二年生(7)——夏期休暇
湯で汚れを拭い人心地つくと私たちは宿の一階にある食堂に集まった。
この宿は夕食は出さないが朝食は用意してくれるので一階に食堂があるのだ。朝食の時間だけは近所の主婦が手伝いに来てくれて、それ以外の時間は宿の亭主とおかみさんの二人で回しているそうだ。
その二人は離れた席に座り心配そうな目で私たちを、というかヴィムとトビアスを見つめていた。
私、ジーク、エル兄様は六人掛けのテーブルの席に着き、マリアはおかみさんと一緒に私たちにお茶を入れてくれたあとおかみさんたちと同じ席に座った。ドアの前にハーゲンとジークの護衛騎士のシュテファン、他の護衛は廊下や宿の周りにいるみたい。
そしてヴィムとトビアスは対面の椅子に座るように何度も促されたのに、私たちの前の床に膝をついていた。
「申し訳ありませんでした!」
トビアスが頭を床にこすりつけ、それを見たヴィムも慌てて頭を下げる。
「ご、ごめんなさい!! 僕の勘違いなんです。えっと、ヴィヴィさんが兄さんの後をつけているって思い込んで......怖い顔のおっさんだと警戒されるから今度はこんな可愛い子を使って後をつけたんだって......」
「ヴィムを責めないでください! 悪いのは僕です! こんな可愛い子がライマーの手先の訳ないのに」
エル兄様はふうっとため息を吐いて私を見つめる。今度はどんな厄介ごとを拾ってきたんだ? という目だ。
「謝罪はもういいわ。それよりちゃんと椅子に座って事情を話して欲しいの」
可愛い可愛い言われてちょっと気分が上向き加減の私の言葉に促されて二人はやっと椅子に座った。
『野うさぎ亭』は二人のおじいさんの代から続く食堂で、二人のおじいさんもお父さんも実直に仕事をする腕のいい料理人だったらしい。二人のお母さんはヴィムが幼い頃病で亡くなったけど、お父さんは再婚もせず、料理一筋、真面目に働いて二人を育てた。
もちろんトビアスも三代目になるべく幼い頃からお父さんの元で精進して、三年前からはレーベンの大きいレストランにも修行に行っていた。
そんな実直なトビアス一家が借金を背負うことになったのは昨年の土砂災害が原因だった。山間のこの村ではごく偶に土砂災害が起こる。『野うさぎ亭』が以前あった場所でも土砂災害が起こり、人命は失われなかったものの、何軒かの人々は住む家を失った。領主であるロットナー伯爵も現地を訪れ、家を失った人々は商店街の西の端にある使われなくなって久しい建物に移り住むことになった。商店街の西の端にある数件の建物は住人がいなくなって数年経つが雨漏りなど最低限の修繕は領主が負担してくれてそれ以上かかる金額も領都レーベンの商会が低金利で貸してくれることになった。
トビアスのお父さんはその一軒を店舗として改装したので借金を負うことになったのだ。
「父さんは真面目に働いて借金を返していた。もう少しで借金を返し終わる、災難に見舞われたけど何とか『野うさぎ亭』を続けられそうだ。トビアスも修行を終えて帰ってきたら親子三人頑張ろうな、って笑っていたんだ」
涙ぐむヴィムに続いてトビアスも口を開く。
「僕は三年前からレーベンのレストランで修行をしていたので一緒には暮らしていませんでしたが、父さんは借金を返済するついでに毎月僕のところに顔を出してくれました。先月顔を出してくれた時も元気そうで、僕がもうすぐ修行を終えることを伝えたら、借金も返し終わるから店をもう少し改築することを考えてもいいなって笑っていたんです」
しかし、トビアスがお父さんが事故で急死したとの知らせを受けてレストランを辞め、この町に戻ったのが先々月の事、項垂れるヴィムを慰め、お父さんの後を継いで兄弟二人、頑張ろうと『野うさぎ亭』を再開したのがほんの半月前の事だそうだ。
「一週間前、『野うさぎ亭』にライマーが乗り込んで来て」
「そのライマーって誰なの」
私の質問にヴィムがもごもごと答える。ヴィムは説明が苦手みたい。
「えっと、一年前に父さんが拾ってきた料理人見習いで......」
トビアスとヴィムのお父さんはそういうところがあったらしい。お腹を空かしている人に只で食事を与えたり、困っている人の面倒を見たり。ライマーは一年前に『野うさぎ亭』が移転の際にお父さんがどこからか拾ってきた男で、新しい店舗の改装や掃除など男手が必要な際によく働いた。そして行くところが無いというライマーは料理人見習いとして『野うさぎ亭』に住み込んだのだった。
