ジークハルトの遠征と失踪(8)
「お嬢ちゃん、助けを呼んできたからもう大丈夫だに!」
まずはエラさん、そして体格のいい下男のような男の人、最後にお年寄り。
「エラ、ありがとう。モートンさん、ヴィヴィは無事です」
ジークの声に我に返った私はそうっと後ろを見た。
床に倒れているスケベ隊長を。
ああああ私はなんてことを!
「ジークどうしよう……スケベ隊長、殺しちゃった……」
涙目の私の手をジークが握る。
「正当防衛だよ、僕が見ていた。それにヴィヴィにスケベな事をするなんて万死に値する」
「で、でもこれが切っ掛けで戦争になったら......」
実際はスケベな事をされた訳じゃなくて……あ、でも数年後成長したらとか言っていたからスケベ予約?
「死んではおりませんですじゃ」
私がグルグル考えていると、スケベ隊長の様子を屈みこんで調べていたお年寄りが言った。ちょっと残念そうに聞こえたのは気のせい?
「ふぉふぉふぉ、顔中切り傷と打撲で変色しておりますが、ほうほう鼻の骨も折れているようで面白い顔になっておりますがちゃんと生きておりますぞ」
私とジークがお年寄りを見つめると彼は立ち上がって下男に何かを言った。下男が部屋から出ていく。
「ヴィヴィ、この人たちは味方だよ。この家の家令のモートンさんと僕の世話をしてくれたエラだ」
「ジークを王都の兵に引き渡すんじゃないの?」
「僕の存在は領主のラーシュを始めこの人たちが隠してくれたんだ」
ジークの言葉で一気に安堵が押し寄せてくる。ここに居る人たちはジークを連行しに来たわけじゃなかったんだ。
ああよかった。…………ってスケベ隊長どうしよう…………私たちはジークを引き取って帰ればいいけど、モートンさん達が後で責められたりしないかな。
「おおそうじゃそうじゃ、屋敷に押し入ってきた害虫どもがようやく眠りこけましたのでな、安心して下され」
モートン老人がそう言うとエラがジークの包帯を外し始めた。
「はあ、こんなに臭いのによく我慢しなさっただねえ」
うん、臭かった。泣いて鼻がつまってちょっと助かったかもしれないけどやっぱり臭かった。
包帯がどんどんはずれていって現れたジークの顔や手がいつものジークであることに大丈夫だと聞いてはいたもののやっぱり安心する。
そりゃあ小さい切り傷の跡や打撲の跡、そして右足の包帯ははずれなかったけれど。
「モートンさん、眠りこけたとは?」
ジークが聞くとモートン老人はまたふぉふぉふぉと笑った。
「奴らが飲む酒に睡眠薬をたっぷり混ぜてやりましたからのう。即効性ではなく効き目が表れるまで三十分ほどかかりますが町の娘たちにも被害が無くて何よりですじゃ」
そしてモートン老人は丁度戻ってきた下男が持っている赤い実を潰して気絶しているスケベ隊長に振りかけた。
もわーーんと臭い匂いが部屋中に広がる。あ、ジークから漂ってきたのはこの実の臭いなんだ。
「くさっ!」
「おお臭え!」
鼻をつまみながらエラはジークから外した包帯の切れ端を引き裂いて下男と一緒にスケベ隊長に掛ける。作業をしながらさりげなく隊長のお腹を蹴ったり足を踏んづけたりしているのは見間違いかな。
「ガイアス、他の兵はどうじゃ?」
「へえ、娘っ子を空き部屋に連れ込んだ奴らの上にも木の実の汁をたっぷり振りかけてやりましただ。娘っ子はみんな無事ですだ。日頃のご領主様の言いつけ通り、言いなりになっているふりをしながら酒をたんと勧めてのらりくらりかわしましたでなあ」
モートン老人と下男の会話を聞く限り他の部屋も臭い事になっていそうだ。
「モートンさん、その、この人たちが目覚めてから咎められたりしませんか?」
私の問いにモートン老人ふぉふぉふぉと笑った。ふぉふぉふぉの笑顔が結構黒い。
「多分それどころではないでしょうのう。ジル様は体中が腐る伝染病だとこの隊長には伝えましたからのう。目が覚めたらこう言うつもりですじゃ。『やや、隊長様、ウチの孫が覆いかぶさってこと切れておりましたが何があったんですか』と。孫は亡くなったのでこれ以上伝染を広げないために運び出したと言えば怪しまれぬでしょうのう。何より自分の身体に血が付いていて自分から臭い匂いがしていればこんなクズ......低劣な隊長は取る物も取り敢えず王都に逃げ帰る筈ですじゃ」
私が説明を受けているとまたもやドアがバターーン! と開かれて男の人が飛び込んできた。
「ジル! 無事か!? お? おお? お? くせえ!!」
男の人はジークを見て、私に気がつき、倒れているスケベ隊長とモートン老人たちを見て、最後に鼻をつまんだ。
「ラーシュ殿、モートンさん達の機転のおかげで僕もヴィヴィも事なきを得ました。ありがとうございます」
「それは良かった」
ラーシュさんはモートン老人の話を聞くと大笑いし、それじゃあ俺も一役買うかと言った。
「一週間の潜伏期間があるから一週間以内に王都の高名な医者に診せれば助かるかもしれねえと言っとくか。町の娘もうつっているものがいるかもしれねえって言えばあの汁を振りかけられた奴らも慌てるだろうよ。一刻も早く王都に帰りたいって言うだろうな」
それからラーシュさんはちょっと悪戯っぽい目でジークを見た。
「で? 嬢ちゃんはジルのいい人か?」
「えっ! いえ! 違い——」
「はい」
小指を立てながらのラーシュさんの問いに私が否定する間もなくジークに肯定された。
「嬢ちゃん、俺はこの地方の領主をしているラーシュ・シュトレームという者だ」
ラーシュさんが手を差し出すので、誤解ですの声を飲み込みそれを握って私はお礼を言った。
「ヴィヴィと申します。ジー......ジルを助けていただいてありがとうございます」
「おうよ、ああそれでな、お迎えも来たようだしジルにはお帰り願おう」
「お迎え?」
「あそこの木が密集しているところ」
ジークが聞き返すとラーシュさんは窓の外のフーベルトゥス騎士団長たちが潜んでいる木立を指さした。バレてた!!
