第4話「丁寧に掃除したら、なぜかみんな怖がった」
「影山、お前あっちな」
桐島が顎でしゃくった先には、タブレットの地図が映っていた。
『Bランク指定ダンジョン:狂乱の森』。
昨日、国内屈指のAランクパーティーが攻略を完了したばかりの、難易度の高いダンジョンだ。
「事後清掃、一人でやっとけ」
「……一人でですか」
「なんか文句あんの?」
ある。めちゃくちゃある。
Bランクの事後清掃は通常、三人以上のチームで行う。残党モンスターが残っている可能性もあるし、ダンジョン内の構造が攻略後に不安定になっていることも多い。
でも桐島はもう背中を向けていた。
「終わんなかったら減給な」
俺はため息をついた。
「……残業代出ないよりはマシか」
誰に言うでもなく呟いて、俺は清掃道具を担いだ。
『狂乱の森』の入り口は、鬱蒼とした緑の瘴気に包まれていた。
Bランク指定だけあって、空気が重い。
でも正直、昨日の裏山に比べれば公園みたいなもんだ。
俺はヘッドライトをつけて、ダンジョンの中へ踏み込んだ。
「うわ、えぐい。葉っぱと泥だらけじゃないか」
激しい戦闘の跡が至る所に残っていた。
焦げた草木。砕けた岩。あちこちに転がる魔物の残骸。
「Aランクのくせに散らかしすぎだろ……プロ意識持ってくれ」
俺は心底そう思いながら、まず全体の状況確認のために奥へ進んだ。
どこから手をつけるか段取りを組まないと、効率が悪い。
清掃には順序がある。奥から手前に向かって、高いところから低いところに向かって。これ基本。
ダンジョン最奥部に近づいたとき、空気がずっと重くなった。
「ん?」
視線を上げる。
天井から、何かが垂れ下がっていた。
直径五メートルはあろうかという巨大な花。
深紅の花弁がゆっくりと開いて、中心部から粘着質の蜜が滴り落ちている。蜜が地面に触れると、石畳がじゅっと音を立てて溶けた。
根が床に深く食い込んでいて、廊下を完全に塞いでいる。
隠しボスだな、とぼんやり思った。
Aランクパーティーが見落としたやつだろう。こういうの、たまにいる。
でも今の俺が気になるのはそこじゃない。
「うわ……めっちゃ根っこ張ってるじゃん」
廊下の端から端まで、びっしりと根が這い回っていた。
「これじゃモップがけできないじゃん」
完璧に清掃したかったのに。せっかく段取り組んだのに。
俺は眉間にしわを寄せた。
花の方は、こちらに気づいたのか、巨大な口のような中心部をぱかりと開いた。中から牙が見えた。食人花というやつだ。
「邪魔だな」
俺は右手を軽く払った。
花が、消えた。
根っこも、蜜も、溶けた石畳の跡まで、全部きれいに。
「よし」
俺は改めて廊下を見渡した。
スッキリした。これで床が全部見える。
あとは普通に掃除するだけだ。
それから二時間かけて、俺は『狂乱の森』を隅々まで磨き上げた。
残骸を処理して。泥を拭いて。焦げ跡を消して。天井の染みまで落として。
仕上げに、廊下全面にワックスがけをした。
光沢が出ると、気持ちがいい。
「うん、完璧」
俺は清掃道具をまとめながら、満足感とともに出口へ向かった。
腰が痛い。ヘドロより楽だったけど、広さが段違いだった。
「帰ってシャワー浴びよ……」
ダンジョンを出た。夕暮れの空が広がっていた。
残業代は出ない。
◆ 天海しずく・神代 視点 ◆
「緊急警報です! 狂乱の森に、討ち漏らしの隠しボスが出現! Aランクパーティーが緊急脱出しました!」
ギルドの通信が鳴り響いた瞬間、神代は立ち上がっていた。
「しずく、来い」
「はい!」
二人が全速力で現場に駆けつけたのは、それから三十分後だ。
決死の覚悟で突入した『狂乱の森』の中は。
「……」
しずくは、絶句した。
チリ一つ、落ちていなかった。
焦げ跡も、泥も、残骸も、何一つない。
それどころか廊下の石畳が、光を反射して輝いていた。
「ダンジョンが……」
しずくの声が震えた。
「ワックスがけされてる……?」
神代がゆっくりと膝をついて、床に指を走らせた。
均一な光沢。完璧な拭き跡。
まるで新築の建物だった。
「……隠しボスが出現したとの報告があった場所を確認する」
最奥部へ進んだ神代は、そこで無言のまま立ち尽くした。
ボスの痕跡は何もなかった。
ただ、床だけが、他の場所より一段と丁寧に磨かれていた。
「これほどの広範囲を」
神代の声が、かすかに震えていた。
「一人で。一瞬で。浄化した、というのか」
しずくはゆっくりと顔を上げた。
「……やっぱり、『彼』ですよね」
神代は答えなかった。
答える代わりに、静かに拳を握った。
廊下の先には、帰り際についたと思われる足跡が一つ。
薄汚れた、作業靴のものが。




