったんだった。
ジークの事を思い出したら学院に帰る前日ジークの部屋で過ごしたことまで思い出してしまった。
ポッと赤くなった私を見てカールが焦ったように言った。
「い、今のは友達として心配したんだぞ! 俺はお前のことを親友だと思っているからな。恋愛感情なんて微塵もないぞ!」
横でアリーが心配そうな顔をしている。
「あははは! 何当たり前のこと言ってるの!」
私が笑い飛ばすとカールもアリーもホッと息を吐いた。
「それより私がいない間にずいぶん二人の仲が進展したみたいね」
ニヤニヤ笑って言うと二人は真っ赤になって否定し始めた。クラスのみんなも二人をひやかす。
とうとうカールが叫んだ。
「そんなことないぞ!! 俺はまだOKの返事を貰っていないんだ!!」
シーンと静まり返ったその時にエルトマン先生が入ってきてこの件は有耶無耶になった。
放課後旧校舎に向かう。旧校は今は使われていない建物で研究棟の隣にある。使わなくなったものの捨てるには惜しい物の倉庫代わりに使っているようで三階には図書館に置けなくなった古書が運び込まれているらしい。雑然と運び込まれた古書を整理分類する作業を命じられたのだった。
三階に上がり一番手前のドアを開けた。
部屋の中は予想していたよりも凄い有様だった。
部屋の奥には本棚が並んでいてそこに沢山の本が置いてある。立てて並べてあるのではなく乱雑に積まれているのだ。そして本棚に入らない本は手前の数個の机の上に雑然と積み上げられている。全体的に埃っぽい臭いがした。
これが罰則? なんとなく私はめんどくさくて数十年単位で後回しにされていた誰もやりたがらない雑事を体よく押し付けられたような気がした。
部屋の中、本に囲まれるように一人の人物が立っていた。
その女の人は目を瞑り部屋の空気を目いっぱい吸い込む。つまり深呼吸をすると「ああ! なんていい匂い!」と叫んだ。
「あのー」
私が声をかけるとビクッとしてこちらを向いた。
「あの、二年生のヴィヴィアーネ・アウフミュラーです。こちらの整理を命じられたのですが」
私が名乗ると彼女は得心が行ったようで名乗り返してくれた。
「聞いているわ。私は五年生のナターリエ・ヒルシュゲルよ。よろしく」
手を出してくれたので握手をした。
ナターリエ様はストレートのダークブラウンの髪をした小柄な方だった。眼鏡を掛けていてそれに被さるぐらい前髪が長いので瞳の色はよくわからない。色白で童顔なのでもしかしたら私より年下に見えるかもしれない女の人だった。
「あなたが来てくれて助かったわ。あなたはどの分野に興味があるの?」
言われた意味が分からなくて首をかしげる。ナターリエ様は返事を待たずに話を続けた。
「ここにはきっと凄いお宝が眠っているわ。ああ! ワクワクしちゃう! 私古い本の匂いって大好きなの。過ぎた時の重みを感じると思わない? それがページをめくると現代に蘇ってくるのよ。それにね……」
ナターリエ様の話は十分ほど続いた。話が切れた辺りで私は問いかけた。
「それで具体的にはどうやって進めましょう?」
ナターリエ様はうーん……と考えた挙句に言った。
「どうしたらいいと思う?」
え? 指導員って言ったよね? 学院長は指導員を一人つけるって言ったような気がする。
「あの、ナターリエ様は指導員では?」
「うん、そうよ。私研究コースで古い魔術や魔道具の研究をしているの。それで卒業したらこの学院に研究生で残れることになったのよ。今回ここの古書を整理するという話を聞いて立候補したのよ。なんたってこれだけのお宝の山よ! ああ、早く読みたいわ」
いえ、読むんじゃなくて分類と整理です。とは言えなかった。ナターリエ様があまりに嬉しそうだったから。
私は理解した、ナターリエ様を当てにしてはいけないことを。
「まずは分類から始めましょう」
私は机を本棚ギリギリまで押しやった。本が沢山乗っていて重いので一々本を降ろさなくてはならなかった。そして広いスペースを確保すると掃除用具を借りて来てその場所を綺麗にし、区分けして歴史、地理、政治経済、文学、植物や動物、技術工学、魔術や魔道具、その他と書いた紙を張り付けた。
ここまでやったところで初日は終わりになった。
領地に居たときにメイドに交じって掃除も教えてもらっていて良かった。そうでなければ一歩も動けなかったと思う。
ナターリエ様は感激して私のすることを見ていた。
「あなたって凄いのねえ……勉強になったわ」
少し外が暗くなったころエル兄様が訪ねて来た。
「ヴィヴィ、頑張っているか?」
「あら、エルヴィンじゃない? どうしたの?」
ナターリエ様が話しかける。ふーん、呼び捨てにするほど仲がいいのね。
「妹の様子を見に来たんだよ。ナターリエ、迷惑かけてないか?」
「あ、そういえばヴィヴィちゃんはアウフミュラーって言ってたわね。エルヴィンの妹かあ」