「調査の帰りに気がついたんだ。まあ調査って言っても適当に山をうろついて『竜なんかいませんでしたよー』って報告するだけなんだけどな。そういう訳なんで、おい、ガイアス、ジルを背負ってくれるか? っとその前に着替えが必要だな。エラ、頼む」
あれよあれよという間にジークは寝間着から平民の服に着替えさせられてガイアスさんに背負われ、私たちは一階に向かった。
一階に向かったのはジークを背負ったガイアスさんとラーシュさん、私だ。モートン老人とエラさんは部屋に残って仕上げをするらしい。
「あの、シュトレーム様、どうして敵国の私たちにここまで親切にしてくださるんでしょう?」
私が聞くとラーシュさんはシュトレーム様ってえのはこそばゆいからラーシュと呼んでくれ、と言ってからちょっと真剣な目をした。
「敵国.........か。ジルにはちょっと話したんだがな、十年前までこの領地は酷い有様だった。第六王子の所為でな。モートンの二人の息子は徴兵で戦争に行ったまま帰ってこなかった。エラの息子もだ。エラの息子はたった十五歳で徴兵されたんだ。この領地の兵は大抵最前線に送られる。そしてこのガイアスの姉さんは今回みたいに王都から来た兵の慰み者になった。必死に抵抗した姉さんは兵を傷つけて逃げて、庇った父親と共に切り殺された」
私たちは息を呑み、ジークを背負ったままガイアスはちょっと遠い目をした。
「俺は力が足りなくてなあ。父上と共になるべくこの地の人達を救いたかったんだが……それでも多くの人を死なせた。俺たちにとって敵というのは誰を指していると思う?」
「…………」
「さあ着いた、ここから嬢ちゃんがあの木立まで行ってジルを背負う人を連れて来てくれないか? あいつらが眠りこけているとはいえあんまり目立たない方がいいだろう」
私がラーシュさんの問いかけに答えられないでいるうちにお屋敷の裏口に着いた。
私は頷いて駆け出す。
フーベルトゥス騎士団長たちのところに戻ると簡単に事情を説明してフーベルトゥス騎士団長と二人でお屋敷の裏口に戻った。
実際、危ないタイミングだった。
なかなか戻ってこない私に業を煮やし、フィル兄様はお屋敷に突撃すると言い張っていたらしい。フーベルトゥス騎士団長は何とかフィル兄様を宥め、お屋敷にどういうふうに突入するかの策を練っていたところだったらしい。
簡単に説明したと言ってもフィル兄様やフーベルトゥス騎士団長たちには意味がわからなかったと思う。でもジークが戻ってくるのだから事情は改めてゆっくり聞けばいい。とりあえずジークを背負う人が必要だという事を理解してもらって私は裏口に引き返した。
「ラーシュ殿、本当に世話になった」
フーベルトゥス騎士団長の背中でというのがちょっと格好がつかないみたいで情けなさそうな顔をしながらジークが手を伸ばすとラーシュさんががっちり握った。
「ラーシュ殿、此度の見返りについてですが、以前、善処すると申し上げたが、今は『必ず』とお応えする。必ず、私はあなたの恩に報いるために駆け付けるとお約束しましょう」
ラーシュさんは何も答えず、ただ、うんうんと頷いていた。
それから私たちは裏口から外に出て木立で待つフィル兄様たちと合流し、荷車にジークを隠しながら山で待つ竜騎士団員たちの元へ戻った。
「客人は去ったか?」
ヴィヴィたちを見送ったラーシュが引き返そうとすると、後ろから声を掛け一人の男が近寄ってきた。
「ああ。ちょっとお前にも会わせたかったな」
「そうか?」
「彼は見目麗しい若者だったよ。うん、迎えに来た少女も可愛かったな。君の本当の髪色に似ている銀髪に近い金髪でね」
「お前が気に入ったのは見た目じゃないだろう?」
「そうだな、王族とは、王子とはああいう者なんだろうと思った。この国のバカ王子どもじゃなくてな。おっとすまん、もっとも尊敬する王子が身近にいたのにな」
