温泉と盗賊(1)
卒業式を終え王都に帰るばかりだと思っていた私はフィル兄様にある提案をされ驚いた。
「ヴィヴィ、アウフミュラーの領地に寄らない?」
もちろん行けるなら行きたい。アウフミュラー侯爵家の領地は私が九歳から十一歳まで育った場所、懐かしい人達が沢山いる。
一年生の夏は領地に帰ったけれど、王家に迎えられてもうアウフミュラー侯爵家の娘ではなくなってしまった私は行く機会もないだろうと諦めていた場所だ。
滞在日数は一週間ほど、意外にあっさりと許可は下りた。お父様やフィル兄様が根回ししていてくれたのかもしれない。
卒業式を終えた学院生には本格的なデビューが待っている。
それはプレデビューの夜会の後に行われるもので今から三週間後だ。通常、学院生がプレデビューの夜会に出席するためには王都まで馬車で一週間かかるため、冬期休暇に入ったら急いで王都に向かう必要があった。だけど竜なら一日で王都に着く。
まあ私は他の人の竜に乗せてもらうことが出来たので、一日で王都と学院を行き来していたのだけど、今まではスケジュール的に他に寄り道している余裕は無かった。
だから今回、アウフミュラー侯爵家の領地での滞在許可が下りたことは物凄く嬉しかった。
ジークは公務があり同行できないことを残念がっていたけれど、そしてエル兄様もジークと一緒に王都に戻るけれど、フィル兄様はお休みを貰えて一緒に行けるそうだ。
なんか水面下で色々交渉があったみたいだけど、そんなこんなで私は三年と半年ぶりにフィル兄様と一緒にアウフミュラー侯爵家の本邸の竜場に降り立ったのだった。
あ、学院に同行した私の護衛騎士のリーゼロッテとブルックも一緒だ。リーゼロッテにとってもここは地元なので、領都ヒルデンスの実家に里帰りさせてあげるつもりだ。
「フィリップ様、ヴィヴィ様、ようこそお越しくださいました」
出迎えてくれた領主代理のマインラートの後ろに懐かしい顔がたくさん見える。マインラートはヴィヴィアーネ殿下ではなく昔と同じヴィヴィ様と呼んでくれた。それだけで私は涙ぐみそうになった。
「短い滞在だけどよろしくお願いするわね」
「またこの屋敷にヴィヴィ様をお迎えすることが出来て望外の喜びでございます。使用人一同、精一杯お世話させていただきます」
私の言葉に相好を崩すマインラートはちょっと歳をとったかな。それでもみんな元気そうで安心した。
フィル兄様は私の後ろで満足そうに頷いていた。
「なあなあ、ヴィヴィ様、あの白竜がヴィヴィ様の竜ってホントなのか?」
私の荷物を部屋に運んでくれていた従者見習のニコが好奇心たまらず、と話しかけてくる。
すぐに一緒に歩いていたメイドのベルタに拳骨を貰って涙目になりながら「本当なのですか?」と言い直した。
十四歳になるニコはもう私より頭一つ分大きい。ベルタより背の高くなったニコが叱られて項垂れるのを見て思わず笑ってしまう。ニコはもっと小さな頃もよくベルタに叱られていたのを思い出して懐かしかった。ニコを一番叱るのはベルタで、ニコを一番かわいがっているのもベルタだから。
「ふふっ、そうよ。ルーナっていうの」
「俺、じゃなくて私は白竜なんて初めて見た!......見ました。すげえや!......じゃなくってえーと、スゴイデスネ?」
私はベルタと一緒に吹き出した。ベルタに言わせるとニコの見習いが取れるのは十年はかかりそうだ。そのベルタは私に何か聞きたそうだ。うん、聞きたいことはわかってる。
「お母様は、あ、メイドのマリアは元気よ。今回私がここに来たことを聞いたらお母様もベルタやみんなに会いたいって残念がると思うわ」
私が領地にいた時、お母様はベルタと一番仲が良かった。
私以上にお母様の立場は変わってしまって、もうベルタとは以前のような付き合いをすることはできないけれど、お母様はベルタに色々教えてもらったり、支えられたと言っていた。以前のような付き合いはできなくてもお母様はベルタを友人だと思っていて、それはベルタも同じみたいだ。
私の言葉に静かに何度も頷いて「ありがとうございます」と言ったベルタから境遇が変わってしまったお母様への気遣いと寂しさが感じられた。
次の日の朝食後、フィル兄様が温泉に行ってみないか? と提案してくれた。
「温泉? アウフミュラー領に温泉があるんですか?」
「うん。昔ヴィヴィを連れて行った鉱山の採掘場があるだろう? その近くで湯が沸き出てね。今では温泉宿や色々な施設が出来てちょっとした観光地になっているんだ」
温泉というものを本で読んだことはある。この国にもいくつか温泉があり、観光地になっているらしいけど、私は温泉に入ったことは無かった。なんでも温泉に含まれる地中の成分によって様々な効能があるらしい。私が領地を離れて数年、そんな素晴らしい名所が出来ていたなんて! それは是非行ってみたい!!
