二年生(8)——夏期休暇
フォクト商会がこの土地で商売を始めたのは七年前、扱っているのは主に織物。この町の西の山に自生しているマデノキの樹皮を使った糸を紡いだ特徴ある織物だ。それほど高価なものでは無いが、味のある柄は敷物や壁掛け、小物等に加工され、昔から細々と生産されていた。王国の西南部から来たというフォクト商会の会長はその小さな工房を纏めて買い取り商会を立ち上げた。織物は隣国ヘーゲル王国に伝手があるというフォクト商会により隣国に輸出され、今ではこの小さな町の主要産業になったそうである。
フォクト商会はたちまちこの町一番の商会にのし上がった。この町一番と言っても小さい町なので王都や領都レーベンの大きい商会に比べれば吹けば飛ぶような規模で、もちろん私は名前も聞いたことが無かった。といっても、私は商会なんて王都のでさえほとんど知らないけど。
小さくてもフォクト商会はこの町では大きな権力を持っているし、町の人達はこの何もない町に主要産業を作ってくれたフォクト商会に感謝している人が多いらしい。
「俺はハシュテットって会長はなんか胡散臭くて好きじゃねえんですけど」
そんな風に宿の亭主は話を締めくくったので私はどうして? と聞いてみた。
「人当たりはいいんでさあ、優しそうな話し方でね。だけどフォクト商会がこの町に来てから柄が悪い奴らが沢山入り込んできた。フォクト商会が警備員だと言ってどこからか連れてきやがった。町の奴らはフォクト商会に感謝しているから滅多なことは言えねえんですけど」
宿の主人の知り合いに偶々小さな工房の主がいた。フォクト商会の警備員に執拗な嫌がらせを受けひっそりと工房をたたんでこの町を離れたのは主人の幼馴染だったそうだ。
「しかしわからないな」
宿の亭主の話を聞いてエル兄様が首をかしげる。
「何が?」
「フォクト商会はこの町で権力も財力も持っているんだろ、どうしてそんな面倒をしてまで『野うさぎ亭』を手に入れたいんだ?」
確かに! 言っては悪いけど『野うさぎ亭』は小さな店だ。料理の評判が良い以外は何の変哲もない。
「それにどうしてかわからないけれどフォクト商会は『野うさぎ亭』を手に入れたことを内緒にしたいみたいだわ」
だからライマーに店主をやらせて『野うさぎ亭』を営業させ、一見何の問題も怒っていないように取り繕っている? もっともライマーが『野うさぎ亭』の店主になったのは受取証を盗み出す対価にライマーが望んだのかもしれないけれど。
私の言葉にエル兄様が頷いた。
「町の人達には内緒にしたいのは評判を落としたくないんだろう。そう考えると役人は大分鼻薬を嗅がされているんじゃないか? この町の代官は誰なんだ? 代官は知っているのか?」
それに応えたのも宿の亭主だ。ヴィムもトビアスもそう言った事には詳しくないらしい。
「フォルバッハ様です。……ご領主様の縁者だそうで......派手好きで......いや、金ぴかな立派な身なりの代官様で、いや、えーっと偉そう......じゃなくて......そう、堂々とした人でさ」
その口調でフォルバッハという代官の為人は想像できたし、少なくともこの宿の亭主には好かれていないんだろうな、という事がよくわかった。好かれていないからと言って悪いことをしていると決めつける訳にはいかないけれど、今までの話でフォクト商会に袖の下を貰っているんだろうな、と邪推してしまう。
私たちの話を聞きながらヴィムとトビアスの目に力が戻ってきている。
もう宿の亭主もトビアス達も私たちがただの旅行者じゃないって気がついていると思う。宿に入った時は他人のふりだった護衛騎士は今は隠すことなく私たちを警護しているし、ジークの指示を受けてどこかへ出かけたりしている。まさか王太子や侯爵家の子供たちだろうとは思っていないだろうけど。
誰にも助けてもらえなかったヴィムとトビアスにとって私たちは初めて話を聞いてくれた人だ。もし貴族ならお役人にも対抗できるかも、という期待の目で私たちを見つめている。
「あのう……」
宿の亭主がこころもち身を乗り出す。
「あんた!」
おかみさんに止められたが亭主は振り切ってもう一度口を開いた。
「その……俺は『野うさぎ亭』のおやっさんに世話になったことがある。だからという訳じゃないがこの二人に力を貸してくれませんか? 俺はおやっさんが亡くなったことは知っていたがこの二人が店を追い出されたことは知らなかった。俺は……この二人を項垂れてひっそり町を出ていった幼馴染のような目に会わせたくねえ」
「うん、もちろん。ヴィムとトビアスさんの力になるつもりよ」
安心させるように私が頷くとエル兄様が渋い顔で私のおでこをぺちっと叩いた。
「ヴィヴィ安請け合いはするな」
「だって!」
「この二人の言っていることがどのくらい本当なのか、とりあえず今の話の裏付けが必要だ」
エル兄様は沈んだ顔のジークと打ち合わせを始める。そこに私は入れてくれないの?
