二年生(14)
五年生が竜の森に入る前日、私はジークを探していた。
頼まれた手綱飾り、気軽に頼まれたものでも承知したのだからちゃんと仕上げて渡したい。暗い顔をしながら飾りをつくる私を見て、おかあさんは心配そうな顔をしながらもそっと見守っていてくれた。あ、マリアと言わなくちゃいけない。マリアと約束したから。
寮に戻って直ぐ、おかあさん、もとい、マリアに言われたのだ。
「ヴィヴィ様、私のことは今まで通りマリアとお呼びください」
もちろん人前では私もおかあさんのことをマリアと呼ぶつもりでいた。私の本当のおかあさんがマリアだと公表するつもりは無いのだから。でもおかあさんは二人きりの時でもそう呼ぶように私に言った。
「いいですか? ヴィヴィ様、記憶が戻っても私とヴィヴィ様の立場が変わったわけではありません。ヴィヴィ様は五歳の時よりアウフミュラー侯爵家の令嬢になられたのです。そのことをお忘れなきようお願いします」
それはわかっている。私はアウフミュラー侯爵家の人間として生きてきた。それを変えるつもりはないのだけど……
じっとおかあさんを見つめるがおかあさんはかぶりを振った。
「二人きりだからと油断して親子のような振る舞いをしていればとっさの時にそれが出ます。ヴィヴィ様は侯爵家の令嬢で私はヴィヴィ様の専属メイドです。その立場を変えるつもりはありませんし旦那様との約束でもあります」
そういうわけで私はマリアと以前のような関係を続けることになったのだが、それでもやっぱり甘えが出る。私はマリアの前で感情を取り繕えなかった。そんな私をマリアは暖かく見守っていてくれた。
放課後、中庭にいるジークをやっと見つけたけれど、ジークは大勢の人に取り囲まれている。
とてもあの中に入っていって手綱飾りを渡せる雰囲気じゃない。でも明日にはジークは竜の森に入ってしまう。
「ヴィヴィ」
「エル兄様」
「しー。静かにこっちに来い」
校舎の影からエル兄様が手招きしている。
何気なくその場を離れ、校舎の影に行くとエル兄様はホッとしたように私を見た。
「お前が見つかってよかった」
「エル兄様、明日はいよいよ竜との契約に出発ですね、頑張ってください」
「ああ、ありがとう。頑張って来るよ」
私が激励の言葉を贈ると、エル兄様は笑って頭を撫でてくれた。
「エル兄様はジークと一緒に皆さんに囲まれているのかと思っていました」
「ん、まあ、さっきまで囲まれていたんだけど、どうにか抜け出した。それよりジークから伝言だ。この間のベンチで待っていて欲しいって。通じるか?」
私が頷くとエル兄様はホッとしたようだった。
「ジークに手綱飾りを渡すんだろ。いやあ良かったよ、この三日間五月蠅かったんだあいつ。ヴィヴィからまだ連絡がない、忘れているかもしれない、とか、お前ばっかり貰ってズルいとかさ」
ジークは楽しみにしてたのかな、あの人、シャルロッテ様にも貰ったんだから私のなんかいらないでしょうに。エル兄様はシャルロッテ様っていう人のこと、知っているのかな。
私が何か聞く前にエル兄様は「じゃあな、竜に乗った俺の雄姿を見逃さないでくれよ!」そう言ってエル兄様は去って行ってしまった。
この前のベンチで待つこと一時間、ちょっと疲れた表情のジークがようやくやってきた。
「ヴィヴィ、待たせてごめん!」
私の隣りにドサッと腰を下ろしたジークはため息をついた。
一時間待ったと言っても、今日は授業が終わるのが早かったから、まだ夕方に差し掛かったくらいの時間だ。
「はあ、なかなか開放してくれなくて困ったよ。特に四年生の令嬢たちがしつこくて」
「大丈夫? 竜の森に入る前に疲れちゃったんじゃない?」
「うーん、大丈夫だけど、ヴィヴィが手を握ってくれたらもっと疲れが取れるかも」
ジークのふざけた物言いにちょっと腹が立ってつっけんどんに私は手綱飾りを差し出した。
「はいこれ、冗談言える元気があるなら大丈夫ね。じゃあ、明日頑張ってね」
立ち上がろうとすると手を掴まれた。
そのまま引き寄せられて、しょうがなくもう一度ベンチに座る。引き寄せられた分だけ、さっきより距離が近い。
ジークが真剣な顔で私を見つめた。
「明日僕は竜の森に入る。僕の契約竜の色によって周囲は色々変わるかもしれない。でも僕は何も変わらない」
私は頷いた。ジークの竜が何色だろうとジークは王太子として自己研鑽を積んできた。この国を良くしたい、国民が笑顔でいられるよう国を守りたい。その気持ちに竜の色は関係ない。そう、彼のお父様、国王陛下がそうであるように。
「僕はこれからも努力し続けるし、ちゃんと自分の実力で実績をつくりたい」
「実績?」
「そうだよ、僕の唯一の我儘を通せるだけの実績」
そう言いながら手綱飾りを持ったままの私の手をジークの両手が包み込む。
「ヴィヴィにプロポーズするための実績」
言われた言葉の意味がわからなかった。婚約の申し込みは既に断った筈。
「あの?」
「ああ、断られたことはちゃんと承知しているよ。だから実績をつくれたらまたプロポーズするから」
「え? また?」
「うん。一度や二度で諦める訳がない。五十回ぐらいプロポーズすればヴィヴィも根負けして頷いてくれるかもしれないだろ」
「……」
驚きすぎて言葉が出ない。お断りの返事が「そうか」だけだったのはまたプロポーズするつもりだったから? 諦めるつもりは無いの? 了承するまでって……王太子がそんなこと許されるの?
