二年生(13)
夏期休暇が終わり私たちは学院に戻ってきた。
トランタを発つ前日、私はジークに婚約のお断りの返事をした。
ジークの返事は「そうか」だけ。もしかしたらエル兄様から聞いていたのかな? と思ったのだけど、あまりにあっさりし過ぎて拍子抜けした。
うーん、私の自惚れすぎだったかな? どっちにしろ私の気持ちに変わりは無いし、これからも付き合いがなくなる訳じゃない。それならあっさりと終わったこの関係の方がいいのかもしれない。
学院の生活はそれなりに平穏だった。
もちろん陰口は色々なところで囁かれていたしあからさまな嫌味を言われることもあったが以前ほど気にならなかった。
今の私は侯爵家のお父様やお兄様方の愛情を信じることができたし、記憶が戻ったことで自分の存在が不確かな、根っこが無いような気持ちがなくなり精神的に安定した。おかあさんはすぐ身近にいて私を支えてくれている。
ジークとの未来が消えてしまった事で、私は心の中にいつも冷え冷えとした空洞を抱えることになってしまったけど、それは自分が選択したこと。
そしてジークに会う機会が滅多になくなったことで寂しいけれども平穏な日々を送れていた。
べつに私がジークを避けている訳でも、ジークが私を避けている訳でもなくて、夏期休暇後は魔術の授業も別々になってしまいジークと全くと言っていいほど接点がなくなってしまったのだ。
それに五年生であるジークは竜との契約を控えている大事な時期だ。下級生とは授業棟もカリキュラムも違うのだから、意識して会いに行こうと思わなければ会わないのは当たり前だった。
クラスの人達は相変わらず私を受け入れてくれて、カールの冗談にみんなで笑ったり、アウレール様の植物の研究成果にみんなで感心したり。
ヘンデルス様にヴィムとトビアスのその後や事件の顛末を聞けたのは嬉しかった。
ヴィムとトビアスは私たちが泊まっていたあの宿でお世話になっていたのだが、なんとあの宿を改装して食事処併設の宿にすることになったらしい。食事処の方にはちゃんと『野うさぎ亭』の看板を掛けるそうなので、ヴィムとトビアスも喜んでいることだろう。
宿の夫婦は子供が居らず、歳をとって働けなくなったら宿をたたむつもりだったらしいが、ヴィムとトビアスと暮らしているうちに、すっかり情が移ってしまった。ヴィムとトビアスも両親のいない寂しさを感じていたので宿の夫婦の申し出が嬉しかったらしい。
と、ここまではほっこりする話だが、ヴィムとトビアスの父親、オイゲンはやっぱりフォクト商会に殺されていた。いえ、ハシュテットの子分は事故を主張しているらしいけど、それでもオイゲンが死ぬ原因を作ったのはハシュテットだった。フォクト商会の会長、ハシュテットが死んでしまっているので正確な事はわからないのだけど、ハシュテットの子分だった人たちの証言により、ハシュテットが『野うさぎ亭』に執着していたこと、金を掴ませてライマーに内情を報告させていたことはわかっている。そして、もうすぐ借金を返し終わり『野うさぎ亭』の新たな改装工事を考えていることを掴むと、酷く焦っていたこと。
これはハシュテットがトシュタイン王国の間者だったことを考えれば当然だと思う。昨年の夏、ハシュテットは一か月ほどマーベルの町を留守にしていたそうだ。昨年の夏は私がジャンたち一味に誘拐されて、その後ジャンたちが捕えられ、アウフミュラー家の領地の屋敷から逃げ出すという事件があった。ジャンとベニートをアウフミュラー侯爵領から逃がす算段をしていたのなら一か月くらい不在になると思う。そしてその間にマーベルの町で土砂災害が起こり、ロットナー伯爵の采配で『野うさぎ亭』のみんなはあの隠れ家のある廃屋に住んでいたという訳だ。今まで見つからなかった地下の隠れ家が改装工事で見つかるかもしれないとハシュテットは気が気じゃなかったんだろうと思う。
子分たちはその辺の事情を知らず、ただハシュテットの指示通り動いていただけらしい。
ともあれ、ハシュテットは子分たちを連れてレーベンへ行く山道でオイゲンを捕まえた。最初は穏やかに転居を進めるつもりだったらしいが、オイゲンは意味がわからない。せっかく一年かけて馴染んできた店をどうして移らなければならないのか。話し合いは縺れ、オイゲンが立ち去ろうとしたところもみ合いになり、オイゲンは崖から転落した。だから事故だ、と子分たちは主張しているらしい。