「ヴィヴィに話したらまたどこにすっ飛んで行くかわからないからな。今夜は大人しく寝なさい」
エル兄様が私の頭をポンポンするとジークも頷いた。
わかった、大人しく寝るけれどその前に......
私はジークの前に立った。
「ジーク、なんか怒ってる?」
「怒っていないよ」
「もしかして体調が悪いの?」
「体調は悪くないし、怒ってもいない。ただ......そうだな……」
ジークは優しく両手で私の頬を包んで屈むと私と目を合わせた。
「わかっているんだ、ヴィヴィが困っている人をほっとけないって。それからトラブルを引き寄せる、いや、トラブルに首を突っ込む体質だってこともね」
そんな体質、聞いたことも無い。
私は口を尖らせた。
「ははっ、そんな顔も可愛いな。だけど約束して欲しいんだ、トラブルに首を突っ込むのは僕が見ている時にして欲しい。勝手に姿を消されると僕の心臓が持たない」
微笑むジークの顔は私の顔のすぐ前だ。今更ながらに距離の近さに気づいて私の顔はボンッと一気に茹で上がった。離れたいけれどジークのの手は私の頬をがっちり包んでいる。
「私だって好きでトラブルに巻き込まれた訳じゃなくて」
「今回は好きで巻き込まれたろう」
「大丈夫だってちゃんとメッセージも残して」
「ああ、あの誰も解読できない謎の模様?」
「でででも………… ごめんなさい......」
茹で上がった顔のまま目だけ必死に反らして反論するけど結局は謝るしかなかった。私は気楽にヴィムについて行ったけどジークは想像以上に心配してくれたみたい。
ジークはそういう人だった。自分の事より他人を心配してしまう人、ウォンドの光線からカールを庇ったように自分を守るより相手を守ることを優先してしまう人。
心臓がドクンと音を立てる。
あああ、この旅に出る前、決心をしたばかりなのに……
私は絶対にこの五月蠅い心臓の音を悟らせるものか、と目の前の人から必死に目を逸らしていた。
次の日起きてみると護衛騎士がほぼいなかった。
ジークやエル兄様の指示であちらこちら飛び回っているそうだ。護衛がいないので私は宿から出ないように釘を刺されている。エル兄様とジークは偶に戻ってくる護衛騎士と何やら打ち合わせをしている。私は暇なのでこの機会にマリアが子供の頃の話を聞いたりして過ごしていた。マリアの故郷はこの町の先にある領都レーベンだ。そこで十五まで過ごしたそうだけど、このマーベルの町に来たことは無かったそうだ。
マーベルからレーベンまで馬車で三時間、そして徒歩でも三時間かかるそうだ。どうして同じ時間かって? それは馬車が通れる大きな街道は峠を越えるためにかなり迂回していて、馬車が通れない細い道なら近道があるからだ。もっとも結構な難所で、山道を歩き慣れているこの町の人達しか使わないそうだけど。
そういえばトビアスのお父さんも歩いてレーベンまで行っていたと昨日言っていたわ。
そんな元気そうなお父さんはどうして亡くなったのだろう? 事故だと言っていたけれど。
不思議に思った私は昼食時にトビアスに聞いてみた。
あ、私同様宿から出ないように言われているヴィムとトビアスは宿の仕事を手伝っている。
だから普段は昼食を出さないこの宿で、昼食はトビアスが腕を振るってくれた。
正直言って、昨日『野うさぎ亭』で食べた食事の何倍も美味しかった。別に高価な食材を使っている訳じゃないし、凝った料理という訳じゃない。だけど丁寧に調理されたそれは私だけじゃなくてエル兄様やジークも満足させた。
宿の亭主はトビアスの料理を食べながら涙ぐんでうんうんと頷いていた。
トビアス達のお父さん、オイゲンさんはレーベンへの近道で崖から落ちて亡くなったらしい。いつも借金を返しにレーベンに行く日じゃなくてヴィムにもどこに行くとも告げて行かなかったから発見が遅れたそうだ。
オイゲンさんの事故にも何か作為があるんじゃないかと疑うのは考え過ぎなんだろうか。でもオイゲンさんが生きていれば借金を返していないなんて言い張れない訳だし。
ヴィムにもトビアスにも迂闊にそんなことを話すわけにもいかず、私は悶々と午後を過ごした。
騎士団の諜報を専門とする隊のようにはいかないし、人数も足りていないけど、護衛騎士の人達はジークとエル兄様の指示によく応えてくれてそれなりに情報が集まってきていた。
概ねヴィムとトビアスの話は裏付けが取れたし、二人が知らないことも少しはわかった。代官フォルバッハとフォクト商会の癒着とかね。
そして夜明けと同時にレーベンに向かってくれたシュテファンも帰ってきた。
夕食も過ぎ(トビアスがまた美味しい料理を振舞ってくれた)私がちょっとうとうとしだした頃、護衛騎士の一人がある報告を持ってきた。フォクト商会の人の出入りを見張っていた騎士だ。
「フォクト商会のハシュテットが動き出しました」
「『野うさぎ亭』に? 警備員たちを連れて?」