男は答えなかった。ラーシュは黒髪の男の肩を抱いて屋敷の中に戻っていく。
「さあ、眠りこけている奴らをたたき起こして最後の仕上げをしなくちゃなあ。それにしてもお前も難儀だな、王都に着くまでこいつらうるせえぞ」
黒髪の男は無表情に「俺はこいつらとは別行動で先に王都に戻る。あとは知らん」と言っただけだった。
山に戻りジークが荷馬車から起き上がると竜騎士たちから歓声が上がった。
ジークの無事な姿を見て感涙にむせび泣く騎士の姿も見られた。
そんなみんなの姿を見てジークは深々と頭を下げた。
「皆、心配かけてすまなかった」
「殿下が無事にお戻りになられて何よりです。さあ我らの国に帰りましょう!」
ブルクハルト第一隊長の明るい声に皆が「おおっ!」と雄叫びを返す。
「なんか臭くないか?」
「お前だろ? 暫く風呂に入っていないし」
「じゃあお前もだろ」
「違うぞ、そりゃ俺もお前も臭いけど、それとは違ってもっとこう......」
「確かに臭いな」
騎士たちは臭いの発生源、ジークを恐る恐る見た。
「皆、すまない。この臭いは三日は落ちないらしい」
ジークはもう一度頭を下げた。
赤い実の汁がついた包帯はあのお屋敷に置いてきた。だけど包帯の隙間から肌に付いたり、右足の包帯に飛んだ汁もある。……三日か……ジークはため息をついた。
一度河原に戻る。イグナーツが待っているから。河原に戻った時はもう辺りは宵闇に包まれていた。
イグナーツはジークを見ると大きな巨体に歓喜の表情を浮かべ、次の瞬間、川に鼻を突っ込んだ。
「グルルルルゥゥゥ......」
鼻をつまめないイグナーツに申し訳ないけれど私は思わず吹き出してしまい、イグナーツにジト目で睨まれた。
「さあ、今日はここで休んで夜明けと共に出発だ」
「それなんだがフーベルトゥス、私はもう少しここに残ろうと思う」
ジークの発言に皆がギョッとした。せっかくジークを救い出したのに何故? どんな理由で?
「それは納得できませんな、ジークハルト殿下」
フーベルトゥス騎士団長が詰め寄るとジークは一瞬言葉に詰まった後続けた。
「……っ、皆も見てわかるだろう、私は……この足ではイグナーツに一人で乗ることが出来ないんだ。この地に残って私を探してくれた者、新たに探しに来てくれた者たちには申し訳ないが、数人程残ってもらって——」
「なんだ、そんな理由ですか」
フーベルトゥス騎士団長が安堵の息を漏らす。
「いや、フーベルトゥス、実際無理なんだからしょうがないだろう」
「ジークハルト殿下、殿下はどうしてヴィヴィアーネ嬢がここに居るとお考えですか?」
「え? あっ! いや……そういえばどうして、どうやってヴィヴィはここに?」
「僕の竜に一緒に乗ってきたからですよ。なんたって僕とヴィヴィは固い絆で結ばれていますから」
フィル兄様が自慢げに告げるとジークは一瞬ポカーンとした。
「一緒に? まさか、そんなことあり得ない」
「でもホントなの。フィル兄様のウルバンだけじゃなくてイグナーツも乗せてくれたわ」
私の言葉に川から鼻を上げたイグナーツが「ギャオ」と答えた。
「本当なのか……ヴィヴィ、君って……」
「ヴィヴィアーネ嬢は俺のディーターにも乗りましたよ。という訳で殿下はヴィヴィアーネ嬢に支えてもらってイグナーツに乗れば問題解決という訳です」
「異議あり!」
フーベルトゥス騎士団長の言葉に異議を唱えたのはフィル兄様だ。
「どういうつもりだ? フィリップ・アウフミュラー」
「ヴィヴィは僕の可愛い妹です。そのヴィヴィが男と二人っきりで竜に乗るなんて……」
「ヴィヴィアーネ嬢は俺とも一緒に竜に乗ったぞ」
「おっさんは我慢しますが——」
「却下!! では、明朝出発する。イグナーツにはヴィヴィアーネ嬢が同乗。皆準備に取り掛かれ!」
フーベルトゥス騎士団長の号令で皆動き出す。
フィル兄様はまだブツブツ言っていたけれど取り合ってもらえなかった。




