第55話「一万階の帰り道と、おつかれさまでした」
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> **激闘が、終わった。**
> **腐敗王は、倒れた。**
> **世界は、きれいになった。**
>
> **あとは。**
> **帰るだけだった。**
>
> **一万階分の、階段を。**
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**◆ 地獄の一万階下り階段 視点 ◆**
「脚が……」
アレスが、手すりにしがみついた。
「脚が、笑っている」
「戦神の脚が……プルプルしている……」
「笑うな!!」
「笑ってないです、事実を言いました」
「うるさい!!」
アテナが、一段ずつ確認しながら降りた。
「知恵の神でも」
「何だ」
「階段の上り下りは、物理法則に従うしかないのね……」
「……そうだな」
「一万階は、多かった」
「多かった」
「知恵があっても、脚の筋肉痛は防げなかった」
「それは知恵の問題じゃない」
「そうね」
ザルディウスが、膝をさすりながら降りた。
「先輩……」
「何ですか」
「鎧が重い……」
「脱いだらどうですか」
「元魔王が鎧を脱いだら……威厳が……」
「今、威厳より脚が大事じゃないですか」
「……そうですね」
ザルディウスが、鎧の一部を脱いだ。
「軽い……!!」
「よかったです」
「もっと早く脱げばよかった……!!」
ゴミ袋が、揺れた。
「……揺れる……」
袋の中からダストの声がした。
「揺れが激しい……酔う……」
「大人しくしてください」
「酔うものは酔う!! ゴミ袋の中で酔うとは思わなかった!!」
「もうすぐ着きます」
「もうすぐって、あと何階だ」
「七千三百階くらいです」
「まだそんなに……!!」
蓮が、桐生の肩を借りていた。
「師匠は……なんで平気なんですか」
「仕事終わりの達成感があるので」
「それで脚が疲れないんですか」
「疲れています。でも帰ったらシャワーを浴びて寝るので、それを考えると頑張れます」
「……師匠の原動力、シャワーと睡眠か」
「あとご飯です」
「壮大な戦いの後なのに……」
ハクが、一段一段、等間隔で降りていた。
ブレがなかった。
「ハクさん、疲れてないんですか」
俺は聞いた。
「疲れている」
「でも平気そうです」
「疲れを顔に出す習慣がない」
「そうですか」
「……脚は、少し震えている」
「正直ですね」
「……ほんの少しだ」
「わかりました」
キュウちゃんが、俺の肩でうとうとしていた。
「きゅう……」
「もうすぐだぞ、キュウちゃん」
「きゅう……」
一段。
また一段。
全員で、降りた。
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**◆ 一階に到達した瞬間の朝焼け 視点 ◆**
扉が、見えた。
一階の扉だった。
「あった」
誰かが言った。
「ついに……」
「着いた……!!」
全員が、扉に向かった。
アレスが、扉に手をかけた。
「開けるぞ」
「お願いします」
扉が、開いた。
光が、入ってきた。
朝の光だった。
朝焼けだった。
橙色と、ピンクと、少しの紫が混じった、夜明けの色だった。
「……」
全員が、止まった。
空が、きれいだった。
腐敗の紫が、消えていた。
青と、橙だけが、空にあった。
「……」
アレスが、空を見た。
「きれいだ」
小さな声だった。
「天界でも、こんな朝焼けを見たことがある」
アテナが言った。
「でも、今日のは違う気がする」
「なぜ」
「一万階降りてきた後だからかもしれない」
「……そうかもしれない」
ザルディウスが、空を見た。
「魔界には、朝焼けがない」
「そうか」
「ずっと夜だ。ずっと暗い」
「……」
「でも、今日初めて見た。朝焼けというのが、こういうものか」
「きれいでしょ」
「……きれいだ」
ザルディウスが、しばらく空を見ていた。
「先輩」
「何ですか」
「魔界に帰ったら、掃除しようと思います」
俺は振り返った。
「魔界を、ですか」
「ずっと暗くて、ずっと汚かった。でも、きれいにしたら、朝焼けが見えるかもしれない」
「見えるかどうかはわかりませんが」
「でも、やってみます」
「そうですか」
俺は少し考えた。
「手伝えないですが、コツを教えますよ」
「ありがとうございます、先輩」
アレスが、俺を見た。
「天界も、掃除しなければならないな」
「換気扇は早めに」
「わかった。アテナ、帰ったら全域の換気扇を確認しろ」
「言われなくても」
「先に言わせてくれ」
「わかったわ」
二人が、苦笑いした。
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**◆ 世界中の人々による出迎え 視点 ◆**
塔の外に、人がいた。
たくさん、いた。
「……」
俺は、外を見た。
塔の周りが、人で埋まっていた。
みんな、何かを持っていた。
ゴミ袋だった。
ほうきだった。
モップだった。
雑巾だった。
塔の周りを、掃除していた。
「影山さん!!」
声がした。
しずくだった。
カメラを持って走ってきた。
「生きてますか!!」
「生きています」
「よかった!! 配信ずっとしてました!! 同接が——」
「また記録ですか」
「六億超えました」
「そうですか」
「そうですかって……!!」
しずくが、泣きそうな顔で笑った。
「終わったんですね」
「終わりました」
「よかった……本当に……」
ドローンのカメラが、俺たちを映していた。
塔の周りで掃除している人たちが、手を止めた。
俺たちを見た。
拍手が、起きた。
少しずつ、広がった。
全員が、手を叩いていた。
「……」
アレスが、目を細めた。
「これは……」
「みんな、応援してくれていたんです」
しずくが言った。
「ずっと、配信を見ていた。そして、自分たちにできることをしようと思って、集まってきた人たちが」