「フィリップ様、あの辺りには今はおいでにならない方がよろしいかと存じますが」
そこで待ったをかけたのがマインラート。フィル兄様が事情を聴いてみると、最近あの辺りでは盗賊被害が多く、現地の衛兵だけでは対処しきれなくなったので、現在領騎士団を派遣して取り締まり中なのだという。
温泉がある町クスーテはアウフミュラー侯爵領の西端、メゴロ山とメゴルンテ山の山間にある。メゴロ山の向こうは旧タルナート男爵領だ。
「それならなおのこと視察が必要だろう。一応僕も領主の息子だしね、困っていることがあったら僕でできることなら対処したいんだ」
マインラートは王宮で宰相を務め日々忙しく領地にまで手が回らないお父様に代わり、領主代理としての務めをよく果たしてくれている。そしてフィル兄様もジークの筆頭補佐官の任を解かれない限りジークが国王になった時は宰相になるのだろう。フィル兄様の代の領主代理が誰になるのかは私は知らないけれど、マインラートの補佐をしている誰かになるのかもしれないし、マインラートの娘さんのお婿さんかもしれない。マインラートの子供は娘が三人で一番上の娘さんが学院の二年生だ。
「それに……いや、これは現地に行って領騎士団の話を聞いてからでないと......」
「フィル兄様?」
何やら言い淀んだフィル兄様に聞いてみるとフィル兄様はまだ僕の予想に過ぎないけれど、と前置きしたうえで、今回の盗賊騒ぎはアウフミュラー侯爵領だけの問題ではないかもしれない。そうであれば調査してジークに報告を上げなければ、と教えてくれた。
「それでしたら私がお止めする訳にはまいりません。ですが、ヴィヴィ様は......」
マインラートは納得したけれど。私を連れていくことは難色を示した。わかってる、マインラートは私が危険な目に合わないように心配してくれていることは。一年の時に誘拐されて散々心配かけたものね。
だけど。
「そうだね、ヴィヴィ、残念だけど今回は——」
「一緒に行きます!」
私はフィル兄様の言葉を遮ってフィル兄様をじっと見た。
フィル兄様は今回のことはアウフミュラー侯爵領だけの問題じゃないかも、と言った。多分、先のトシュタイン王国の侵攻、それに関連することだ、それの余波だと推測しているんだと思う。それなら私も事態を見届けたい。大丈夫、何もできず誘拐されてしまった一年生の時とは違う。
「私は自分で自分の身を守ることが出来ます。もちろん護衛も連れていきます」
「無茶は」
「しません」
「勝手な行動は」
「とりません」
フィル兄様は私をじーーっと見つめた後に(私もじっと見つめていたのでフィル兄様曰く、愛する者同士の熱ーい見つめ合いになってしまって柄にもなく照れてしまったというけれど、私に言わせるとあれはバチバチのにらみ合いだった。フィル兄様、照れていなかったし)ふっとため息をついた。
「いいよ、一緒に行こうヴィヴィ」
かくして私とフィル兄様は支度を整え、温泉町、クスーテに出かけることになった。
心配そうなマインラートに、フィル兄様が「置いて行って勝手に追いかけられる方が厄介だから」と言ってマインラートが納得したのは私の耳に入らなかった。
竜に乗って近くまで行き、そこからは騎馬だ。メゴルンテ山の麓に竜が下りられる広場があってそこまで領騎士が数名迎えに来てくれることになった。アウフミュラー侯爵領にはいたるところにそういう場所がある。私はフィル兄様の竜、ウルバンに同乗させてもらう。お屋敷を発つときルーナは悲しそうに鳴き、ウルバンは得意げに鼻を鳴らす。私はルーナに「ごめんね」と頬ずりしてウルバンの背に乗った。
当初はもちろんルーナに乗るつもりだったが、盗賊の調査に向かうのだから白竜は避けた方がいいだろうとルーナに乗るのを断念した。なんといっても白竜は目立ち過ぎる。
「フィリップ様! ヴィヴィ様!」
馬を四頭連れて出迎えてくれたのはラルスと二人の領騎士。ラルスは一年生の夏に護衛してくれた騎士だ。私のやらかしで謹慎処分になってしまったのに明るく声をかけてもらって私はホッとしながらラルスに話しかける。
「ラルス、元気だった?」
「はい。フィリップ様もヴィヴィ様もお変わりなく。いえ、ヴィヴィ様はもうすっかりレディでいらっしゃいますね。あの頃のお転婆が嘘のようだ」
「そうだよ。僕のヴィヴィはすっかり淑女になっただろう? ラルス」
そう言いながら肩が震えているのはどうして? フィル兄様? 後ろからぐふって変な声も聞こえたけれど、リーゼロッテ? ブルック? それらをまるっと無視してラルスと話を続ける。
「ラルスも立派になって頼もしいわ。前の時みたいに迷惑を掛けないようにするからよろしくお願いしますね」
私の言葉にラルスは「迷惑なんて! ヴィヴィ様をお守りできるのはアウフミュラー侯爵領の騎士として誉です」と大仰に首を振った後に、ハッと気がついて傍らの騎士を私とフィル兄様に紹介してくれた。
「部下のスヴェンとイーヴォです。へへっ、小隊長になりまして」
ラルスの言葉に合わせて二人が騎士の礼をする。
多分二人は私の身分を知らされて緊張していたのだろう。その割にラルスが気安い態度なので戸惑っているようだ。
「スヴェン、イーヴォ、よろしくお願いしますね」
「「はっ! 命に代えましてもヴィヴィアーネ殿下をお守りいたします!」」
私の護衛騎士が後ろで咳払いした。多分ヴィヴィ様の身は自分たちが守るからお構いなく、という意味なんだろうけど、緊張でガチガチの新人騎士を脅すのはほどほどにね。
私とそう変わらない年齢の二人の騎士をほほえましく見ながら私たちはラルスから馬を受け取り領騎士団の臨時本部であるクスーテの町に向かった。