ジークとエル兄様は護衛騎士たちと打ち合わせをしている。
「今から俺たちも......うまく押さえれば......」
「レーベンの......待機......」
「……裏付けを......現場を押さえれば......」
話が全部聞こえた訳じゃないけれどジークとエル兄様は慌ただしく支度をしている。
「今から『野うさぎ亭』に行く。もちろんお前たちも一緒だ」
エル兄様がヴィムとトビアスに話しているところに割り込んだ。
「私も行くわ」
意外な事にエル兄様はあっさりと許可してくれた。
「ヴィヴィを連れていくのか? 危険じゃないか?」
不満げな声を上げたのはジーク。ジークが心配するのはわかるけど、私だって障壁を張れるし自分の身を守れる。
「ヴィヴィをここに置いていって大人しく待っていると思うか? 護衛騎士だってまだ半分しか戻ってきていない。それなら俺たちと一緒の方が目が届く分安心だ」
ちょっとカチンとくるけれど、置いていかれたらかなわない、私は全力でエル兄様の言葉に頷いた。
「ジークが見ているところでは無茶をしてもいいって言ったわ!」
「いや、無茶をしていいとは…… はあーー、わかった」
ため息をつきながらジークは許可してくれた。見ているところでも、無茶は絶対にしないようにって念押しされたけど。
暗闇の中、昨日行った『野うさぎ亭』の近くまで来て私たちは足を止めた。物陰に隠れて様子をうかがう。
「いるな?」
「ああ、いる。三......四人か?」
エル兄様とジークの会話に私も頷く。人数まではわからないけれど『野うさぎ亭』の周辺をうろついている怪しい男の人達。
「普通にライマーを訪ねてきたって訳では無さそうだな」
「今日ライマーはいない筈です。通いの従業員に二、三日他の町に出かけるって言っているのを聞いたんです」
トビアスの言葉通り、『野うさぎ亭』は灯りを落としてしんと静まり返っている。だけど、私は時折窓の片隅でちらちらと動く灯りに気がついた。
「誰か家の中にいるわ」
「つまりライマーがいない隙にここに忍び込みたい誰か、という訳だな」
「返済の受取証ですか」
トビアスの答えにジークは曖昧に頷いた。
「そうかもしれないし違うかもしれない。どっちにしろラッキーだな」
「ああ、早々に動いてくれて助かるよ」
ジークもエル兄様もその悪い顔をやめた方がいいと思う。
ジークが合図をすると護衛騎士たちがサッと動いた。私たちのいる場所から音もなく離れた護衛たちは十分ほどで戻ってきた。
「うん、周りにはもう誰もいないな。じゃあ、僕たちも忍び込もうか」
護衛騎士たちに一つ頷いて、ピクニックに行こうか、みたいな軽い調子でジークが立ち上がった。
それでも音を立てないように注意しながら『野うさぎ亭』に侵入する。
「ライマーの部屋は?」
「二階の奥の......」
ひそひそ聞いたエル兄様にヴィムが答えるとトビアスが遮った。
「いや、ライマーはもう居候じゃなくてここの主人だろ、父さんの部屋がライマーの部屋になったんじゃないか?」
その言葉に悔しそうにヴィムが頷くと「こっちです」と私たちを誘導しようとしたんだけど……
「ちょっと待って、そっちじゃないと思うわ」
私はみんなの足を止めた。
だってそっちの方角だとさっき見かけた灯りと方向が違う。
「こっちだと思う」
私は反対の方向を指し示した。
「え? でもそっちは店の厨房で」
トビアスが戸惑った声を上げるけど、私は慎重に厨房に足を踏み入れた。
やっぱり! 厨房の奥でガタゴト物音がする。
私たちは身を屈めながら厨房の奥に進んだ。私たちというのは私とジーク、エル兄様、ヴィムとトビアス、それにジークの護衛騎士一人、ジュノーとハーゲン。他の護衛騎士たちは『野うさぎ亭』の周辺をうろついていた怪しい奴らを一撃でのした後、外を警戒している。
「あそこは?」
「食品貯蔵庫です......何であんなところに?」
貯蔵庫の前には辺りを警戒する数人の男、そして閉じられた貯蔵庫の扉の奥からやはりガタゴトと物音がする。
ジークの質問にトビアスが答えるとジークはスッと立って爽やかに言った。
「その答えは彼らに直接聞こう」
「あっ! お前たちは誰だ!?」
貯蔵庫の扉の前にいた数人が襲い掛かって来るけれど、ジークとエル兄様は強かった。ナイフを持った男相手に素手で(時には足で)バッタバッタとなぎ倒していく。
「殺してはいない。気絶させただけだ」
ジークが青い顔のヴィムとトビアスに伝えると死角から襲ってきた男に強烈なパンチをお見舞いしながらエル兄様が言う。
「剣術や体術の授業に比べれば、大したことないな」
これまた襲い掛かる男をキックで吹っ飛ばしながらハーゲンがぼやいた。
「でん……ジーク様もエルヴィン様もどうして大人しく守られてくれないんです。ヴィヴィ様のことをとやかく言えませんよ」
こちらの物音が聞こえたのだろう、閉じられている貯蔵庫の扉の奥から物音が消えた。