「僕はヴィヴィの事を愛しているし、一生を共にするのはヴィヴィしか考えられない。そして、ヴィヴィも僕のこと好きだよね」
え? バレてた? いつから? ちょっとあたふたした私にジークはクスッと笑った。
「ヴィヴィは演技が下手だから。でもヴィヴィが僕の申し出を断ったのは僕の事を考えてくれたからだよね。だから僕は実績を作って有能だと周りに認めさせる。僕の結婚に誰も文句を言わせない」
頷かないで、喜ばないでヴィヴィ! 私は自分を押さえつけた。だってジークがいくら頑張ったって私が平民の血を引いていることは変わらない。文句を言う人がいなくなったって残念に思う人はたくさんいる。王太子殿下はあんなに立派な方なのにどうして平民を妻に選んだんだって。
もちろんアウフミュラー侯爵家の養女だから形式的な身分は足りている。立派な王妃になろうと努力することはできる。だけど血だけはどうしようもない。
固まってしまった私を安心させるようにジークはもう一度ぎゅっと私の手を握った後、パッと離した。
「まだ二回目のプロポーズをしたわけじゃないから気軽に待っていて。あ、これ、ありがとう。素敵な竜と契約してみせるから期待してて」
そう言ってジークは私のへたくそな手綱飾りを握りしめて去って行った。
暫く呆けて、それから寮に帰ろうと木立を抜けて歩道に足を踏み入れた時だった。
「何をしていらしたの?」
私を取り囲んだのは四年生のご令嬢たち。そう、夏休み前に裏庭で私を取り囲んでくださったイアルデ様と取り巻きの皆さんだ。
「何って、別に。奥のベンチで休んでいただけです」
「まあ白々しい。先ほどジークハルト殿下がそこの木立から出てくるのが見えましたのよ」
「こそこそと人目を忍んで......ふしだらだわ」
「ふしだらなんて! 確かにジークとは会いましたけど、それは用事があったからで、室内で二人っきりになったわけでもないのに」
「厚顔無恥とはこのことですわ。ジークハルト殿下は明日から竜の森に入られる大事な時ですのよ。それをあなたの用事で呼び出すなんて。恥を知りなさい!」
イアルデ様は相変わらず両手を胸の前で組んでウルウルと困ったような瞳で見つめていて、その周りの取り巻きの皆さんが私を責め立てる構図だ。
呼び出したのはジークだし、さっきジークを取り巻いていた人たちの中にこの人たちもいたよね。しつこかった四年生の令嬢って……
ちょっとカチンときたので嫌味で返してみよう。うん、つんと澄ました表情で。
「私の用事じゃなくてジークハルト殿下に頼まれていた物をお渡したのですわ。そういえば私のところにいらした時は沢山の方に取り囲まれて随分お疲れのご様子で。特にしつこく放してくださらない方たちがいらっしゃったみたいですわ。本当に恥を知らない方が多くて困りますわね」
「んまあ! んまあ! んまあ! なんて生意気なのかしら! 上級生に対する態度とは思えませんわ! ねえイアルデ様」
「ええそうね。態度を改めるように厳しく教育してあげるのが上級生の務めかしら」
私が怯えないのが気にくわないのかしら、イアルデ様も困ったような口調ながら脅してきたわ。厳しく教育って何をするんだろう。私が考えていると更に取り巻きのご令嬢ががなり立てる。
「それに嘘つきですわ、イアルデ様」
「そうですわ。ジークハルト殿下が頼みごとをされたなんてその場限りの嘘をつくんですもの」
「大体あなたなんかにジークハルト殿下がどんな頼みごとをするって言うんですの? あなたみたいな平民に」
「手綱飾りを頼まれたんです」
「「「はあっ?」」」
あー、言っちゃった。隠れて渡した意味ないか。カチンとくる性格は直さなきゃいけないかなあ。まあ、もう言っちゃったし、ともう一度繰り返した。
「手綱飾りを貰いたいって仰られたから渡しただけですわ」
「嘘......嘘ですわ、ジークハルト殿下はどなたからの手綱飾りも受け取らないって……どうしてそんな嘘を仰いますの?」
これも嘘ですか。もうどうでもいいけど。
「そうですか、それは申し訳ございません。それでは失礼いたします」
とりあえずペコリと頭を下げて、帰ろうと思ったら取り巻きの一人に、グイッと袖を引っ張られた。
「待ちなさいよ! イアルデ様、どういたしましょう」