「ライマーは最初のうちはよく働いたけどその内に偶にさぼるようになって......父さんの前ではいい顔をしているけど僕にはよく文句を言っていた。俺だって、とかお前らばっかりとか僕にはよくわからなかったけど目つきがなんか怖かった......」
ヴィムの言葉をトビアスが引き継いだ。あ、ヴィムは私と同じ十三歳だって。身体が大きいからもっと大人の男の人かと思ってた。なんかごめん。トビアスは十八歳。
「僕はライマーについてはよく知らないんですが、あいつは父さんの葬儀が終わるとプイッとどこかに出ていってしまったんです。ヴィムから話を聞いていたから、勝手に出ていったのならこっちも気が楽だと探しもしなかったんですけど……」
「あいつ、店を明け渡せって乗り込んできたんだ。えっと......フォクト商会とかいうおっさんと怖そうな男の人を沢山引き連れて!」
フォクト商会の会長、ホルガー・ハシュテットと名乗った男は柔和な笑みを浮かべながらヴィムとトビアスに告げたそうだ。
「実はあなたたちのお父さんは借金の返済が滞っていた。レーベンの商会も困っていたのでね、私がその債権を引き取ったのだよ。といっても私も慈善事業をしているわけではない、残念だが期限切れでこの店は私のものになった。そこでね、ここに居るライマーに店長になってもらうことに決めたのだ。申し訳ないがこの店を出ていってくれないかね」
ハシュテットは物腰こそ柔らかかったけどトビアスが何を言っても取り合わず、フォクト商会の警備員だというならず者のような人達にヴィムと一緒に瞬く間に店を追い出されてしまったそうだ。
「全部嘘だ! 確かに借金はしたけど毎月ちゃんと返していた! それに期限切れって!? そんな事聞いたことが無い!」
「ヴィム、落ち着け」
涙目のヴィムをトビアスが宥める。
「証文は? 借金をしたって言うならその証文がある筈でしょう?」
私の問いかけにトビアスが頷いた。
「僕もそう思って証文を見せてくれって言いました。ハシュテットさんが懐から出したんですけど、僕が読もうとしたらチラッと見せただけですぐに引っ込めてしまって」
「トビアスさんは字が読めるのね」
「あ、はい。レーベンの修行に行ったお店で読み書き計算を教えてもらいました。父さんは無学だったからこれからはそれじゃいけないって、それもあって父さんは僕をレーベンのお店に預けたんです」
私の質問にトビアスが答えているとヴィムがまた涙目で訴える。
「だから嘘なんだって! あいつら偽の証文で店をだまし取ったんだ! そりゃ僕は字が読めないけど……」
「本物か偽物かはこの町の役場に訴えれば調べてくれるんじゃないか? 月々返済していたならその都度受取証も貰っていた筈だ」
エル兄様が疑問を呈するとトビアスは必死に弁明した。
「訴え出ました!! だけど証文は本物だって……それに受取証は……探しても無くて……」
悔しそうに唇を噛む。
「あいつが隠したんだって! ライマーが! きっとあいつの部屋を探せば出てくるよ!!」
ヴィムが叫ぶ。エル兄様がうーんと唸って気の毒そうに二人を見る。
「役所もちゃんと調べただろう。役所の方でそう判断したのならそれが真実なんじゃないか?」
「あなたたちには返済していると言ったけど、本当はあなた達のお父さんは借金を返していなかったってことは無い?」
エル兄様に続いて私が聞くとトビアスが激しく首を横に振った。うん、私も借金はちゃんと返していたような気がする。一応念押しで聞いてみただけで。
「違います! 父さんはそんな人じゃない! レーベンの大きな商会にお金を借りていたから父さんは毎月借金返済の時に僕の様子を見に来てくれていた。ホントは返していないなら山道を何時間も歩いて僕のところにわざわざ来る必要はないでしょう。 それに……」
「それに?」
言い淀んだトビアスに私が促すとトビアスは意を決したように顔を上げた。
「お役人も変なんです......最初は僕たちの訴えを真剣に聞いてくれて『調べてみよう』って言ってくれたのに……奥に引っこんだと思ったら別の人が出て来て『証文は本物だ、諦めなさい』って……僕たちが食い下がると『あまり騒ぎ立てないほうがいい。君たちも困ったことになる』って……」
「それはちょっとおかしいいな」
エル兄様の顔つきがちょっと変わり、トビアスに続きを促した。
お役所を追い出されても諦めきれなかったトビアス達は二人で色々調べ始めた。フォクト商会の事、ライマーの事、ライマーとフォクト商会の繋がりは? お父さんが毎月ちゃんと返済していたことを知っている人はいないか?