そしてその後の事はマーベルの町に戻ってきたライマーの証言で明らかになった。
ライマーは金を掴ませて『野うさぎ亭』を探っているハシュテットに疑問を抱いていた。そしてハシュテットをつけてオイゲンが崖から落ちる場面を目撃した。
その時閃いたのだという。上手くいけば『野うさぎ亭』を自分のものにできるかもしれないと。
何故だかわからないが、ハシュテットは『野うさぎ亭』に執着している、しかし『野うさぎ亭』を経営したい訳ではない。それなら借金の返済受取書を隠し、取引を持ち掛けようと。
ライマーは元々二つ隣のペーレント伯領のとある町で居酒屋を営んでいた。しかし本人の資質か経営は上手くいかず、借金のかたに店を手放すことになってしまった。店ばかりか最愛の女房まで取られた。派手好きだがライマーにとっては愛する女房だった。流れ流れてやっと『野うさぎ亭』の店主の座と口止め料を手にしたライマーは意気揚々と女房を迎えに行き、借金のかたにライマーから女房を取り上げた男と女房が仲睦まじく暮らしている様を見た。元女房はライマーに言った。
「あたしは今の暮らしを気に入っているんだ。今の亭主は贅沢をさせてくれるしね、あんたはどこかで野垂れ死んだのかと思っていたよ」
しょんぼりとマーベルの町に帰ってきたところをライマーはロットナー伯爵家の騎士に捕えられたのだった。
「教えてくださってありがとう ヘンデルス様」
まだまだ代官フォルバッハの収賄とか、後任人事とか、フォクト商会の全容とか、色々と落ち着いていないらしいけど、ヘンデルス様も今回の事件に多少なりとも関り、ロットナー伯爵の采配を間近に見て「勉強になったよ」と言っていた。
「この話はジークとエル兄様にも伝えてくれる?」
私が頼むとヘンデルス様は微妙な顔をした。
「元よりそのつもりだが、ヴィヴィから伝えないのか? と言うか今日この場に王太子殿下とエルヴィン様も同席するのかと思っていたんだ」
サロンを借りて私はヘンデルス様の話を聞いていたんだけど、同席しているのはリーネだけ。そしておかあさんがメイドとしてお茶を入れてくれたあと部屋の隅に控えている。
おかあさんは魔道具じゃない普通の眼鏡を掛けているけれど、その美貌は隠しきれていなくて、ヘンデルス様はちょっと頬が赤くなって、リーネにつねられていた。
「あ、そのね、ジークたちは竜との契約の準備で忙しいでしょう。それに何かと私も忙しいし」
「……そうか。そう言う事にするのなら私の方から伝えておくよ」
ヘンデルス様が何を感じたのかわからない。だけどヘンデルス様は続けて言った。
「私はヴィヴィを大切な友人だと思っている。だから君の味方であるつもりだ。困ったときは相談してくれ」
ヘンデルス様に続いて今まで黙っていたリーネも口を開いた。
「ヴィヴィ、困った時だけじゃなくていいのよ。気持ちに整理がつかない時、辛い時、何でもいいの。私たちに吐き出してね。私はヴィヴィが大好きだからヴィヴィの力になりたいわ。きっとアリーやカール達、一組のみんなはそう思っているわ」
「ありがとうリーネ、ヘンデルス様」
目頭が熱くなって急いでパタパタと顔を仰いだ。何にも辛い事なんて無いのにね。私を育ててくれたアウフミュラー家の皆は私を愛してくれている。私の本当のおかあさんにも愛されている。それに本当のおとうさんが私を可愛がってくれていたことも思い出すことが出来た。私は幸せ者だ。
私とジークが全く会わないせいか私の噂は段々下火になっていった。王太子殿下は婚約者選びに忙しいとか、どこそこの令嬢とお茶を一緒に飲んでいた、一緒に歩いているのを見た、なんて噂がちらほら聞こえてきたり、「先日、課題を御一緒させていただいたらとても優しく微笑んでくださいましたの。ええそう、わたくしだけにですわ」なんて積極的に触れ回る上級生の御令嬢もいた。
そして時は進み、五年生が竜の森に入る一週間前、
その日私は課題の下調べで図書館に遅くまで残っていたので、夕闇が迫る木立の道を寮まで急ぎ足で歩いていた。
「ヴィヴィ」