「そうね、嘘つきには罰が必要よ……ね」
イアルデ様が扇を出して振りかぶる。
え? それで叩くの? 無視するとか物を隠す、壊すとかじゃなくてまさかの物理。といってもイアルデ様の力じゃあんまり痛くなさそうだけど、黙って叩かれるつもりもない。当然避けますとも。
「皆さま、何をしていらっしゃるの?」
身構えた途端に声がかかって拍子抜けする。私の袖を掴んでいたご令嬢はパッと手を離し、イアルデ様はあたふたしている。
「ま、まあシャルロッテ様、いえ、ちょっと生意気な下級生にその……指導をしておりましたの。わたくし、こういうことは得意ではないのですけど、これも上級生の務めですわ」
あ、この人がシャルロッテ様か。ディオのお店では物陰に隠れていたからちゃんと顔を合わせたのは初めてだ。
「初めましてヴィヴィアーネ様、ペーレント伯爵が娘、シャルロッテと申しますわ」
「こちらこそ初めまして。ヴィヴィアーネ・アウフミュラーと申しますわ」
おおう、ご丁寧な挨拶が来たので私も返す。
そういえばイアルデ様には挨拶されていないし、取り巻き令嬢の名前も知らないわ。
「それで? 生意気とは?」
「ええっと、ジークハルト殿下に手綱飾りをお渡ししたことがお気に召さないみたいで」
「当たり前ですわ! お忙しいジークハルト殿下を呼び出して手綱飾りを押し付けるなんて非常識も甚だしいですわ! だから上級生として注意をいたしましたのよ」
さも困ったわ、と言うようにイアルデ様が言うとシャルロッテ様はあら? と口元に手を当てて首を傾げた。
「イアルデ様もそちらのご令嬢方も差し上げていましたわよね。受け取っていただけなかったみたいですけど」
シャルロッテ様の指摘にサッと顔を赤らめてイアルデ様が反論する。
「ち、違いますわ! わたくしは殿下のご迷惑を考えて引き下がりましたの。強引に押し付けるこのような平民風情と一緒にしないでくださいませ」
「ヴィヴィアーネ様はれっきとした侯爵令嬢ですわ。アウフミュラー侯爵様が認めていらっしゃいますもの。それに、ヴィヴィアーネ様はジークハルト殿下に強引に押し付けたのですか?」
「あ、いえ、欲しいと頼まれたので......」
私がそんなことを言っても信用しないだろうな、と思いながら言ってみる。シャルロッテ様はイアルデ様より話が通じそうだし。
「それでは何の問題も無いのでは?」
「まあ! シャルロッテ様はそんな平民の戯言を信じられると仰いますの?」
ふらりとよろける仕草のイアルデ様を取り巻きのご令嬢が慌てて支える。
「平民ではなく侯爵令嬢だと先ほども申し上げましたわ。それにジークハルト殿下が受け取られたのならわたくしたちがとやかく言う必要はございませんわ」
ため息を吐きながらシャルロッテ様が言うと、イアルデ様は頬をピクピクさせた。
「ジークハルト殿下の婚約者候補の中では末席のあなたには分からないかもしれませんわね。わたくしは侯爵家の者としてジークハルト殿下がお困りになる事はお控えなさいと言っているのですわ」
「婚約者候補云々は今は関係ありませんわ。わたくしは揉め事を目撃したので上級生としてこの場を収めようと思ったまでです」
馬鹿にされても動じないシャルロッテ様の態度にイアルデ様は我慢の限界が近いみたい。か弱令嬢の仮面がはがれかかってる。
「な、何が上級生よ! 伯爵家のくせに侯爵家のわたくしに楯突くなんて! 分をわきまえなさい!」
あ、はがれちゃった。イアルデ様に乗っかって取り巻きのご令嬢たちも罵倒を再開した。
「そうですわ! イアルデ様に失礼な態度をとったことを謝罪するべきですわ!」
「大体、すました顔をしていらっしゃるけど、あなただってこの平民が気に入らないのではなくて?」
「ジークハルト殿下に媚を売って手綱飾りを押し付けるような娘ですわ!」
「きっと殿下が受け取られたのは何かわけがあって———」
「ジークハルト殿下はわたくしが買ってきた手綱飾りも受け取られましたわ」
シャルロッテ様の一言で取り巻きのご令嬢たちの口がピタッと閉じた。
「わたくしが買ってきたものも受け取られたと言ったのです。ヴィヴィアーネ様だけではありませんわ。ジークハルト殿下は押し付けられたからと言って受け取るような意志の弱い方ではありませんわ。あなたたちはジークハルト殿下をそのような方だと思っていらしたの?」