「一緒に掃除していたのか」
「はい」
アレスが、空を見た。
「……われわれが一万階を戦っている間に、地上の人間たちが」
「自分たちの場所を、きれいにしていた」
「……そうか」
ザルディウスが、目を擦った。
「魔族は……誰かのために何かをすることを、弱さだと思っていた」
「そうですか」
「でも」
ザルディウスは、掃除している人たちを見た。
「これは、弱さではない」
「弱さじゃないですよ」
「……そうだな」
ハクが、俺の隣に立った。
「影山湊」
「何ですか」
「次は負けない」
「何でですか」
「汚れの発見速度でだ」
俺は少し考えた。
「汚れの発見速度」
「私は消去の専門家だ。しかし、汚れを見つける速度では、お前に劣っていた」
「そうですか」
「次は負けない」
「競争するつもりはないですが」
「私がする」
「そうですか」
「……次の現場があれば、呼んでくれ」
俺は少し考えた。
「はい。ただ、高所作業手当の交渉は自分でしてください」
「……わかった」
ハクが、少し表情を緩めた。
緩めた、と思った。
よく見たら、普通の顔だった。
でもなんとなく、違う気がした。
「影山さん!!」
しずくが、マイクを向けてきた。
「世界中の皆さんが見ています!! 一言お願いします!!」
俺は、スクイジーを取り出した。
愛用の、水切りだ。
塔のガラスが、一枚あった。
汚れていた。
水垢がついていた。
俺はスクイジーを当てた。
上から、下に引いた。
キュッという音がした。
ガラスが、透明になった。
朝焼けが、きれいに映った。
俺はカメラを見た。
「掃除、終わりました」
俺は言った。
「皆さんも、お疲れ様でした」
それだけだった。
しずくの目から、涙が出た。
配信のコメントが、流れた。
『お疲れ様でした』
『ありがとう』
『お疲れ様でした』
『お疲れ様でした』
同じ言葉が、何百万回も流れた。
世界中から。
全員が同じ言葉を、送っていた。
キュウちゃんが、俺の肩で「きゅう」と鳴いた。
「お疲れ、キュウちゃん」
「きゅう」
空が、明るくなっていた。
朝が来ていた。
きれいな朝だった。
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**◆ 現場報告書 ◆**
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影山工務店 現場報告書 #009(最終)
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【案件名】
ラスト・ジグラット 全域清掃
腐敗王ザボ対応
帰路(一万階 階段下り)
【総作業時間】
不明(長かった)
【最終使用道具】
・スクイジー(愛用品)
塔のガラス一枚を清掃
所要時間:三秒
【作業結果】
ラスト・ジグラット、全域清掃完了。
四天王、全員対応済み。
腐敗王ザボ、防汚コーティングにより無力化。
塔のガラス、鏡面仕上げ。
世界の腐敗、停止確認。
【メンバーについて】
ザルディウス:魔界の清掃を決意した。
アレスとアテナ:天界の換気扇確認を宣言。
蓮・桐生・成瀬:よく動いてくれた。
キュウちゃん:最も働いた。
ハク:汚れ発見速度でライバル宣言をしてきた。
次の現場があれば呼ぶ予定。
【経費について】
機材費・消耗品費 :後日精算
高所作業手当(全員):申請済み
危険手当(全員) :申請済み
ダストのゴミ袋処分費:経費計上予定
【ゴミ袋のダストについて】
帰路に適切に処分した。
分別は「燃えるゴミ」にした。
「ありがとう」と言っていた。
どういたしまして、と答えた。
【一言】
掃除、終わりました。
皆さんも、お疲れ様でした。
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影山湊 (印)
キュウちゃん(肉球)
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> **世界は、きれいになった。**
> **腐敗は、弾かれた。**
> **一万階は、下りた。**
>
> **英雄は、何を語ったか。**
>
> **「掃除、終わりました。**
> **皆さんも、お疲れ様でした」**
>
> **それだけだった。**
> **それだけで、十分だった。**
>
> **【腐敗王編 完】**
第55話あとがき:影山湊の「現場報告書(総括)」
## 影山工務店・業務完了報告
【今回の案件総評:★★★★★★★★★★(規格外の現場でした)】
「ラスト・ジグラット」全域清掃、無事に納期内に完了しました。錆、油、埃、カビ、そして概念の腐敗……。どれも手強い汚れでしたが、基本に忠実に向き合えば、落とせない汚れはないのだと再確認できた現場でした。神々や魔王軍の皆さんも、最後はいい手際で動いてくれて助かりました。
【職人の一言】
「掃除の基本は『上から下へ』です。今回は一万階から一階へ、物理的にもその基本を守り通しました。それと、一番大事なのは『終わった後の挨拶』。現場を去る時、そこが来る前よりきれいになっていること。それが清掃員の報酬です」
【近況報告】
ようやく西新井に帰れます。iPhone 17の歩数計は……あ、フリーズしてますね。一万階の下りはスマホの計算能力を超えてしまったようです。明日は3月24日、ようやく休みです。溜まっていた洗濯物をして、自分の部屋をゆっくり掃除しようと思います。結局、休みの日も掃除なんですけどね。
【著者より感謝を込めて】
ここまで影山湊の「清掃バトル」を見守ってくださり、ありがとうございました。
2026年の夜勤明けの皆さんも、家事で忙しい皆さんも、勉強や仕事に追われる皆さんも。
あなたのいるその場所が、少しでも晴れやかでありますように。
掃除、終わりました。皆さんも、お疲れ様でした!
【腐敗王編・完】