ナターリエ様は初めて気が付いたようだった。そうしてにっこり笑って言った。
「迷惑かけているわよ、私がヴィヴィちゃんに。ヴィヴィちゃん凄いのよ! お掃除もできるの」
「お前領地に居たときにいろんなことしていたからなあ」
エル兄様は感心したように言うとこそっと囁いた。
「ナターリエは当てにならないぞ。悪い奴じゃないけどな」
うん、それは初日でわかりました。
その後エル兄様は私とナターリエ様を寮まで送ってくれた。
学院に帰ってきて一か月、私は超多忙な日々を送っていた。
座学に関しては試験で合格したので追加の課題も無くて良かったのだが魔術の授業はアルブレヒト先生が物凄く張り切っていて課題もたくさん出された。まだウォンドを与えられていない私たちは今は呪文を詠唱する魔術を主に習っている。
詠唱による魔術は攻撃に使うものはほとんどないが多種多様である。
身体から放出した魔力に詠唱によって方向性や性質を与える。一番最初に習ったのが障壁の魔術だ。これは一年生のうちに習う。障壁の応用で防音の結界や人や物を弾く結界がある。もっと応用すると自分の身体から汚れを弾く魔術なんかがあって騎士団の遠征で野営が続くときに使われたりするようだ。もっともそれなりに魔力を使うので通常は使用しない。そういえばジークの捜索の時に騎士たちが偶に使っていた。
それから空中から水を出す魔術。水の属性がある人は比較的楽らしいが属性がなかったり少ない人は苦労するらしい。出した水を温めたり凍らせたりする魔術もある。これも属性に左右される。
どの魔術も呪文の詠唱が必須であり、魔道具を使えば同じ効果が得られるので魔道具を使う方が多いらしい。
私は今アルブレヒト先生に様々な呪文を覚えさせられているのだ。発音が難しいものも多く何度も練習が必要だ。ちなみに魔力を流さなければ発動しないので詠唱だけの練習なら何度行っても大丈夫だ。
それから多忙の一番の原因は旧校舎の古書の整理だ。週に四日ほどは放課後旧校舎に通い、休日も通っているのだが作業は遅々として進まなかった。
罰則として命じられたのでそう簡単に終わるようなものでもないのだが。
現在は分類が四分の三終わったというところだ。
進まない原因の一つはナターリエ様であることは間違いないと思う。
「ねえねえヴィヴィちゃん、この本を見て! 五百年前に使われていた魔術が載っているわ!」
とか
「この本には今は使われていない魔道具が載っているわ! どんな魔方陣が刻まれているのかしら」
と分類中に興味深いものに出くわすと途端に読みふけって作業が中断してしまうのだ。作業自体は私の罰則でナターリエ様は指導員なのでしなくてもよいのだが面白い本が見つかると夢中で読みふけり私にいろいろ解説してくれる。私もつい興味を引かれて話に聞き入ってしまう。
というわけで遅々として作業が進まないのだった。
ほぼ毎回騎士コースの授業が終わるとエル兄様が差し入れをもって顔を出してくれるのでナターリエ様の話し相手を引き受けてもらう。
そうした多忙の日々の隙間を縫って私は西エリアの雑貨屋さんに出かけた。
ディオが何かお咎めを受けていないか心配だったのだ。
すぐにでも行きたかったのだけどどうしても時間が取れなくて、お店に行ったのは戻ってきて一週間ほど経ってからだった。
「……え? 嘘......」
雑貨屋さんは閉まっていた、というか雑貨屋さんのあった場所は店舗改装の真っただ中。
「あの、ここにあったお店は?」
忙しく出入りする職人さんに訊ねる。
「ああん? さあねえ、何かどっかの町に移転したって聞いたけど? へぶっ!」
答えてくれた職人さんは慌ててすっ飛んできたオーナーみたいな人にどつかれていた。
「馬鹿! お前、お貴族様になんてえ口をきくんだ! すいませんねえ、礼儀がなってなくて。は? ここにあったお店ですか? いえ、私どもは何も聞いておりません。それより今度この場所は洒落たカフェになる予定なんで。ええ、一本通り向こうのカフェよりも美味しいケーキをたんと取り揃えますんでどうぞ御贔屓に」
私はお礼を言ってその場を離れた。
学院側はディオが一緒に学院を抜け出した事を把握していなかったからそのことで立ち退きさせられたという事は無いと思う。そこはちゃんと調べた。私は一人で抜け出したことになっていたし、エル兄様は口を噤んでいてくれた。
雑貨屋さんの店主だったウーゴさんの事はよく知らないから何か事情があって移転したのかもしれない。
そこで私は気がついた。
私はディオの事も何も知らない。年の頃は私と同じくらい。人懐こくて明るくて機転が利いて。
でも家族構成も生い立ちも、どうしてウーゴさんのお店で働いているかも何も知らない。
「ディオにお礼、しそびれちゃった……」
ポツリと呟く。明るいディオの笑顔がもう見られないことが少し寂しかった。
そんな寂しさも日々の忙しさに紛れて、気がつけば卒業式はもう間近に迫っていた。