シャルロッテ様の言葉に何も言い返せないイアルデ様は唇を噛んだ。
「わたくしに楯突くなんて……伯爵家が......侯爵家のわたくしに......お母様に報告して......」
「ちょっと待ってください」
小声でブツブツ呟くイアルデ様に私は声をあげた。
「それはおかしいです。イアルデ様は先ほど上級生として下級生の私に注意したと仰いました。でしたら上級生のシャルロッテ様の注意も素直に聞くべきでしょう?」
「もういいわ! 貴方たちなんてもう知らない!」
いきなり踵を返して去って行くイアルデ様を慌てて取り巻きのご令嬢たちが追いかける。
もういいも何も最初に難癖をつけてきたのも、私が帰ろうとすると引き止めたのもイアルデ様の方だ。
ポカンと見送ってから、私はシャルロッテ様に頭を下げた。
「ありがとうございました」
「いいえ、大してお役には立っていないわ」
クスッと笑ってシャルロッテ様は言った。
「ヴィヴィアーネ様が困っていらっしゃると思って助け舟を出したのですけど、あなたはイアルデ様も他のご令嬢も怖がってはいなかったわね」
「はあ、でも面倒だと思っていたので助かりました」
「それなら良かったわ。それでもヴィヴィアーネ様、平民だと馬鹿にされた時は怒っていいのですよ」
「余計面倒になるので。養女であることは事実ですし」
「ええ、あなたはアウフミュラー侯爵が正式に迎えられた養女でしょう? そのあなたを馬鹿にするという事はアウフミュラー家を馬鹿にするという事ですわ」
そうか、アウフミュラー家が馬鹿にされたとかお父様が馬鹿にされたと考えると怒りが湧いてくるから不思議だ。
「わかりました。それよりシャルロッテ様は大丈夫ですか? ランメルツ侯爵家から何か言ってきたりは?」
「大丈夫よ。うちは伯爵家ですけどソヴァッツェ山脈の要所を治める重要な役割を任していただいているという自負を持っていますわ。それにランメルツ侯爵はご立派な方だと聞いておりますから」
さすが最上級生、シャルロッテ様は動じることなく言い切った。それからちょっと眉を下げてばつが悪そうな表情をした。
「ちょっと嘘はついてしまったけれど」
「嘘......ですか?」
「ええ。嘘と言うか……手綱飾りの事なの」
シャルロッテ様が言うにはシャルロッテ様が買ってきた手綱飾りはジークだけにあげたものではないのだという。シャルロッテ様は竜との契約の為の演習がジークと同じ班で、その最終日に班の六名でおそろいの手綱飾りをつけようと盛り上がったらしい。班の中である令息がある令嬢の事を憎からず思っていることが他の者にはバレバレだったので、ジークも苦笑しながら同意したらしい。
「そこで偶々暇だったわたくしが六人分の手綱飾りを買いに行っただけなのよ。だから手作りでも何でもない既製品だし、お金はちゃんと六等分したから贈り物でもないの」
ああ、そう言う事か、と納得がいった。ジークのプロポーズを受けるつもりは無いくせに、ジークが他の手綱飾りを贈られても全て断ったという言葉を疑うのも嫌だった。
シャルロッテ様がわざわざ紛らわしい言い方をイアルデ様の前でしたのは、私への風当たりを分散させようと思ってくれたのだと思う。
私はシャルロッテ様と連れ立って寮への道をゆっくりと歩いた。
シャルロッテ様はジークの班での様子や、授業で誰も答えられなかった問題をスラスラ解いた時の事などを話してくださった。
寮に着いて別れ際、ちょっと寂しそうな笑みを浮かべてシャルロッテ様が言った。
「わたくしは一応ジークハルト殿下の婚約者候補の末席に名前を載せていただいておりますけど、ジークハルト殿下のお心がどこにあるのかは存じておりますわ」
私は何も言えなかった。この短時間で、私はシャルロッテ様の事が好きになったけど、イアルデ様やジモーネ様に負けないで欲しいって思うけど、それでもジークとシャルロッテ様が婚約するって決まったら辛いと思う。自分はジークのプロポーズを断ろうと決めているくせに、ジークが他の女の人と寄り添うことを考えると心が悲鳴を上げる。私は身勝手だ。
「明日からの竜との契約、上手くいくように応援しております、シャルロッテ様」
結局それだけ言ってシャルロッテ様と別れた。