「ひゃう!」
突然呼ぶ声が聞こえて私はもう少しで飛び上がりそうになってしまった。足を止めてみると、木の陰にジークが立っている。
「どうしたの?」
ああ、久しぶりのジークだ……
嬉しさを押し隠して私は訊ねた。
「ちょっと話せる?」
「うん......いいけど……」
ジークと離せるのは嬉しいし、婚約をお断りしたからと言って付き合いがなくなる訳じゃないからいいんだけど、二人で話しているところを見られたら何かを言われるかもしれないし、ジークの婚約者選びに支障が出るかもしれない。
「じゃあ、こっち」
ジークが私の手を引っ張って木立の奥に連れていく。ちょっと歩いたところにベンチがあった。おあつらえ向きに周囲は木で囲まれていて寮に向かう歩道からは見えない。
「この辺りはライラックの木が多いから、春は花が素晴らしいんだけどね」
もう季節は秋だ。ちょっと肌寒くなってきた秋の夕暮れにこんなところに来る人はいないだろう。
「二人っきりと言っても室内じゃないからギリセーフかな」
そんなことを言いながらジークは私の手を離してベンチに一緒に腰かけた。ちゃんと人ひとり分の隙間を開けて。
ジークに握られていた私の右手が熱い。こんなことで踊ってしまう心臓が憎い。
「どうして黙っているの? 話って?」
ベンチに座ってしばらく、ジークは何も言わずに私を見つめているから、私から切り出した。だってもう心臓がもたない。
「ああごめん、久しぶりにヴィヴィに会ったからさ、目に焼き付けておこうと思って」
「目に......暗くてよく見えないでしょう」
「じゃあよく見えるようにもう少し近づいて良い?」
「それはダメ」
私、ジークにお断りしたよね? そしてジークは「そうか」って言ったよね? なんか以前のように距離が近いジークに戸惑う。
「話って?」
もう一度私が促すとやっとジークが話した。
「僕はあと一週間で竜の森に入るだろう、竜の手綱飾りを貰えないかな」
契約した竜には手綱を装着する。手綱自体は学院から支給されるんだけど、その手綱に家族や親しい人、恋人や婚約者から貰った飾りをつけたりする。絶対じゃないんだけどね、そういう風潮がある。飾りは色々、刺繍した布で作ったり、皮だったり、凄いのになると宝石がついていたり。空を飛んでいるうちにちぎれちゃうこともあるからシンプルで邪魔にならないものが良いんだけど。私は以前、お父様とフィル兄様に飾り紐で作ったお花の形の手綱飾りをあげたことがあるし、今回はエル兄様にも渡してある。
「ジークはたくさん貰ったでしょう?」
「貰っていないよ。全部断ったから」
「え?」
「僕はヴィヴィに貰いたい」
「え、でも私は婚約を断って......」
「別に婚約者が贈るなんて決まりはないだろう? 家族だったり親しい間柄だったら贈り合ったりするんだから」
「それはそうだけど」
「それにまだ一回目だし」
「え?」
「何でもない。それより手綱飾り、貰えないかな? エルヴィンだけあげるなんてズルいだろう?」
「ズルいって……」
ジークの子供っぽい言い方にちょっとクスっと笑って気が軽くなった。そんなに深刻に考えなくても親しいお兄さんに贈るってことでいいのかな。
「うん、わかったわ。あ、だけど私、へたくそよ」
お父様とフィル兄様にあげた時は二年前だから花の形がちょっと歪んでいた。気を使ってか、二人ともちょっとオーバーに喜んでくれたけど。エル兄様のはもう少し上手にできた。だけど、刺繍やら縫物やらが得意な御令嬢のように凝ったものではない。
そう言いながらも私の心は既に弾んでいた。
明日、ディオのお店に買い物に行こう。ジークの瞳の明るい青の紐をメインにして——
翌日の放課後、西エリアの商店街にあるディオの店に向かった。
飾り紐はいろいろな素材の紐が同じ色で複雑に編まれていたり、違う色の紐を組み合わせてあったり、房付きだったり、見ているだけで楽しい。手綱飾りだけじゃなくてアクセサリーに使われたり、騎士服の肩章にも使われている。
「ヴィヴィ様、今日は何かお探しですか?」
「うん、飾り紐を買いたいの」