探偵でも何でもない二人はどう調べていいかわからない。それでも闇雲に聞きまわっていると、怖そうな男たちに絡まれたり脅されたりし始めた。後をつけられたことも何度もあり、路地裏に引っ張り込まれて暴力を振るわれそうになり、寸でのところで逃げたこともある。
そんな中、一番懇意にしていた肉屋のおじさんのところに話を聞きに行くととんでもないことになっていた。「『野うさぎ亭』の亭主は借金を踏み倒し、その息子たちは返すべき金を盗んで逃げている」という知らせを役人が持ってきたのだ。役人は二人が現れたら騒ぎ立てずにこっそりと連絡するように言い含めて帰って行ったという。
肉屋のおじさんはトビアスを物陰に引っ張って行ってこう言った。
「俺は『野うさぎ亭』のおやっさんもお前たちもそんなことをする人間じゃないって知っている。知っているがフォクト商会の会長さんもこの町を発展させた偉い人だ。その人に借金して踏み倒したんなら許せねえって思う。お前たちが来たらこっそり役人に知らせるように言われているんだが、それも変だ。悪いことをしたなら堂々と捕まえればいいのによ。俺には何が正しいのかわからねえけどお前たちを役人に引き渡すなんてできねえ。悪い事は言わねえ、この町を離れた方がいい」
茫然としながら泊まっていた宿に戻ろうとして、その宿に踏み込もうとしている役人たちに気がついた。トビアスとヴィムは宿に戻ることを諦めてこっそりその場を逃げ出した。
そんなこんなで二人は誰も住んでいないあばら家を拠点にライマーを探っていた。フォクト商会の方は人相の悪い人達が固めていて近づけないので、ライマーがいないときに『野うさぎ亭』に忍び込み、受取証や証拠を持ち出して、レーベンのお役所の方に訴え出ようと考えたのだという。
二人の話を聞いてエル兄様はジークを見た。
「ジーク」
私はこの時初めてジークが一言も話していないことに気がついた。
ジークは黙って立ち上がると扉の前に控えていたシュテファンのところに行った。何か指示を出してメモの様なものを渡すとシュテファンは頷いて部屋を出ていく。
それを見送るとジークはヴィムとトビアスの前に戻ってきて口を開いた。
「どうしてお前たちはその受取証をライマーがまだ隠していると思ったんだ? お前たちの話が本当なら証拠になる受取証なんてとっくに処分されているんじゃないか?」
「あ……」
私もジークの言葉を聞いてその通りだ、と思った。忍び込むならフォクト商会の方に忍び込んで借金の証文を押さえた方がいいんじゃないかな。
ヴィムとトビアスはがっくりと項垂れたまま。
そのときエル兄様が口を挟んだ。
「待てよ? 受取証、まだ残っているかもしれないぞ」
顔を上げたヴィムにエル兄様が質問する。
「そのライマーって男は最初のうちは真面目だった」
「うん、あ、はい」
「ライマーは最初からフォクト商会の手先だったのかな?」
「えっと......違うと思います。最初はどこかに出かけることも無かったし」
ヴィムの答えを私が引き継いだ。
「という事は……もちろんこの二人の言い分が正しくてちゃんと借金を返していたというのが大前提だけど......フォクト商会は何らかの事情で『野うさぎ亭』を手に入れたかった。だからライマーを味方に引き入れて受取証を盗ませたってこと?」
「ああ、例えばライマーっていう奴が受取証を盗んでフォクト商会に渡していたら、ライマーはお金を貰ってどこかに消え失せて終りだろ。だけどライマーは『野うさぎ亭』の主人になっている。それならライマーは保険として受取証を持っているんじゃないか?」
まだ可能性の話だけどゼロじゃない。
「そもそもフォクト商会っていうのはどういう商会なんだ?」
エル兄様の疑問に答えたのは宿の亭主だった。




