第5話「英雄を探しに来たら、英雄はもう帰っていた」
◆ 天海しずく・神代 視点 ◆
「……見つけた」
神代が静かに言った。
会議室のモニターには、配信映像の切り抜きと、狂乱の森で採取した足跡の解析データが並んでいる。
作業靴のメーカー。サイズ。歩幅のパターン。
そして配信映像に一瞬だけ映り込んでいた、作業着の胸元のロゴ。
「株式会社クリーンハンター。所属清掃員、影山湊。二十二歳」
しずくはモニターを食い入るように見つめた。
「……この人が、魔竜をデコピンで消した人」
「間違いない」
神代が立ち上がり、スーツの襟を正した。
「直接会いに行く。最高の条件でスカウトする。国内トップギルドの名にかけて」
「私も行きます」
二人は迷わず、株式会社クリーンハンターへと向かった。
◆ 桐島 視点 ◆
受付から内線が入ったのは、昼過ぎのことだった。
「桐島さん、あのー……ギルド『蒼穹の剣』の神代ギルドマスターが、直接いらしているんですが……」
桐島の手から、書類が落ちた。
蒼穹の剣。
国内最大規模、Sランク探索者を複数抱える、業界トップのギルドだ。
「な……なんで……」
震える足で受付に向かうと、そこには確かに神代厳本人が立っていた。
隣には、配信者の天海しずく。
オーラが違う。空気が違う。存在感が、桐島の知っているどんな人間とも違った。
「お、お待ちしておりました! 桐島と申します! 本日はどのようなご用件で……!」
「一人、会いたい人間がいる」
神代の声は低く、静かで、それでいて圧倒的だった。
「お宅の清掃員。影山湊という男だ」
桐島の思考が、一瞬止まった。
影山。
あの影山が。あの使えない底辺が。なぜ。
「も、もしかして……うちの清掃作業にご不満が……? 影山が何か粗相を……!?」
「粗相ではない。彼に会いたい」
「申し訳ありません!!」
桐島は床に手をついていた。
土下座だった。自分でも気づいたら土下座していた。
「あいつは本当に使えない底辺でして! 私もかねてから問題視しておりまして! 今日も懲罰として一番キツい現場に送り込んでいるんですが、Cランク指定の猛毒の沼です! ご迷惑をおかけしたなら今すぐクビにしますから! どうかうちの会社との取引は!」
沈黙が落ちた。
桐島はそろそろと顔を上げた。
神代の目が、見たことのない種類の感情で桐島を見下ろしていた。
「……猛毒の沼、だと」
「は、はい……」
「Cランク指定の、猛毒の沼に」
「え、あ、はい……」
「一人で、行かせたのか」
声のトーンは変わらなかった。
でもそれが逆に、桐島の背筋を凍らせた。
「し、しずくさん……神代さんの顔色が」
しずくが一歩前に出た。
「その方に、今すぐ案内してください。猛毒の沼への行き方を」
「え、あ、は、はい……!」
桐島には、何がなんだかわからなかった。
ただ、自分が今ものすごくまずいことをしたらしい、ということだけはわかった。
◆ 影山湊 視点 ◆
「うわ、しつこい」
俺は眉をひそめた。
Cランク指定ダンジョン『猛毒の沼』。
名前の通り、床一面が毒性の強い沼になっているダンジョンだ。
沼から湧き出るのは猛毒スライムの群れ。触れただけでAランク探索者でも皮膚がただれるという触れ込みだが、俺の今の悩みはそこじゃない。
「泥汚れがしつこいんだよな、このタイプ」
沼の底に積み重なった有機物の層が厚くて、普通の清掃じゃ落ちない。
スライムたちがこちらに向かって殺到してきた。
「ちょっと待って、順番に片付けるから」
俺は右手を軽く薙いだ。
スライムの群れが、消えた。
続いて沼の中心部から巨大な影が立ち上がった。沼の主、というやつだろう。体積でいったら昨日の食人花より大きい。
「……でかい汚れは一気にやった方が早いな」
左手も一緒に払った。
沼の主が、消えた。
有機物の堆積層も、毒素も、ついでに全部きれいになった。
「よし、あとは表面を磨いて終わりにしよう」
それから一時間、俺は黙々と沼の底を磨いた。
仕上がりは悪くない。もともと石畳だったらしく、汚れを全部落としたら予想以上にきれいな床が出てきた。
「おっ、いい石使ってる。もったいなかったな」
ワックスをかけたら、ほのかに光を反射した。
「うん、完璧」
腰を伸ばして、時計を見た。
定時五分前。
「よし、今日は別の出口から直帰しよ。どうせ残業代出ないし」
俺は道具をまとめて、来た道とは別のルートで外に出た。
夕焼けがきれいだった。
◆ しずく・神代 視点 ◆
「はぁ……はぁ……ここです、猛毒の沼……!」
二人が全力疾走で現場に駆けつけると。
ダンジョンの入り口から、さわやかな空気が流れてきた。
しずくは足を止めた。
猛毒の沼特有の腐臭が、しない。
中に踏み込むと、石畳が光っていた。
ピカピカだった。
チリ一つ、スライムの残滓一つ、毒素の染みひとつ、なかった。
沼だった場所は、今や底まで透き通るような清潔な空間になっていた。
「……また」
神代が静かに言った。
「一足遅かったか」
しずくはその場にしゃがみ込んだ。
目の奥が、じわっと熱くなった。
「影山さん……」
猛毒の沼に一人で送り込まれて。
それでも、こんなに丁寧に、きれいにして帰っていった。
「どれだけ過酷な環境で……戦わされているの……」
「しずく」
「泣いてません、目にゴミが入っただけです」
神代は無言で振り返り、来た道を戻り始めた。
「どこへ?」
「クリーンハンターに戻る」
声が、低かった。
「あの男に、話がある」
桐島のことが、という言葉は飲み込まれた。
でもしずくには、十分すぎるほど伝わった。