声を掛けてきたディオに返事をしながら、あれ? 私、なにかディオに聞くことがあったんじゃないかしら、と記憶を探すけど思い当たらない。まあいいや、また思い出すだろうと飾り紐を選ぶことに集中していると、がやがやとご令嬢たちがお店に入ってきた。
「まあ、可愛い小物が沢山あるわ」
「この布に紋章を刺繍したら素敵じゃないかしら」
「あら、こちらの皮をリボン形に加工するのもいいのではないかしら」
話しながら飾り紐の一角に近づいてくるご令嬢たちは私よりだいぶ大人に見える。多分ジークやエル兄様と同じ五年生ではないかしら。
「ヴィヴィ様、こっちへ」
ディオがさりげなく誘導してくれて、私は商品の影、覗き込まなければ見えない位置に移動した。
別に悪いことをしている訳じゃないんだから隠れる必要も無いんだけど、あの噂が立って以来、上級生の御令嬢に絡まれたり嫌味を言われることも多かったから、あまり摩擦を生じさせないようにと回避する癖がついてしまったみたい。ディオは今まで何にも言わなかったけど、やっぱり噂は聞いているんだろうな、とさりげない気遣いでわかってしまった。
「あら、飾り紐。シャルロッテ様、飾り紐はどうかしら?」
「まあ、素敵ね! でも殿方には可愛過ぎかしら?」
「そんなことありませんわ。見目麗しいジークハルト殿下ですもの。華やかなものがお似合いですわ」
その言葉に物陰で息を呑む。彼女たちみんなかシャルロッテと呼ばれている御令嬢だけかわからないけれど、ジークに贈る手綱飾りを選んでいるんだ。
あ、でも、ジークは全部断っているって。
楽しそうに選んでいる彼女たちがちょっと気の毒に思えた私は次の言葉が聞こえて来てもう一度息を呑んだ。
「ふふっ、でもちょっと優越感ですわね、ジークハルト殿下は手綱飾りのプレゼントを全て断っていらっしゃるんでしょう?」
「あら、ヨゼフィーネ様、お人が悪いわ。でも少し痛快ですわね。ジモーネ様やイアルデ様のプレゼントもお断りされていらっしゃいましたもの」
「もしかしてジークハルト殿下が手綱にお付けになるのはシャルロッテ様が選ぶこの飾りだけかもしれませんわね」
「そんなことありませんわ、きっと陛下や親しい方から贈られているのではないかしら」
「親しい方と言うのはシャルロッテ様のことでしょう? 先日の実習の時にも親しくお話されていたではありませんの」
「同じ班だからお話しくださっただけですわ」
「とてもいい雰囲気に見えましたわ、ジークハルト殿下がお優しくシャルロッテ様を見つめていらして。それにシャルロッテ様が選ぶこの手綱飾りは受け取っていただけるのでしょう?」
「それはもちろんそうですけど……でもそれは——」
「まあやっぱり! やはりシャルロッテ様がジークハルト殿下の婚約者候補の本命なのでは?」
「そんなことありませんわ。それより皆さまもう揶揄わないでくださいまし。あ、あちらの方も見てみませんこと?」
話し声がどんどん遠ざかっていく。
私はやっと息をして棚の影から出た。自分が恥ずかしかった。気づかないうちに優越感に浸っていた。
ジークとの婚約を自分から断ったくせに、ジークが手綱飾りを受け取るのは私だけだ、なんて思いこんで彼女たちを憐れんだんだ。
ジークはもうすっかり私との未来より他の令嬢との未来を探し始めている。だから私にねだった手綱飾りもエル兄様と同じように妹分から貰いたいという軽い気持ちなのだろう。
「ヴィヴィ様?」
「ああごめん、ちょっとぼんやりしてたの。あ、この飾り紐いただくわ」
手にしていた数本の飾り紐をディオに渡す。
ディオは心配そうな目で私を見ていたけど気づかないふりをした。
「……僕だったら......」
「え? 何か言った?」
「いえ、いつもお買い上げありがとうございます。そうだ、このリボン、ヴィヴィ様に差し上げます」
「まあ可愛い! でもいただけないわ。勝手にそんなことして怒られない?」
「大丈夫です。お得意様のヴィヴィ様になら店長も怒りませんから」
「ふふっ、ありがとう。また友達と買い物に来るわ」
笑って店を出た。うん、笑っていよう。ジークに生涯寄り添ってくれる相手が出来ることは良い事だ。この飾りを渡す時におめでとうって言ってみようか、まだ早いかな?
ポタンと雫が地面に落ちた。
やだ、雨かな、空はこんなに晴れているのに ———私はズルい。




